無線を切った後で、北永は静かにため息を吐いた。


 対応が後手後手に回っていることへの苛立ちもそうだが、異能犯罪者の近くまで来ていながら、現場へ辿り着けないことが何よりの不満であったのだ。


『簡潔にお伝えします。ここに桐谷静一がいるかもしれません』


 月野から入った無線の内容はそれだった。情報ソースを聞き出すよりも先に通信は切られたが、彼女が誤報を流すとも思えないので、本来ならば一刻も早くサンシャイン水族館へ到達するべきなのだ。


 しかしそれは叶わない。出入り口に一般客が殺到していて、エージェントが軒並み避難誘導に駆り出されているからだ。


 シートに沈み込んだ北永は、しばし考え込む。


 村雨と滝川の通話内容からして、サンシャイン水族館内に異能者がいるのは確実。

 加えて桐谷静一についての情報もあるので、現在館内には早瀬悠希、滝川陽菜、異能犯罪組織の女、桐谷静一がいるということになる。もしかしたら、他に何人かいるのかもしれない。

 エージェントでない以上、敵と同数であるのは不利でしかない。そもそも2人は一般人であって、異能犯罪捜査課の味方として数えるつもりもないのだ。


 仮に水族館へ向かうとして、一体どれだけの人員を割けよう。瀬野を中心に多くのエージェントが避難誘導をしており、月野も応援に向かった。

 轟が命令通りに動くとも思えない。北永自身が動いたら指揮系統が乱れるし、指揮権を委託できる相手もいない。


「……」


 2本の指で顎を挟みながら、北永はフロントガラスの向こうを眺めた。

 池袋の裏路地に停まる覆面パトカーからでは、大した景色は見えない。大規模な花火大会が開かれるからか、ここにいる人は多くないらしい。人の気配のないことが、街並みの殺風景をより強くしているみたいだった。


 外気を取り込もうと窓を開けた、その時。


 ハッとするような鋭い悪意を感じ取って、咄嗟に上体を逸らした北永の、すぐ目の前を空き瓶が横切った。

 クルクルと回転しながら飛ぶ空き瓶は、運転席を横切って助手席側の窓を突き破り、路肩のビン用ゴミ箱に吸い込まれていく。


 北永はうんざりしながら車を降りて、悪意を感じる方へ顔を向けた。案の定そこには、こちらを睨む何者かが立っている。ストライプ柄の青いカジュアルスーツを着た、爽やかな笑みを浮かべる男だった。


「いま機嫌悪いんだけど」


 嫌悪を剥き出しにして北永は言う。怒りでも敵意でもない、不必要な妨害を食らったことに対する嫌悪だ。


「知ったこっちゃない」


 爽やかな風貌の男は、見た目に反して粗野な口調と言葉遣いで答える。


「お前、異能犯罪捜査課だろ?」

「だったらなんだ?」

「用件があるんでね」


 男はスタスタと詰め寄って来た。北永は小さく拳を握り締める。


「やる気か?」


 口を開くと同時、男が空気感を強張らせた。


「ああ。殺す気でいる」

「そうか。やってみろ」


 言葉を交わし終えると同時、2人の拳が交錯した。


   ☆


 滝川陽菜は無人の喫茶店へ逃げ込んでいた。正確に言えば単に逃げたのではなく、反撃に繋がるキッカケを求めて来たのだ。


 キッカケはなんでもよかった。絶好のタイミングでも、強力な武器でも、増援の到着でも。


 逆に言うと、具体的な見通しがあるわけではない。

 人に躊躇なく刀を振るう相手が隙を見せるとは思えないし(見せたとしても簡単に突けるものでもあるまい)、水族館内のカフェに有用な武器があるはずもない。現実的な解決策は応援の到着だが、果たして異能に理解のある者が到着するだろうか。一般客が退避しているところを見ると、既に警察への通報は済んでいるかもしれない。

 しかし、異能犯罪捜査課は来ないだろう。村雨に手出し無用と告げてしまったばかりだ。


 無論、後悔はしていない。不確定要素を求めるという経験に乏しい滝川は、むしろ未知への期待で満ち満ちていた。


 店内のバックヤードを探ってみるが、目ぼしいものは見当たらなかった。資材棚には図工の授業でなら活躍しそうな程度の物資しかなく、冷凍庫の中も食材ばかりだ。


 ドライアイスもペットボトルもないので、簡易爆弾も作れない。強アルカリ性の洗剤がいくつかあるものの、塩酸ほどの威力は生み出せそうにない。飲食店は触れただけでダメージを与える劇薬を置かない。


