2-3 難民キャンプ
エスカリオ、と呼ばれた男の手元にある天球盤は、ちかちかと点滅して、その下からなにかタコのような生き物が這い出してきた。ルルベル教徒はタコやイカを食べないので、最初メダルマの市場で売られているのを見た時はあまりのグロテスクさにげんなりしたな、と妙に平和なことをシャーリーリは考えた。
「ここまで二体もやられてる。ここで挽回だ」
エスカリオはそう言うと、天球盤をまた打鍵した。タコのような生き物――もっとグロテスクで不気味なやつ――はルッソに飛びかかっていった。ルッソは剣を横なぎに振るい、その生き物を弾き飛ばした。
「駄目だよ、あんなザコを狙っちゃ。あのお人形を狙うの。わかる?」
「グルル」タコみたいなやつは鳴いた。犬か。ザリクはびゅん、とジャンプして、民家の上に立った。
「ちょ、ざ、ザリク! びっくりしました!」
「申し訳ありません。安全圏に退避します」
「あ、安全圏なんてあるんですか?!」
シャーリーリは素っ頓狂な声を上げた。安全圏? あの空飛ぶタコ相手に、どこか安全な場所なんてあるんだろうか。そう思ったとき、
「安全圏なんてないよ」
と、少女の声がした。ずっと遠くの木の上だ。シャーリーリは木の上の影をじっと見た。月光に照らされて、細身でスマートな体形の少女が佇んでいる。
さすがにこの距離では光線で戦うことはできないだろう――と思ったら、ザリクの肩から誘導弾が生えてきた。石火矢をもっと強力にして、目標を追いかけて炸裂するように作られたものだ。魔法技術の粋を集め過ぎだ。シャーリーリはめまいのする思いだった。
誘導弾が飛んでいく。それを、少女は矢を放って民家に縫い留めた。民家もろとも爆発する。
弓矢というのは原始的な武器と考えがちだが、実際のところ殺傷力もあるし、ロープを飛ばしたり網を張ったり、いろいろなことのできる危険な武器だ。しかも矢をつがえればすぐ撃てる。弾丸や火薬を装填したり火を用意したりしなくてはならない石火矢より危険な武器と言えるだろう。
「ザリク、どうしますか?!」
「逃げます。頭を下げてください」
ひゅんっ、と、ザリクは民家の影に飛び降りた。そのまま裏道を駆け抜け、なるべく狭い小路へと逃げ込んでいく。
「ザリク、そのまま逃げたら行き止まりに――」
ザリクは建物の上にひらりと飛んだ。そうか、ザリクは立体的に動けるのか。シャーリーリは難破船から助かったとき空を飛んだことを思い出した。
「ザリク、お前は賢い子ですね」
「揺れます」ザリクはまたも飛びあがって二階屋上に登る。さすがにこれだけ離れれば弓では狙えないし、すぐ目の前でルッソがエスカリオの作った化け物と戦うのも見える。
ちゅんっ、と光線を放って、ザリクはエスカリオの天球盤を射抜いた。
「オワッ、僕の天球盤がっ」
天球盤から魔力を供給されていた化け物は動かなくなった。エスカリオがこけつまろびつしながら逃げだすのが見える。遠くで大きな木の上にいた少女も、木から降りていなくなった。
「ルッソさん! 大丈夫ですか?!」
「おーう、まあまあ大丈夫だ。ブーツの先が焼けちまったが」
ザリクが高いところからルッソの横に降りた。確かにルッソのブーツの先が焦げている。どうやらあの化け物は酸なりアルカリなりの物質を生み出すらしい。
「こんだけやっつけりゃまあまあだろ。カーマインだって単騎でお人形さんを狙う力はないはずだ」
「カーマイン……というのは、あの弓を持った女の子ですか」
「そうだ。天才的な弓の使い手だよ。カーマインは通り名だ。赤き瞳のカーマインってな。本名はだれも知らない」
「さっきの、エスカリオも、カーマインも――『狩人』ですか」
「そういうことになるな。エスカリオの天球盤が壊れればカーマインの暗視ゴーグルがパーになってあいつらも戦闘不能だろうから、安全な場所を探して逃げ込むほかない」
「安全な場所……そんなの、あるんでしょうか」
