第二章 枢機卿の狩人

2-1 ティラヘの街

 船に三日ほど揺られて、買ってきた干し芋をぱくついたり、船の外を眺めたりして――遠くにティラヘの街が見えてきた。シャーリーリは幼いころいちど訪れただけだが、街の様子は仔細に思い出せるし、平和で豊かで、街には魔動工具を動かす音が響いている、という記憶が、はっきりと頭の中にあった。


 とにかくこれでこの大変な目に遭った旅も終わる。父の会社の支社に出向いて、天球盤通信で連絡を取ってもらおう。それでぜんぶ終わりだ。ザリクについては、実家に帰ることができたら、セレメデクラム枢機卿のツテで持ち主の枢機卿さまに返してもらえばよかろう。


「楽しみですね、ザリク」


 シャーリーリがザリクにそう声をかけたが、ザリクはとくに何も答えず、しばらく黙って遠くに見えるティラヘの街を見つめていた。まるで、なにか危険なものでも見るみたいに。


 釈然としない表情でシャーリーリはザリクに命じて船室に入った。大剣の男が退屈そうな顔で干し肉を噛んでいる。この大剣の男は何者なんだろうか。あきらかに、他の乗客とは異質だ。


 シャーリーリは壊れかけの天球盤でニュースを見てみることにした。


「ティラヘ 北方のゲートを閉鎖」


 なにやら不穏なニュースだ。シャーリーリの背中がぞわりとする。ニュースを見ると、ティラヘの属するネルガム国で、小規模な内乱がぼつぼつと起こっているようなのだ。これはピンチなのでは、とシャーリーリは思ったが、しかしティラヘはネルガム国最南端の町だ。北方のゲートを閉じたなら内乱とは無縁なはず。というかいまのところ北方のゲートを閉じたことしかニュースになっておらず、なにごとなのかもよく分からない。


 とりあえずティラヘで船を乗り換えることができればそれでいいのだ。


 ザリクの表情はあくまで人形のように変わらない。たいていのオートマタは、記憶チップのなかに行動パターンを蓄積することで、喋ったり動いたりを自律的に行うようになる。ふつうの容量と機能の記憶チップでは限界があるのかもしれない。


「なあお嬢ちゃん」

 大剣の男が話しかけてきた。シャーリーリはどきりとしたが、平静を取り繕い、

「なんでしょうか?」と切り返した。大剣の男は、

「ティラヘに何をしに行くんだ?」と、ピンと来ないことを訊ねてきた。


「父の会社の支社から連絡を取ってもらうんです。別にべっ甲細工を買い付けたりはしませんよ」


「父の会社……ねえ。もしかして、イレイマン貿易か?」


「なぜご存知なのです?」


「まあだいたい想像がつくよ。あんた難破船でそのオートマタを拾ったんだろ? 難破船……確かカイリオン号っていったか」


「よくご存知ですね。なぜわたしがその生き残りだと見ぬかれましたか?」


「まあ、そのあたりは商売なんでな……」

 大剣の男ははっきりしない口調でそういうと、干し肉を噛みちぎった。


「もしかして、カイリオン号の生き残りについてなにか報じられたのですか?」


「いや。上がってない死体があるってことは、って話だ」


 ――もしかしたら、正規のニュースでないところで、自分の無事を報じているのかもしれない。シャーリーリは天球盤をとると、いわゆる競馬新聞みたいなものをチェックし始めた。まあ、おおむね根も葉もない俳優の悪い噂だとか、それこそ本当に競馬の話だとか、政治家をこきおろす記事だとか、相変わらず、という感じ。