 バックヤードは諦めて、バリスタマシンやオーブンなどが置いてある調理場へ出た。

 材料や器具を検分しながらキャッシャー台まで辿り着いたとき、ふとメニュー表が視界に入った。


「そういえば……」


 滝川は思わず呟いた。一瞬の閃きを具体的に構築していき、実現可能であることを確信する。


 最終手段ではあるが、反撃の一手になり得る手段かもしれない――

 そのとき、ガシャンッ! と派手な音を立てて店頭ガラスが割られる。

 見ると、砕け散ったガラス片を踏みしめる、眼鏡を掛けた長身の男がいた。傍らにはオドオドした様子の少女が控えている。


「おー、いたいた」


 男が剽軽な声で言った。


「あんた、滝川陽菜?」

「あなたは?」


 滝川もまたルンルンと楽し気に言う。


 2人の醸す空気感があまりに緩やかなので、外で仲間が殺し合ってる者同士の対峙には到底見えなかった。

 田中からは、数的優位の余裕も達人が味方であることの慢心も感じられない。滝川も極めて冷静な態度でいて、孤独であることの焦燥は一切見られない。


 しかし、どこか不安定。滝川陽菜には珍しく、普段の完璧な調和や超俗的な冷静といったものがわずかに崩壊している。


「新井樹」

「あなたも?」


 滝川は目を見開いた。新井樹という人物を知っていながら、彼もまた新井樹であると信じ込まされたかのようだった。

 しかし、


「嘘だよ」


 田中が即座に否定する。


「あら……それがあなたの異能?」


 笑顔を崩さずに尋ねる滝川の内心は、認識を強制させられたかのような不快感で満ちていた。


「敵に手の内教えるわけない」


 ニヤリと笑って見せながら、田中は不敵に告げる。


 彼の異能は、法螺話を強制的に聞かせて信じさせるというもの。1分間という効果時間の制限があるものの、舌先三寸の彼が扱えば洗脳に近い効果さえ発揮する。1分間だけ有効な、瞬間風速的洗脳。

 通称、『舌根の疼きエイプリル・フール』。

 たとえ滝川陽菜と言えども、異能のチカラが働けば嘘を信じざるを得ないのだ。


「あんまホイホイ名前教えらんないんだよ、最近物騒だから」


 同意を求めるような色合いさえ含みながら、田中は剽軽な調子を崩さずに言う。滝川は潔くしてやられたことを認めて、諦めたように息を吐き出した。


「でも私の名前は知ってるんでしょう?」

「な、物騒だろ?」


 たしかに、と言って滝川は顔を綻ばせる。チラリと田中の背後で繰り広げられる戦いの様子を窺ったが、振るわれた刀を早瀬は辛うじて防いでいたので、ホッと胸を撫で下ろした。

