1-4 お方さまの屋敷

 お方さまは、しばらくシャーリーリを、とても強い目線で見つめた。シャーリーリは思わず目をそらしそうになって、ここで目をそらしたら負けだ、と、お方さまの目を見つめ返した。


「おお。大きな目じゃ。目に炎がある」お方さまはつぶやいて、それから艶然と微笑んだ。


「そなたは脚がわるいのか」


「はい。生まれたときより両脚がありません」シャーリーリは素直に答えた。お方さまは、シャーリーリの見たことのない、ちょっと変な匂いのする筒状のものに火をつけた嗜好品の煙を吐き出して、ほほほと笑った。


「その境遇でも負けずに生きてきたのじゃな。それは目に炎を宿すわけじゃ」


 目に炎がある、とお方さまは言うが、シャーリーリの目は空色である。目の色のことでなく、意志力、ということか、とシャーリーリは解釈した。


 お方さまの言葉はシャーリーリには少し難解に思えた。子供のころ覚えたイーヤ国の言葉は、とても平たいものだったので、こういう権力者が語る言葉について勉強したことはなかったのだ。敬語で話すのも、なかなか難しい。無礼なことを言わぬよう、シャーリーリは慎重に言葉を選んで、


「わたしどもは、乗っていた船が難破して、エルテラに帰るべきところをミウの村に流れ着きました。そのときに、わたしの片足は海にひたって壊れ、もう片方の足は残ったものの片足では歩くことはできませんゆえ、同じ船に乗っていたこのザリクに、ここまで背負って連れてきてもらった次第であります」

 と、現状を説明した。


「なるほど。路銀をたかりにきた、ということか?」

 お方さまは悪い笑顔を浮かべた。


「めっそうもございません。ただ、わたしはルルベル教徒なので、祭りまでにエルテラに帰らねばなりません。しかしながら、先立つものはありませんし、天球盤を用いて故郷に連絡をしようにも、その記憶チップはいまこのザリクの頭の中です。もはや打てる手がなにもなく、お方さまに頼るほかなくなり――それで、こちらを献上いたしたいのです。ザリク」


 シャーリーリの声に促されて、ザリクは腕を生やして小脇にかかえていた、シャーリーリの義足をそろえてお方さまの前に置いた。


「わたしの使っておりました、魔動義足です。お方さまはこの国に西方の技術を広めようとなさっているとうかがいました。これを分解して、どうぞこの国の医療のためにお使いください」


 でん、と置かれた義足を、お方さまはしばらく眺めて、

「面白いのう。まだ若そうじゃのに、ずいぶんと商売が達者じゃな」

 と、おかしそうに笑うのだった。


「いちおう、貿易会社の社長をしています……していました。エルテラでも、会社のあったメダルマでも、わたしは死んだことにされていると思います」


「……ふむ。ルルベル教徒の祭りというと、あの家族で集まって食卓を囲み、子供におもちゃを渡す祭りか」


「そうです。ご存知ですか」


「まあ、わらわはルルベル教というのをよう知らぬが、生きておることが神に喜ばれること、という教えはよいものだと思うし、祭りで家族だんらんを過ごすのもよいことだと思うておる」


 このお方さまはただのゲーム好きの中年女性ではない、とシャーリーリは把握した。国家の権力者で間違いない。他国の宗教を認識し、それを一部分でも肯定できるというのは、リーダーの資質がある。


「――そなたは、ルルベル教徒なのに、髪を隠さぬのだな。北のほうのルルベル教徒か?」


 シャーリーリの属する西方ルルベル教徒は女が髪を隠すが、北方ルルベル教徒は男がヒゲを剃ることをよしとしない。そこが、異教徒から見て目につくところなのだろう。


 この戒律は実のところ理にかなったもので、西方世界では日差しが強いので、髪を覆えば暑さが和らぐし、北方世界ではヒゲは防寒の役割を果たす。シャーリーリは正直に答えた。


「いえ。メダルマの絹で髪を隠しておりましたが、流れ着いたときにはすでに布はどこかに飛んでいってしまいました」


「それは哀れよのう。ちょいと!」


 お方さまは手を鳴らした。すぐに女中が出てきて、お方さまは女中に、髪を隠す布をなにか持って来い、と命じた。女中――おそらくまだ十代ほどの、少女と言った方が正しそうな女中は、すっといなくなり、それから数分もたたずに、うつくしい絹織物を手に戻ってきた。