 とりあえずシャーリーリの生存にかかわる記事は見つからなかった。


 なんなんだろう、この大剣の男は……。シャーリーリの心を不安の影がよぎった。


「ティラヘにつくぞー」


 船の上の方からそんな声がした。船室の人々はみな甲板に上がる。シャーリーリも、ザリクに背負われて甲板に出た。


 ティラヘの街は、昔みたそのままの姿だった。大規模な開発などもなかったようで、坂道に家がコマコマ建っていて、雑然とした印象を受ける。


 船はティラヘの港に到着した。まずは客が降りることになった。シャーリーリもザリクに背負われて降りる。これで冒険はおしまい。そう思うとちょっとせつない。


「じゃあザリク、イレイマン貿易の支社、わかりますね?」


「了解しました。お任せください」


 ザリクは歩き出した。シャーリーリは、わずかに――血の匂いを嗅ぎ取った。


 イレイマン貿易支社は静まり返っていた。なんと大量の銀貨をテーブルの上にぶちまけたまま、だれもいない――いや、机の下で、支社長が首を切られてこと切れていた。天球盤は破壊されている。シャーリーリは困惑した。どういうことだ?


 ――困惑するシャーリーリを担いだまま、ザリクが飛びすさった。かっ、と矢が床に突き刺さる。どこから射かけられたか分からない。


「――なにごとですか?!」


「シャーリーリを狙っているものがいます」


 ザリクはシャーリーリを背負ったまま、イレイマン貿易支社の建物を飛び出した。遠くのほうで、弓を持った人間が、鋭い眼光でシャーリーリを睨むのが見えた。


 さっきの矢の一撃は、窓からだった。なんて精密な弓の技だろう! シャーリーリはじっと、高い所で弓を構える人間を観察した。


 若い女だ。シャーリーリより少し年下くらいに見える。しかし技は手練れそのもの。


「どうしますか、ザリク」


 ザリクはシャーリーリに答えるより早く、目から光線を発射した。


 遠くの人物はザリクに姿を見られた時点ですでに気付いていたらしく、光線は当たらなかった。


 ザリクのスペックを精確に把握して、その上で狙ってくるものがいる。これは、ただごとじゃない。


「ザリク、逃げましょう。ここにいるのは危険です」


「承知いたしました」


 ザリクは驚くほど素早い動きで港に向かった。もうエナの港とティラヘの港を行き来する船は積荷を降ろし終えて去っていた。ほかの商人たちはティラヘのこの状況を見て、そのまま引き返したらしい。シャーリーリにはそもそも引き返す船賃がない。

大剣の男がまた退屈そうに干し肉を噛んでいた。この男も引き返すことができなかったのだろうか。


「ようお嬢ちゃん。オヤジの会社はどうだった?」


「だめでした。だれもいません。なにがあったんですか?」


「戦争だよ」大剣の男はそう言い、干し肉にくっついていた骨を吐き出した。


「……戦争」シャーリーリは唇をぎゅっと噛んだ。そんな大事なことを、なんで知らなかったのか。シャーリーリは自分の情報収集力のなさが悔しかった。


「ほかの国や街には伏せられているが、いまティラヘは戦争の真っただ中だ。あんまり危険なんでメディアも入らないんだ。略奪が繰り返され人間や家畜は殺戮されている。なあ、提案があるんだが」


「提案……ですか?」


「いますぐ金をくれとは言わん。状況が収まってからで構わない。俺を護衛に雇わないか」


「護衛。……どう思いますか、ザリク」


「この人物の表情に嘘の兆候は見られませんが、完全に信頼に足る人間とは言い切れません」


「辛辣だなあお人形さん」大剣の男はハッハッハと場違いなほど大きく笑った。


 その笑っている顔を見て、シャーリーリは(頼っていいかもしれない)と思った。


「……わかりました、雇いましょう。あの商人たちの護衛ではなかったのですね」


「おう。俺ぁこの戦争のためにティラヘにきた『狩人』だ。見ろ、あの積荷もそうだ」


 船から降ろされた、妙に厳重な積荷のドアが開けられた。西方世界では一般的な、多脚型兵器が続々と降りてくる。多脚型兵器はばらばらと街に入っていった。


「――西方世界が、ティラヘを乗っ取ろうとしてるんだよ」


「西方世界……」


 それはシャーリーリが育った世界だ。それがこの暴挙に出たのか。


 シャーリーリは大剣の男に名を訊ねた。男は「ルッソだ」と答えた。

 とりあえず生きている人を探そう、とシャーリーリは提案した。

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