 視線を田中に向け直す。


「彼を止めなくていいの?」

「本当は止めないといけないんだけどな」

「止められないのね?」


 田中は否定も肯定もせず、ただ吐き捨てるように笑った。意図を察した滝川は、次に三木明里を見る。


「さっきぶりね、お嬢さん」


 柔らかな口ぶりを用いて声を掛けると、三木はほとんど睨むような目つきで見返した。ただしその目が何かを語るようなことはなく、三木自身が喋ることもない。


 何を考えているのか分からないのではなく、何も考えていないタイプだろう。滝川はそんな推測を立てた。


「こいつ人見知りなんだよ」

「見れば分かりますよ」

「桐谷も喋ることがないって困ってんだ」

「その桐谷君のこと、ちょっと聞きたいんだけど」

「答えられる範囲で」


 平静を装って肩を竦める田中だが、質問の内容はおおよその見当が付いているらしかった。


「彼とはどういう繋がりなの?」

「友人、と言っておく」

「じゃあお友達だとして、アレはどういう状況?」


 言いながら滝川が視線をズラすので、田中はやれやれとため息交じりに振り返る。

 目を逸らしていた屋外テラスの光景。そこでは、まるで猿のように日除けに登る早瀬を、桐谷がジッと目で追っていた。まるで小動物を捉えた捕食者のように。

 もう一度田中はため息を吐き、滝川に向き直る。


「衝動的なんだよ、桐谷クンは」

「あら奇遇ですね。うちの早瀬くんもよ」

「じゃあお宅にも責任はあるって?」

「でも司法は私たちの味方ですもの」

「外道だな」

「人の振り見てなんとやらですよ。そんなことより、いいんですか? ここで時間使っちゃって」

「なに?」


 滝川はキャッシャー台に手を突き、余裕綽々の態度を見せる。

 彼女の物言いに、チラチラと後方の様子を気にしながらも、田中は眉をひそめた。


「もうすぐ警察が来るんでしょ? 逃亡する算段でもあるのかしら」


 田中は小さく舌打ちした。

 その様を見て滝川は人知れず抱いていた懸念をほんの少し捨て去り、しかし優勢には未だ程遠いので気を緩めることはない。


「私たちは満足に反撃できないから、殺すのも捕らえるのも簡単でしょうけど……最後に不利になるのはそっちじゃない? あなた達がするべきは、今すぐにここを離れることだと思うんだけど」


 返答がないのを好機と見て、滝川は畳み掛ける。時折早瀬の安否を確認しながら口を動かし、言い終えた後で、思わず目を見開いた。


 早瀬が、斬られている。

 

身体を斬りつけられて、血だまりの中に倒れている。


「ッァ……!」


 声にならない悲鳴を上げ、全身のあらゆる機能が停止する。


 突然手数の止まった滝川を訝しんだ田中は、彼女に釣られて背後を振り返る。

 そして早瀬悠希を斬り裂いた桐谷を確認し、味方の確定的な勝利に笑むことはなく、また呆れたような態度も見せず、ただ無感情に血みどろの画を眺めるばかりであった。


 店内の方から物音がして視線を戻すと、キャッシャー台の前にいたはずの滝川がいなくなっている。

 慌てて置くまで探し、やっと見つけた滝川は、屈んだ姿勢で厨房の小棚を漁っていた。


「お前」


 なにしてんだ、と尋ねるよりも先に滝川が液体を撒き散らす。

 田中は頭からそれを被って、べた付く衣服に顔を当てるとアルコールの匂いがした。


「できることなら使わずにいようと思っていたの」


 カウンター越しに滝川が言う。


「でも手段を選べなくなったから」


 田中が怪訝に思うと同時、機材に隠れる彼女の手元でシュボッと不吉な摩擦音が鳴る。本能的に跳び退いた数瞬の後、アルコールを伝ってメラリと炎が燃え上がった。


「おまえ正気か!?」


 炎の向こうで虚ろに揺らめく滝川を懸命に捉えながら、田中は怒鳴りつけるように言った。入り込んできた熱気に喉元が焼かれ、激しく咳き込む。


「正気よ。正しい意味でね」


 火の粉の弾ける音と大気をくぐもらせる熱波の充満する店内で、滝川の声はまるで天啓のように響き渡る。


 三木の手を引いて逃げ出す田中の方へ、アルコール飲料の入ったガラス瓶が投げつけられた。

 瓶は直撃するよりも先に床で砕け散るが、床に飛び散る液体は火炎を手当たり次第に導く。


 炎は追い縋るように田中のもとへ這っていき、彼は嘘吐きの異能を行使する余裕もない。

 生命の危機さえ感じながら店を出た田中と三木を、滝川は悠々と追う。燃え広がる火炎も介さず、それどころか灼熱を感知していないかのようだ。


「その炎がお前の異能ってワケか?」

「いいえ」


 滝川は首を振った。


「異能力は工夫次第で覚醒し得るってことよ」


 彼女の異能力『完全防水皮膜モイストプロテクト』は、全身を覆う皮膜によってどんな液体にも濡れなくなるというもの。 

 例えばそれがアルコール飲料だったとしても例外ではない。全身に被ったとしても皮膜に付着するばかりで、滝川陽菜自身は一切濡れないのだ。


 その状態――つまり滝川の表層上に引火性の高い液体が付着している状態で、炎の中に飛び込むとどうなるか?