「これはわらわの哀れみの心じゃ。心細かろう、よう知らぬ土地で、人形とふたりきりというのは」


 お方さまは立ち上がると、豪華な装束を引きずりながら歩いてシャーリーリに近寄り、シャーリーリの髪に絹織物をかぶせた。ふわふわの手触りであるメダルマのシルクともまた違う、さらさらと滑らかな手触り。


「ありがとうございます。これで神の戒律を守ることができます」


「それはよかった。で、本題じゃが。そなたはその……エルテラ? という土地に帰りたいのじゃったな? ちょいと! 地図をもて!」


 さっきの女中が地図をもって現れた。シャーリーリの会社でも使っている、天球盤を使って作られた国際規格のものだ。主に東方世界について詳しく書き込まれており、お方さまはそれをじっと見て、

「エルテラ……ずいぶんと遠そうじゃ。ここまでなにでいくつもりだったのじゃ?」

 と訊ねてきた。シャーリーリは地図を指しながら、


「船を乗り継いで――ティラヘの港で乗り換えて、シャゾムでまた乗り換えて、ノイについたらそこからは駅馬車で向かう予定でした」


「……ずいぶんと路銀がかかりそうじゃな」


「もちろん全額出してほしいとは申しません。せめてティラヘまで行くことができれば、父の会社の支社があります。そこから父に連絡してもらうこともできましょう」


「ティラヘ。その街ならよう知っておる。これもティラヘのべっ甲じゃ」


 ティラヘは通称「工芸の街」と呼ばれる。アクセサリーや美的感覚にすぐれた実用品を作っているところだ。お方さまが髪からすっと抜いたきれいなかんざしは、べっ甲に銀と宝石をあしらった、ティラヘの最高級品であると分かった。


 お方さまはかんざしを雑に髪に戻した。あきらかに最初の位置と違う。


「そなたにひとつ提案がある。そなたはこの手のゲームは得意か? もしわらわに勝てたら、このかんざしを路銀の代わりに渡そうではないか」


 お方さまはサイコロふたつをゲーム盤の上に置いた。説明を聞くと、サイコロをふたつ振って基準の数を決めて、次に振ったときの目が基準の数より大きいか小さいかを予想するゲームのようだ。二回戦以降は前に出た目より大きいか小さいかを当てる。


 シャーリーリはそれをみて難しい顔をする。小さいころ同じゲームを兄たちと遊んだことはあるが、しかし母親に、「女の子がサイコロの遊びをするなんてはしたない」とこっぴどく𠮟られたのだった。それ以来、シャーリーリはサイコロに触ったことはない。


 ――シャーリーリは、ザリクをちらりと見た。ザリクは、シャーリーリの目線の意味について、目玉をちかちかさせて考えると、


「それであれば、私がお相手いたします」と、温度の低い声で言った。


「ほう! いまどきの人形はこういうゲームもできるのか。面白そうじゃ、では始めるぞ、五点先取じゃからな」


 まずはお方さまがサイコロを振る。6と3が出た。合計はもちろん9だ。これは微妙なところだな、とシャーリーリは思った。しかしそれとほぼ同じタイミングで、


「少ないです」と、ザリクは答えた。そしてサイコロを振る。5と3が出た。ザリクに1点入る。


「うむ、8か。であれば――少ない!」


 お方さまがサイコロを振った。5と4。お方さまの読み間違えで、またザリクに1点入った。


「少ないです」3と2。またザリクに1点。


「多い!」4と3。お方さまに1点。


「多いです」4と4。ザリクに1点。


「ここでわらわが読み違えたら負けか。少ない!」2と1。お方さまが1点取ったが、この状況では勝負は見えている。


「多いです」

 ザリクのその声には確信があった。出た目は6と4。ザリクの勝ちだ。


 シャーリーリはすごくハラハラしながら、お方さまとザリクの勝負を見守った。そして、ザリクが勝利して、心底ホッとした。


 お方さまは悔しそうだったが、久々に本気でゲームの相手をしてもらえたのが楽しかったらしく、気前よくかんざしをシャーリーリに与え、館に泊まっていくといい、と言った。

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