1-5 エナの宝石商

 お方さまの館に泊めてもらうことになったシャーリーリは、とりあえず風呂に入りたいと思った。内湯があると聞いてシャーリーリは喜んだが、内湯までザリクに運んでもらわなければならない。面倒だが汚いのはいやだと思ったので、シャーリーリはザリクに命じて、湯浴みをすることにした。基本的にザリクのようなオートクルスは人形みたいなものなので、特に恥ずかしいとも思わない。


 風呂のお湯はほどよく熱めで、シャーリーリはふう、とため息をついた。


 あのかんざしがいくらで売れるものか、ちょっと分からないが、まあ売ってみて、ティラヘに向かう方法を考えてみればいいだろう。もし余裕があれば天球盤の記憶チップも欲しい。


 そんなふうにかんざしの値段を捕らぬ狸の皮算用して、内湯から上がり髪をタオルで拭く。


 お方さまの用意してくれた質素な木綿の寝間着をまとうと、ザリクに抱え上げられて寝室に向かった。すでに布団が敷かれている。へえ、イーヤ国だと床に布団を敷くのか。エルテラと同じだ、とシャーリーリは誰に言うともなく思った。


 布団にもぐりこんで目を閉じる。クタクタに疲れていたので、あっという間に眠ってしまった。


 翌朝起きると、豪華な朝食が用意されていた。大きな焼き魚と、野菜のお浸し。出汁の香りのする粥。イーヤ国の人間は魚が好きなのだな、とシャーリーリは思った。それなら白葡萄酒が売れるのではないか、と考えて、そんなことよりとりあえずティラヘに渡ることを考えねばならない、商売のことはあとで考えれば済むことだ、と自戒する。


 お方さまが現れた。昨日とは違う柄の、素晴らしく繊細な刺繍の施された装束をまとっている。お方さまは笑顔でシャーリーリに「おはよう」と声をかけた。


「おはようございます」シャーリーリは小さく頭をさげた。お方さまは美しい色白の顔に微笑をうかべて、

「食べようではないか。いただきます」と、フォークをとって魚を分解しはじめた。


 シャーリーリもそれに習う。魚はよく脂がのっていてとてもおいしい。さすが貴人の食べる食事だけある。野菜も香りがよく、粥も美味だった。


 シャーリーリは豪華な朝食を食べ終えた。すかさず女中がきて膳を下げていく。


 お方さまは機嫌よく、

「昨晩は久々にサイコロのゲームで負かされて悔しかった。だが楽しかったぞ。またいつか、手合わせ願いたい」と、シャーリーリの横に控えているザリクに言った。


 ザリクは宝石の瞳を光らせて、

「了解いたしました」と、ちょっと冷淡にそう答えた。


「あの、お方さま。もし昨晩の勝負に、我々が負けていたら、どうされるおつもりでしたか」


 シャーリーリがお方さまに恐る恐る訊ねると、お方さまはほほ、と笑って、


「わらわがかんざしの一本を惜しむように見えるか?」

 と、きのうの勝負はただの遊びだった、と、そういう口調で答えた。シャーリーリは、やはりこの人は為政者だ、と思った。


 お方さまに丁寧に挨拶をした。髪を布で隠し、ザリクに背負われて、シャーリーリはお方さまの屋敷を後にした。手には、お方さまの立派なかんざしを入れた箱がある。箱は木と金属と革を組み合わせて作った、豪華そのものの、中身にふさわしいものだ。


「とりあえずこれを買い取ってくれる宝石商を探しましょう」シャーリーリはザリクにそう命じた。ザリクはきょときょととあたりを見渡して、一軒のそれなりに大きい宝石店を見つけた。看板には、「高価買取」の文字がある。


 シャーリーリの生まれたエルテラをはじめとする、ルルベル教徒の暮らす土地には、いらないものを買い取ってもらう、という文化がない。焚き上げ祭りでいらない本や服は燃やしてしまうし、宝石は基本的に代々家族に伝えられていく。どんなに時代遅れのデザインでも、親や祖父母から受け継いだ宝石は宝物なので、どこかに売ってしまうということはない。


 だからシャーリーリは最初メダルマの街で、異教徒の営む古物商というものを見てとてもびっくりした。お金の足りなくなった人が親からもらった宝石を売ってしまうのを、なんて人の心がないんだ、と思ったものだ。すぐ慣れたが。


