1-2 ミウの村

 シャーリーリは語学に秀でていた。そもそもイレイマン家の人間はみな頭の出来がよく、女が学問することをよしとしないルルベル教徒でも、シャーリーリが本を読むのは特に変わったことだと思っていなかった。読書なんて学問のうちに入らない、ただの遊びとして認識されていたからだ。


 シャーリーリは、浜辺を駆けまわっている子供たちの言葉から、現在地を想像した。イーヤ国の辺境の村ではないだろうかと想像したが、だとしたら故郷の、岩の街エルテラはとてつもなく遠い。そもそもシャーリーリは東方の地であるシルクの街メダルマでアリラヒソプ葡萄酒貿易社という会社を経営していて、そこから年に一度の聖登録祭のためにエルテラを目指していたさなか、船が難破する災難に見舞われたのである。


 メダルマの街で働くにあたり、街の人たちに馴染んでもらえるよう、シャーリーリはメダルマの街の特産品、メダルマ蚕のシルクで髪を隠していたのだ。


 子供たちが大人を呼んできた。小柄な老婆だが、腰は曲がっていないし、杖こそ持っているがしゃんとして歩いている。老婆は丁寧に、頭を下げるイーヤ国式の挨拶をすると、


「どこからきんさったかね」と訊ねてきた。シャーリーリは自分の発音があまり上手くないのを知っているので、なるべくゆっくりと、


「メダルマから船でエルテラに向かう途中、船が難破して、義足も片方なくしてしまいました」

 と、そう答えた。


「メダルマ……エルテラ。ずいぶん遠くからきんさったねえ。そのカバンは、商売道具かね」


「はい。天球盤と書類が入っています。天球盤は記憶チップを抜いたので使えませんが」


「その、記憶チップとやらは、そのオートマタにつかったのかい」


 そう言い老婆は手のひらでザリクを指し示した。


「そうです。お詳しいですね」


「イーヤ国が国策として普及させようとしているからね。寒かったろう、焚火をしているから、それで温まりなされ」


 老婆が道を案内してくれた。砂浜を、ザリクの足がざくざくと踏みしめる。シャーリーリを背負っているぶん、ザリクの足跡は少し深くなる。


 林を抜けて村に入ると、焚火が燃えていた。わりと大きなものだ。ルルベル教徒の感覚で言うと、年に一度の焚き上げ祭のかがり火のようだ。ルルベル教徒は商売人や学者が多いので、年に一度、不要な書類をぜんぶ燃やすお祭りが行われる。たくさんの紙を、乾いた気候の土地で燃やすので、こんなふうに大きなかがり火になるのである。


 見ると、なにやら大きな葉っぱで覆い隠されたものがいくつかある。――人だ。難破船から脱出して小船に乗り込んで、助からなかった人たちを、浜から上げてきてこうして弔いの準備をしているのだ。この村の人たちはとてもやさしいのだな、とシャーリーリは思った。


「あの。義足は、浜に流れ着いておりませなんだか」


 シャーリーリが老婆に訊ねた。老婆は村の男になにか声をかけた。男は、まぎれもないシャーリーリの義足を持ってきたが、たった一晩海に漬かっただけなのに、義足はひどく錆びてボロボロになっていた。まあ高価な魔動義足だ、ちょっと扱いが悪いだけで故障するだろう。


 シャーリーリはため息をついた。これじゃあ歩くこともままならない。修理するにしても自分は技術者ではないし、この素朴な村に修理する技術があるとも思えない。


「あとこんなのも流れ着いてる」と、男は装束の、太い布のベルトみたいなものと服の隙間から記憶チップを取り出した。その記憶チップに、シャーリーリには見覚えがあった。ザリクにもともと差し込まれていた、大容量高性能の高級品だ。ちなみにいまザリクに差し込んでいる、シャーリーリの天球盤の記憶チップは、そこそこの容量と性能の普通のものだ。天球盤を動かすのに、そんなにうんと性能のいい記憶チップは必要ないからだ。


 その記憶チップをしみじみと見る。岩にぶつかりでもしたのかぐんにゃりと曲がっており、物理的に使うのは難しそうだ。シャーリーリはまたため息をついた。


 焚火で温まっていると、村の女が粥の入った椀をもってきた。


「お腹空いてらっしゃるでしょう。どうぞ召し上がってください」


 まるで貴人をもてなすような調子で女は言った。シャーリーリは椀と匙を受け取ると、それが戒律にひっかかるのかなど考えず、匙ですくって食べ始めた。


 食べたことのない魚の味がして、知らない香辛料や香味野菜がたくさん使われていて、シャーリーリはそれを夢中で食べた。食べ終わると寒かった体がすっかり温まるのを感じた。


 木々の隙間から射し込む太陽の光を浴びて、シャーリーリは髪を布で覆っていないことを思い出した。村の人たちの様子を見るが、エルテラからはるか東のイーヤ国では、女は髪を複雑に結い上げていて、髪を布で隠している女などいない。


 まあ髪を隠して死んでいるより、髪をさらして生きていたほうが、神様もお喜びになるだろう。シャーリーリはそう結論した。


 それからもう一つ気がかりなことがあり、シャーリーリはザリクに訊ねた。

「ザリク、あなたの動力はなんですか?」

「日光です」

 なんだ。心配しなくていいのか。シャーリーリは安堵した。


 粥を食べ終えて、シャーリーリは伸びをした。片足がなくなっているので、体のバランスがうまく取れない。後ろにすっこけそうになって、ザリクが支えてくれた。


 ザリクは問題が起こる前に助けてくれるのだな、とシャーリーリは思った。だとしたら、そうとうな高級品だ。それこそ、船の客が枢機卿がどうの、と言っていたことを思い出す。枢機卿が秘書替わりに使うとしたら、それこそ最高級のオートクルスだろう。


 まあザリクが枢機卿に仕えるのに使う記憶チップはもう壊れている。ザリクが枢機卿に仕えることはないだろう。チップから機密情報が消えてしまったのもありがたいくらいだ。


「お嬢さん、これからどうされるかね」


「この村から、エルテラを目指すことはできますか?」


「エルテラ……って、あの岩の……石切り場のエルテラ? まずはここは島だから、イーヤ国本土に渡って、わしの知っておる道だとそこからイーヤ国とシルワ国の間の海を渡って、そこからひたすら歩くしかない……船で大陸を回る道もあるか。いや。お嬢さん、お嬢さんはいわゆる貴い身分かね?」


「いえ。ただの貿易商です。葡萄酒を商っています」


「それで充分だ。この国のお方さまにお会いなされ」


「お方さま?」シャーリーリは首を傾げた。老婆は頷いて、

「この国を治めておられた、今は亡き大将さまの女房だよ。珍しもの好きで、西洋のものが好きで、面白いものがあれば金に糸目を付けぬお方だ」


「その、お方さまという方は、イーヤ国を治めておられるのですか?」


「いや。このミウの村をはじめとする、国の南半分を治める若大将さまの母親だ。若大将さまはまだ少年で、お方さまは若大将さまの面倒をみている」


 シャーリーリは貿易商をやっているのに他国の情勢を知らない自分が悔しかった。


「お方さまにお会いして、なにか西洋のものを献上すれば、エルテラまでの路銀を出してもらえるかもしれないよ」と、老婆は笑顔で言った。しかし献上するものなんてなんにもない。天球盤は記憶チップが普及しているらしいイーヤ国では珍しくないだろうし、ザリクを献上してしまったら結局帰れないのは目に見えている。どんなに性能のいい魔導義足でも、片足で歩くことはできない。


どうしよう、とシャーリーリは悩んだ。悩んでいる場合じゃないが、献上できるものが何一つない、と思ったそのとき、目の前に置かれた、一晩海水に漬かって壊れた義足が目に入った。


 そうだ。どうせ片足だけついていてもなんの意味もない。両足揃えて献上してしまおう。これはエルテラの錬金術ギルドに、シャーリーリの父親が大枚をはたいて発注したものだ。高度な技術で作られた西洋の品なのは間違いない。


 しかしそれは、エルテラまでザリクにおぶさって移動する、ということだ。そこを、ザリクの同意なしで決めていいのだろうか、とシャーリーリは思った。オートマタとはいえ、ここまで性能のいいものなら、別の考えを提案してくるかもしれないからだ。


「ザリク。わたしは義足を、ここのお方さまという方に献上しようと思います。そうなれば、わたしはずっとお前に背負ってもらって移動しなくてはならない。それでいいですか?」


 シャーリーリはザリクにそう訊ねた。ザリクは宝石の目をちかちかと光らせた。考えているということだろう。シャーリーリはザリクの答えを待った。


「シャーリーリの考えであれば、それを拒む権利は私にはありません」


 ザリクは表情を変えずにそう答えた。シャーリーリは、まるで大口の商談が転がり込んできたときのようなワクワク感を覚えた。そして、その日のうちに、船でイーヤ国本土に渡った。

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