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 7月27日、19時頃。


 顔面に痣のある海野遥也うんのはるやが運転する車に、田中、桐谷、三木が同乗していた。

 池袋の裏道を巧妙に巡り、山手線沿いを南下中。道路は比較的空いていて、東側へ向かう道路が混雑している以外、快適に進めていた。


「田中さん顔割れちゃいましたね」


 ハンドルにもたれて信号待ちする海野が、助手席を向いてヘラヘラと言う。


「な。これからどうしよ」


 リクライニングを倒して後頭部に手を回す田中は、言葉とは裏腹に微塵も困惑していなさそうな口振りだ。


「仕方ないんで退社じゃないですか?」

「そうなると監視役が誰かに代わるわけだが……」


 チラリとルームミラーを見やる。

 後部座席にはぼんやり外を眺める桐谷と、ジッと足元を見つめる三木がいる。例の如く2人の間には会話がない。


 重々しい雰囲気が背後から漂って来るので、田中は彼らから意識を逸らした。


「今回はだいぶ痛手ですね」

「新井の敵討ちって意味じゃあ収穫だ」

「あんな奴の仇だなんて、反吐が出る」

「随分と嫌われてんな。今頃留置所で泣いてるぞ」

「とにかく、アジトに帰って作戦会議ですよ。田中さんも動きにくくなるし、三木の保護も進めたいし、何より……」


 今度は海野がルームミラー越しに見やった。相変わらず桐谷は窓の向こうを眺めていて、海野は少しの間彼の顔を眺める。


「桐谷クンも正式に仲間入りだな」


 田中が口を開く。桐谷は何も言わないままで、ただゆっくりと首を縦に振るばかりであった。


「頼もしいね」

「そういやお前は何してたん?」

「あぁ、僕ですか」


 次に田中が注目したのは、ハンドルを握る海野だ。



 同日同刻。


 池袋の裏路地に停めた覆面パトカーにて。運転席でダラリと沈み込む、北永小太郎の姿があった。そして車両の正面には村雨隆が立っている。

 運転席の方まで歩み寄ると、ガラスを叩いて窓を開けさせた。


「指揮権はお前のはずだろ?」


 顔を合わせた村雨が一番に発した言葉はそれだった。


「ええ」


 北永は力なく肯定する。


「だったらどうしてそんなボロボロなんだ?」


 質問に困窮する北永の顔には、あちこちに傷や痣があった。口の端が切れて血が流れており、左肩をずっと押さえている。

 北永は顔を逸らし、それからポツリと言った。


「連中の仲間から妨害を受けました」

「それで?」

「黙って殴られ続けてでも、指揮を続けるべきだったかもしれないですが……」


 言葉を切った北永は、続きを言う代わりにトランシーバーを掲げて見せる。液晶部分が割られ、通信アンテナが折られている。


「なるほどな。相手についての情報はどこまで得た?」

「なにも。名前も異能も不明のまま。車載カメラも破壊されたので、顔を割り出すのも不可能です」

「どこへ逃げた」


 北永は首を振った。

 そうか、と村雨は諦めたように呟く。それから自身のポケットを探ると、指の腹よりも小さなICチップを取り出した。


「こんなものまで取り付けておいて、組織を勝手に動かして、収穫ゼロってわけか」


 チップを握りつぶしながら言う村雨に、しかし北永は何も言わないままだ。村雨はため息を吐いて、ガコンと車体にもたれる。


「お前の処罰は減給だけにしておく。降格にも謹慎にもしない。その代わりに特務を言い渡す。異能犯罪捜査課の任務には携わらせない。いいな?」


 思わず北永は村雨の顔を見た。その表情から何も読み取れない。失望も怒りもなければ慈悲や優しさが見られることもなく、しばらくの間驚きに目を見開く程であった。


「どういうつもりですか?」


 何とか発した言葉がそれだった。


「2度も言わせるな。お前の処罰は減給と特務の司令だ」

「……了解」

「ただし、結果を残せ。できなければ今度こそ、降格処分を検討する」

「了解」


 今度は芯のある声で返事する。

 一種の敗北感を感じながら運転席のシートに沈み込み、ふと疑問が浮かんだ。


「村雨課長は何を?」



 数時間前。


 村雨隆は、神保町にある雑居ビルの一室に足を運んでいた。

 小さな会社であればオフィスを構えられるような部屋を、丸々個人の仕事場にしている。家主の性格もあって最近は自宅を兼ねているものの、一個人が使うにしては手持ち無沙汰になりそうな空間だった。


「お前が味方になれば楽なんだがな」


 デスクに向かってガリガリとペンを走らせ続ける家主の女に、村雨は半ば諦めたような口調で言う。


「お断り」


 女は簡潔に返答した。途端、村雨の中で「女が味方になることはない」という常識が生まれる。

 彼女の拒否が至極当たり前な自然の摂理であるかのように。


「分かってる。ただ、お前の異能は群を抜いて強力だから……」

「馬鹿なこと言ってんじゃないわよ」


 ピシャリと女が言い放ち、村雨は即座に口をつぐんだ。女はそれ以上何も言わずに手を動かし続け、村雨も何を言ったものかと熟考に耽る。

 沈黙の末、口を開くのはやはり村雨から。


「味方に付けとは言わない。だがせめて、敵ではないと証明してくれ」

「私にどうしろっての?」

「異能者登録をするだけでいい」

「どうせ私の個人情報は掴んでるんでしょ? 気持ち悪い」

「名前と職業と住所くらいだ。異能犯罪捜査課(おれら)にとっちゃ、なんの価値もない」

「だったら何が欲しいのよ」

「お前の異能力について、あらゆる情報だ」


 何か答える代わりにため息を1つ吐き、ペンを置いた女――真白市子ましろいちこは村雨の方に体を向ける。


「簡単に知れるわけないでしょ」


 真白は吐き捨てるように言った。

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