3.
梅雨の雨がちょっと休憩しようとでも思ったのか、雨雲が太陽の鋭さに負けてしまったのか。あの日から一週間、雨は降らなかった。空梅雨だ。
灰白色ののっぺりとした雲の合間に青空が覗く空を何となしに眺め、雨降らないな、なんて思いながらミネラルウォーターを一口二口と飲む。
人間、食わずとも結構生きていけるものだけど、飲むことはしないともたない。じっとりと暑いこの季節はとくに、喉が渇いたと思う前に水分を摂取しないと。
「それにしても、限度があるよね……」
雨は降らないのに雲があるままだから蒸し暑いったらない。サウナにでもいる気分だ。
もう限界だ、と首の包帯を取って、こっちも限界だ、とコートを脱いで脇に抱える。
何か涼しいものでもないかと思っても、私の背中には墓石が、少し先の歩道は元気のない紫陽花があるだけ。
少しも弱まらない暑さにだらっと気を抜いていていると、コートのポケットが震えていることに気付いた。電話だ。一体誰から……と引っぱり出した携帯の着信画面を見て、気持ちシャキッと、顔だけは作ってみる。けど暑さですぐにだらっとなった。
どうせ見えないんだ。相手が社長だとしても気負う必要はない。
ピ、と通話ボタンを押して「お疲れさまです」と、声だけは『私仕事してます』感を出してみる。事務所にいないのだからサボってるのは丸わかりだとしても。
私が仕事をサボるのは常習といえば常習であるし、わざわざその事について指摘するほど社長も暇じゃあないだろう。となれば、私が必要な仕事の依頼が入ったとか?
果たして、社長が口にしたのは。
『ここ一週間、上の空だな』
前置きのない物言い。切り口の鋭さ。さすが社長。イチ社員の私へ身に余る心配りじゃあないか。「そうですか? いつも通りですよ」と電話口でおどけてみたものの、すぐにその笑いも引っ込んだ。社長はこういう手でどうこうできる相手じゃない。
「傍から見て変ですか、私は」
『どことなくぼんやりしているな』
「そうですか。うーむ」
………たすけて、と言われて助けなかった。気付かないフリをした。
いや、病院や施設から脱走したのなら悪いのは彼女の行動であり、その事に対して『助けて』と言われて、逃亡に手を貸すのなら、社会的には私は悪者だ。あの気付かない気遣いこそが社会的には正しかった。
あの日以来雨は降らず、雨が降らないせいなのかは分からないが、あれきり彼女は現れない。
どんなに美しく咲く紫陽花の前にも、今にも枯れそうに萎れた紫陽花の前にも、じっとその生き様を見つめる姿は見つけられない。
「大丈夫ですよ。次に雨が降ったら解決しますから」
『……何かあったら言うように』
「はーい。心に留めておきます」
そんな話をしたためなのかは分からないが、その日の午後、待望の雨がポツポツと路面を濡らし始めた。
うとうと寝かけていた私は、後悔するなよ、と言う懐かしい声で意識が醒めた。
頭上の木の葉に細かな雨が当たって弾けるのを確認した私は飛び起きて「じゃあねオダサク。また来る」足早に墓石のそばを離れて紫陽花が咲いている箇所を片っ端から見て回った。
しとしとと静かな雨が髪と肩を濡らす中、最初に彼女を見つけた公園に行くと、いた。また例の病院着姿で紫陽花の植え込みの前にしゃがみ込み、そういう生き物みたいに、じっと紫陽花の花を見つめている………。
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