 現状、財布のなかにはメダルマとエルテラのコインがちょっとずつ――船賃にするにはどう考えても足りない程度――入っている。ふだんはたいていの買い物を天球盤で決済していたので、コインしか持っていないのだ。ティラヘから先の、船や駅馬車のチケットもあるが、シャーリーリ・イレイマンは死んでしまったと報道されているので、サインがあっても偽物だと思われるだろう。


 とりあえずティラヘに着けば、シャーリーリの父親の会社がある。支社の現地スタッフは、西方ルルベル教徒が中心で、ティラヘの街に昔から住んでいるので、聖登録祭で出払っている、ということもなかろう。


 ザリクは躊躇なく、見つけた宝石店のドアを開けた。シャーリーリが見ると、店の奥に商売の相手にするのはちょっと嫌だな、という印象の、粘着質の顔の男がいて、その男が店主のようだ。


「すみません、ティラヘのべっ甲細工を買い取っていただきたいのですが」


 シャーリーリがそう声をかけると、粘着質の男はもみ手をしながら近づいてきた。ティラヘの宝石細工が目当てなのか、それとも単にカモってやろうと思っているのか、はっきり分からないのでシャーリーリは少し不安な目でその男を見る。


「お方さまのお使いの方ですか?」と、粘着質の男。


「い、いえ、違いますけど」


「いやいや~。そのかぶってらっしゃる布を見れば分かりますよ。南イーヤの絹じゃないですか。髪を隠してらっしゃるのは、ルルベル教徒なんですか?」


「ええ、まあ、そうです。これはお方さまからいただいたものです」


「ほーらやっぱり。貴いお身分であらせられる。では、お売りいただけるものを見せてください」


 シャーリーリは箱にいれたかんざしを差し出した。男はそれを見ると、

「ほうほう。最高級のべっ甲に、珊瑚と瑪瑙と銀をあしらってある。これは素晴らしい品物ですね。箱も高級だ」と、ご機嫌で品物を眺めまわした。


「おいくらで買い取っていただけますか?」


「そうですね……銀貨300枚でどうでしょうか?」


 シャーリーリは「不当に安い」と判断した。その額ではティラヘへの足代にならないし、ほかに必要な物資を整えるのにも足りない。


「さすがにその値段では、これを賜ってくださったお方さまへの面目が立ちません」

「いやいや、素晴らしい品物なんです、まさにお方さまのかんざしにふさわしい。しかしながら、形が古臭すぎるのです」


 シャーリーリは髪を隠す文化の土地から来ているので、髪飾りの流行りすたりはよく分からない。騙されそうだ、と思いながら、

「形が古いのであれば、分解してそれぞれパーツとして売ればよいのでは? その値段より上がらないなら、別のところで買い取ってもらおうと思います」


 と切り返す。

「うーん難しいですねえー! 銀貨370枚! それでどうですか」


 シャーリーリは軽く頭の中で計算してみた。ティラヘまで船で銀貨350枚程度で行けるだろうか、と考える。金持ちの使う客船でなく、一般人の足である貨客船なら行けるだろう。メダルマからティラヘまで、客船で銀貨400枚だったからだ。


「――それで構いません。引き取ってください」


「毎度ありがとうございます!」


 初めて来たというのにずいぶんと調子のいい男だな、とシャーリーリは思った。お金を受け取り、お方さまのかんざしを渡す。お金をちゃんと数えて、間違いないと判断する。


「ありがとうございます。神のご加護がありますよう」


「まいどー」と送られて店を出る。銀貨はずっしりと重たいので、ザリクに持ってもらう。


 ――まずは、船で渡るめどを立てる。それができたら、余ったお金で物資をそろえる。港のほうに行くと、ちょうどティラヘへ交易しながら安い運賃で人を運んでくれる船が、一時間後に出港だ、とチケットを売っていた。値段は銀貨340枚。これなら大丈夫だ。


 チケットを買い、シャーリーリはザリクと必要なものの買い物に向かった。とりあえず記憶チップを買って、天球盤をつかえるようにしたいし、なにか空腹を紛らわせるものも欲しい。


 シャーリーリはザリクに背負われて、エナの港街の市場に向かうことにした。どんなふうに売っているかわからなくて、シャーリーリはやっぱり、商機をとらえたような嬉しさを覚えていた。


 両脚がなくなって、船賃でお金が吹っ飛んだというのに、シャーリーリは機嫌がよかった。やはり己は天性の商売人なのだな、とシャーリーリは思った。


 たどり着いた市場は、背負われて買い物するのはいささか難しい、露天スタイルの市場だった。それでもシャーリーリはザリクと、市場を回ってみることにした。

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