1-6 エナの市場と貨客船
船賃のお釣りの銀貨30枚で、安物でいいから記憶チップとなにか食べ物を買おう。貨客船では食べ物は持ち込み制だろう。シャーリーリはザリクに背負われて、市場を眺めていた。
まずは記憶チップが先決。もしかしたら天球盤を復旧したら魔法決済が使えるかもしれない。市場には木の道しるべがあり、それを見ると「魔法部品」の矢印がある。
そっちに曲がると確かに魔法機械に使う部品が売られていて、この国で国策として魔法機械を普及させようとしていることが実感として分かった。ちょうど銀貨20枚で、一番安いグレードの記憶チップが売られていた。シャーリーリはそれを買い求めて、市場の隅でカバンのなかの天球盤に差し込んでみた。
天球盤はががが、と音を立ててから、ゆっくり起動した。あきらかに調子はよくない。いまザリクの頭に刺さっている記憶チップなら、もっと早く起動した。安かろう悪かろうなのは仕方がないとして、それで魔法決済が使えるか確認する。
魔法決済の残高照会を確認すると、「この天球盤の魔法決済は無効になっています」と表示された。おそらくシャーリーリが死んでしまったと報道されて、どこかに流れ着いた天球盤で決済できないように父親なり兄たちなりが魔法決済の会社に連絡して無効化したのだろう。
むむむ、とシャーリーリは唸った。
次にメッセージの送信を試みてみる。何度つついてもメッセージ機能が起動しない。雨と潮で壊れてしまったらしい。
なにか使える機能はないか。まあこんなところで暇つぶしに遊んでいたパズルゲームなんか起動できても意味はない。シャーリーリは天球盤をつつきまわして、ニュースが見られることに気付いた。
開いてみると、アリラヒソプ葡萄酒貿易社のスポンサー、セレメデクラム枢機卿についての話題トピックがあった。この状況でいささかのんきだとは思ったが、見てみることにした。
「セレメデクラム枢機卿 東方世界への布教を語る」
――セレメデクラム枢機卿は、東方世界で働く西方ルルベル教徒を熱心に応援する方だ。そのセレメデクラム枢機卿が、真面目な調子でインタビューに答えている。
『そうですね、やはりアリラヒソプ葡萄酒貿易社の社長、イレイマンさんが亡くなってしまったのは東方世界への布教にとってはもったいないことでした』
その一文を読んで、ああ、自分はやっぱり死んだことになってるんだ、とシャーリーリは肩を落とした。その様子を見ていたザリクが、慰めるように背中を軽くたたいてくる。
このオートクルスは、人の心まで分かるのか。
とりあえずそのトピックを読み終えて、お得な情報はなにもなかったので、まあなにかの役に立つだろう、とカバンに天球盤を押し込む。ふと気になって取り出したカバンのなかの書類は、インクがにじんで、紙同士くっついたまま乾き、ほぼゴミと化していた。
カバンは軽いに越したことはない。シャーリーリは書類を燃やそうと決めた。
見ると市場の角でなにやら火が焚かれていた。ミウの村の火や焚き上げ祭りの火ほど大きなものではないが、そこにこの書類を放り込もう。シャーリーリはザリクに火に近づくよう指示を出した。
その火でなにかあぶられている。ペラペラの、魚の干物のように見えた。しかし漂う香りは甘く、なにか菓子のようだ。
「それはなんですか?」と訊ねると、火にその菓子をあぶっていた女は、
「干し芋だよ。茹でてから干すからそのまま食べられるが、あぶると格別なんだ」
と、男のような口調で言って笑った。見るとすぐ横でその干し芋とやらが束で売られている。銀貨10枚で30枚買えるようだ。
「あの、お願いがあるのですが。いらない書類を、燃やしていただけないでしょうか」
「ああ構わないよ。干し芋買ってくならおまけしちゃおう」
やったぜ。シャーリーリは幼いころに兄たちの真似をして言って母親にむちゃくちゃ叱られた単語を思い出した。まさにこの状況は「やったぜ」だ。
書類を火にくべる。あっという間に燃えて、書類はぜんぶ灰になってしまった。
「じゃあ、その干し芋を30枚ください」
「10枚おまけして40枚。はいどうぞ」
シャーリーリは干し芋をカバンにいれた。芋、そして甘いものということは、結構栄養があるのだろうなと想像できるし、見た目がわりと繊維質なのでお腹もふくれるだろう。