「どっかに難民が集まってるはずだ。そこに行けりゃ問題ない」
ザリクとシャーリーリとルッソは、難民の集まっている場所を探すことにした。街のはずれの高台にある広い野原に、布で作ったテントが見えた。どうやらここにみな避難しているらしい。
「よかった」シャーリーリはため息をついた。
シャーリーリたちが近寄ってきた気配を察して、街の青年会の人々が近づいてきた。みな、働き者の手をした若者ばかり。普段は工具を触る手で、慣れない剣の柄を握っている。
「わたしはアリラヒソプ葡萄酒貿易社の社長、シャーリーリ・イレイマンです。父の会社――イレイマン貿易支社の社員は逃げ伸びていないでしょうか」
「シャーリーリ・イレイマンって、死んだんじゃなかったのか?」
青年会がざわついた。
「たまたま助かりました。このオートクルスも同じく。この人は護衛のルッソさんです」
青年会の人たちは、イレイマン貿易支社の人を呼びに向かった。これで一安心。そう思って、シャーリーリは眠気が込み上げてくるのを感じた。
「シャーリーリさま!」イレイマン貿易支社の女子事務員が駆け寄ってきた。相当昔から仕えている、腕のいい事務員だ。彼女は心配そうな顔でシャーリーリを見て、
「――社長に連絡を取りたいのはやまやまなのですが、天球盤は壊れてしまって。会社に戻れば替えがあるかもしれませんが、いま戻るとエルセバルサム枢機卿が放った気味の悪い機械に街が乗っ取られていて」と、困った顔をした。
街を見下ろすと、街はすでに多脚型兵器で埋め尽くされていた。多脚型兵器は、自己複製ができる。街に放たれた数はさほど多くなかったはずなのに、すでに街は全域が危険地帯だ。
「無理にとは言いません。とにかく無事でよかった。支社長は亡くなってしまったのですね」
「支社長は、最後まで残ると言い張っていて――どんな風に」
「首を切られていました。賊に入られたのですか?」
「首を……切られていた?」女子事務員はよく分からない顔をした。シャーリーリの言葉を疑っているようにも見えた。
「そうです。首すじをすぱっと――刃物で」
「街に侵略してきたどこかの軍隊は、そういう刃物ではなく石火矢を持っていましたが……刃物も持っていたのかもしれませんが、使っている様子はなかったです」
シャーリーリは、もしかしたら自分をエルテラに帰らせないために、支社長を誰かが殺めた可能性、というのを考えた。あり得ることだ。
「……この調子じゃあ、聖登録祭にエルテラに戻ることはできませんね」
ティラヘの街を見下ろして考える。エルセバルサム枢機卿があの多脚型兵器に撤退を申しつけるまで、だれも家に帰れないわけだが、この広場に集まった人間が全員無事でいられるかも分からない。多脚型兵器がこの広場に侵略してくる可能性もあるし、「狩人」たちもただやられっぱなしではいないだろう。
この広場だって安心していい場所ではないのだ。
そしてシャーリーリとザリクがここにいるかぎり、この広場の危険度は増していく。
いったんテントを出た。シャーリーリはルッソに、
「きょう一晩休んだら、この街を出る方法を考えたいと思います」
と、そう伝えた。ルッソも、「それがいいだろうな」と答えた。
「――そもそもこの街に侵略してきた兵士は、何者だったんでしょうか。刃物でなく石火矢を装備していた、というあたりで、推理できそうなものですが」
「――全員が石火矢をを持っていたとすると、それこそ枢機卿クラス、あるいは教皇クラスの兵力が必要になるな。エルセバルサム枢機卿がこの街を手掛かりに、東方世界への侵略を始めているとしたら――充分、エルセバルサム枢機卿の私設軍隊だった可能性はある。兵力で民を追い出し、多脚型兵器で街を占領する手口もそれっぽいな」
シャーリーリは、自分の戦うものの大きさに、ぞわりと恐怖を覚えた。
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