 その答えが、火傷どころか衣服の焦げすら一つも見られない姿である。アルコールによる引火性質は滝川を覆う皮膜の上で発揮されるものであり、導かれる火炎も皮膜の上でその燃焼を終える。


 炎を炎たらしめる燃料に濡れなければ、炎そのものが滝川に達することはない道理。


「どういうつもりか知らんが……」

「知らないままでいいわよ別に」


 言いかけた田中の言葉を、滝川はピシャリと遮る。避けようのない落雷のように。


 威圧さえ媒介しない強大な雰囲気に気圧される田中を素通りし、また背後で燃え盛る火炎を気にも留めず、滝川はスタスタと真っ直ぐに歩みを進める。


 やがて彼女が足を止めたのは、返り血で半身を染める桐谷静一の眼前であった。あるいは、足元に倒れ込んでいる早瀬悠希の傍ら。


「なんだよ」


 自身の肩くらいにある滝川の目を、桐谷は真っ直ぐに覗き込んだ。

 視線は下がっているはずなのに、どうしても下を見ている気がしない。


「一度しか言わないから」


 滝川陽菜はゾッとするような声色で言った。


 対峙する桐谷はあくまで平静を保っているが、自身の纏う達人の如き雰囲気に怯まない滝川を警戒する心持ちも同時にあった。


 究極的な武道の達人と、神々しい知能を持つ少女。


 常人からは果てしなく遠い次元にある対峙は、恐ろしく静かな数瞬を過ごす。


「早瀬くんから手を引いて」


 やがて滝川が言った。


「そのつもりだが」


 桐谷は短くそう告げると、刀の消滅した両手をヒラヒラと上げる。


「もう用件は済んだ」

「だったら今すぐ消えて」

「消えたいのは山々だが……お前らの呼んでくれたケーサツ、苦手なんだ」

「だったら上手いこと逃げればいいでしょう?」

「逃げろって?」


 ハ、と桐谷は吐き捨てるように笑う。


「犯罪幇助って奴か?」


 今度は滝川が笑う番だった。


「遠回しに捕まれって言ったのよ」

「バカ言ってんじゃねえよ」


 先ほどとは打って変わってドスの利いた声を発して、桐谷が虚空を振るう。次の瞬間には刀を握っている。


「随分と乱暴な異能力ね」

「余計なお世話だよ」

「異能力は生活をちょっと便利にする程度のもの、っていうのが私の中の定説なんだけど」

「どうでもいい」

「刀で人を斬るのって、あなたにとっては日常の延長線上なのね」


 滝川が簡潔に告げた、次の瞬間には、桐谷が間合いを取っている。右手に握る刀をひと振りするだけで、首を撥ね飛ばせる程の間合い。


 必殺の距離を生み出した桐谷を、滝川は認知することもできなかった。

 彼の一挙一動を注意深く観察し、足の向きや視線の方向に気を配って、それでもなお動きを追い切れなかった。予備動作すらなかった。


 頭脳や心理では抗いようのない、圧倒的な戦闘能力の差。


 首を撥ね飛ばされる数秒前になって、ようやく桐谷の姿を捉えた滝川の取った行動は、ベージュのライトアウターを脱いで精一杯刀に被せることであった。


 ひ弱な衣服と鋭利な刀が交錯し、刀の方が消滅する。

 舌打ちして再び刀を生成する桐谷の下で、上目がちに敵を見据える滝川は微笑みを零す。


 再び刀を握った桐谷は、下段の構えから斜めに斬り上げる。しかしそれもライトアウターが軌道を遮り、刀身からたちまち消滅していく。

 

 再び、刀の生成。上段の構えから振り下ろされる刀は、ライトアウターに触れるだけで雲散霧消する。消え去っては生成され、衣服と交錯した後に消滅する。

 奇妙な乱打戦はしばらく続いた。


「気付いてる?」


 1歩下がって距離を置いた滝川が口を開く。


「何がだ」

「じゃあ教えてあげる。あなたが異能で作る刀、きっとヒトしか斬れないよ? でなきゃ、こんな服一枚で防げないもの」

「……いつまでも防ぎ切れると思うか?」

「いつまでもここに警察が来ないとでも思う?」


 ようやく、桐谷が動揺を見せる。目を見開いて歯軋りする彼を放って、滝川はクスクスと笑いながら続ける。


「あなたの異能は単なる刀の生成じゃなくて、人を斬ることが目的の刀を生成する、条件付きのもの。だからこうやって、上着を脱いで翻すだけで、簡単に盾代わりになっちゃうのね」

「黙れ!」


 桐谷が吠える。空砲の如き怒声。質量を伴わない衝撃波。相手が常人であれば、それだけで尻餅を突かせる大声。


 相手が常人であれば。


 あらかじめ耳を塞いでいた滝川は、睨み付ける桐谷に笑顔を浮かべて見せる。こんな滑稽なことで防げるものであると、言外に主張するように。


「そんなダメな異能でもないわよ。服の上からでも斬れるんだから、素肌を狙う必要がないだけマシじゃない? きっとあなたが、衣服込みで相手をヒトと認識しているからだと……」


 彼女の言説は最後まで発せられなかった。大きく踏み込んだ桐谷が、異能で生成した刀で鋭い突きを繰り出したからだ。


「だったらお前の弱っちい盾までヒトと認識するまでだ」


 爆発させるように言う桐谷は、自身の言葉が負け惜しみに近いことを自覚していた。


 人体を刺した感触がない。


 滝川陽菜を貫けてはいない。


「難しいでしょう、心の底から認識を変えるのって?」


 ベージュの上着を両手で広げる滝川はやはり無傷。

 真っ直ぐに突き出る刀は、彼女の身体に到達するより先に衣服の障壁に当たって、消失する。


 滝川がクスリと笑った。


 ここに来て初めて、桐谷静一が追い詰められる。

 しかし、


「はいそこまでー」


 横槍を入れる、剽軽な声。

 桐谷から距離を取りつつそちらを見ると、意識を失う早瀬の傍らに田中が立っていた。桐谷の太刀筋を捌く内に、彼のもとを離れてしまっていたのだ。


「早瀬くんから離れて!」


「そうだな」


 と田中は顎をさする。


「交換条件が必要だな」

「なにがお望み?」

「じゃあ……とりあえず俺らについて来い。あ、あと警察を帰らせろ」


 落ち着き払ってゆったりと話す田中の顔を、滝川はジッと見つめていた。悔恨も憎悪も見られない、真意の不明な面持ち。


 やがて彼女がゆっくりと頷きかけた、そのとき、



「そこまでだ!」



 新たな誰かの声が、屋外テラスに響き渡った。

 植物的な装飾の施された通路とは逆、ペリカンたちの水槽を潜ってやって来た彼が、その場にいる全員の視線を引く。


 現れたのは、両手に拳銃を構えた若い男。切れ長の目、厚い唇、柔和な顔立ちの割に大柄で、制服を着崩した、若いエージェント。


「あなたは?」


 誰よりも先に疑問を投げかけたのは滝川だった。


「警視庁異能犯罪捜査課、轟豪だ」


 誰に向けるでもなくスラスラと告げながら、轟は全員を射程範囲内に収める。


「撤退だ」


 いち早く口を開いたのは田中だった。彼の陰に隠れる三木が反論するはずもなく、桐谷も観念したように頷く。


「みすみす逃がすと思うか?」


 轟は銃口を田中に向けて言った。


「そこの死にかけを放置して、賢い女も連れて、それでも追いかけられんなら。やってみろよ」


 自分のペースを崩さずに言い放つ。

 ギリリ、と静止する轟に畳み掛けるように、田中は口を開いた。


「あ、もうちょいで爆発するから気を付けろよー」

「な……!」

「爆発物は本当だったのか!?」


 滝川と轟が驚愕を露わにすると同時、田中らが一目散にエレベーターホールへ駆け出した。


「嘘だよ!」


 田中の言い残した言葉はソレで、エレベーターの扉が閉じると同時に『舌根の疼きエイプリル・フール』の洗脳が解ける。

 

 途端、滝川が早瀬の元へ駆け寄った。


「まだ息がある」


 呟きながら応急処置を施していく滝川を横目に、轟は医療班を要請する。

 エージェントが到着するのは、それから数十分経過してからだった。

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