「ありがとうございます。大事に食べます。じゃあ行きましょうか、ザリク」
「了解しました」
シャーリーリはザリクに背負われて、港に向かった。ちょうど荷積みと客の誘導が始まっていた。チケットを渡すとすぐ通してくれた。
貨客船の荷物のほうは、大きな箱がたくさん載せられている。シャーリーリは思わずアリラヒソプ葡萄酒貿易社の箱を探したが、しかしイーヤ国に自分の会社の商売相手はいないのだ、と思い出して、知っているロゴを探すのはやめた。
なんだかずいぶんと厳重に魔法で囲われた箱ばかりだ。こんなのを、普通の客もたくさん載る貨客船に乗せてだいじょうぶだろうか。大きな帆を張る準備が進められているのを見上げて、シャーリーリは船室に入った。
船室は床一面に柔らかいカーペットがひかれていて、その上で自由にくつろいでいいらしい。シャーリーリはザリクに降ろしてもらって、天球盤を引っ張り出した。
ニュースを見るしかできることはないのだが――厳密に言えばパズルもできるのだが、こっちは現状なんの得もない――、とりあえずニュースを開く。メダルマで、カイリオン号の犠牲者のために祈りが捧げられた、と書いてある。
その写真のなかに、よく見知った社員が何人も写り込んでいた。
早くみんなに無事を知らせたい。そのために一刻も早くティラヘに向かわなければ。
他の客もだいぶ乗り込んできた。やっぱり工芸の街ティラヘに向かう船なので、いわゆる貿易商、つまり同業者が多い。シャーリーリは思わずカバンから名刺を取り出そうとして、しかしシャーリーリ・イレイマンは死んでしまったことになっているのだと思い出して、カバンの口をとじた。
なにやらものものしい剣を担いだ男が入ってきた。まず目につく男の持っている剣は、持ち主の男の背丈より大きなもので、顔立ちや髪型もいかにも無頼漢という印象だ。貿易商たちの誰かの用心棒ではないだろうか、とシャーリーリは推測した。身に着けているのはシンプルな革鎧だが、筋肉ががっちりとついていることが、鎧の上からも分かる。
シャーリーリはこういう武装した人間を見るのはそんなに怖いことだと思わなかったが、その男が入ってきてすぐ、ザリクが体から無数に腕を伸ばして、シャーリーリをかばうように抱きしめた。ザリクはこの大剣の男を危険だと認識したのだろう。シャーリーリは、
「だいじょうぶですよ。この中のどなたかの護衛に違いありません」
と、ザリクの頭を撫でた。ザリクは無表情で男を見上げて、
「了解しました」と、人間だったら「不承不承」とでもいうような印象の声で答え、シャーリーリから手をほどいた。
「お嬢ちゃん、すごいオートマタもってんな。金持ちか?」
と、大剣の男はそう訊ねてきた。
「いえ。しがない元貿易商です。それにこのオートマタは拾い物です」
「そうか。拾い物か……大事にしろよ。そのオートマタは賢い」
大剣の男はそう答えると、どかり、とあぐらをかいて座り込んだ。
ザリクが賢いと褒められた、ということは、この男には敵意があった、ということだろうか?
いや、死んだことになっている女貿易商を殺したところでなんになる。死んでいることは変わらないではないか。それともシャーリーリが生きていると問題のある人でもいるのだろうか。
――もしかして、目的はザリクか?
シャーリーリはそこまで推理した。ザリクは素晴らしいオートクルスだ。最新鋭の技術で作られたものであることは誰でもわかるだろう。分解して売ってしまおうということか、それともやはり分解して技術を盗もうということか。どちらにせよザリクがいなくなったらシャーリーリの旅は詰んでしまう。
ザリクは、シャーリーリを守ってくれる。しかし、シャーリーリはザリクを守らなければいけない。
シャーリーリはふと、ザリクを持っていた男のことを思い出した。ザリクを枢機卿さまのものだ、と言っていた。枢機卿。シャーリーリはセレメデクラム枢機卿を思い出し、東方世界への布教と、ザリクになにか関係があるのだろうか、と考えた。それが憶測であることを祈りながら。
『第一章 旅のはじまり』完
『第二章 枢機卿の狩人』に続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます