村雨と滝川の通話を盗聴していた北永は、始終を聞く間ずっと握りこぶしを震わせていた。

 通話が切れるや否や、異能犯罪捜査課内へ指令を出す。


「いま手の空いてる者は全員池袋に向かうぞ。異能犯罪者が出没しているとの情報が入った。指揮は俺が執る」


 大股でオフィスに入りながら告げる彼に、真っ先に反発したのは若いエージェントであった。


「しかし村雨さんは……」

「村雨課長は不在だ。指揮権は俺にある」

「ですが」

「行動が遅れて一般人に被害が出て、お前が責任取れるのか轟?」


 鋭い視線を向けられたエージェント――轟豪とどろきごうは口をつぐむ。

 たしかに村雨から待機の指令は出ていないので命令違反にはならないし、異能犯罪捜査課トップが特務で不在のいま、指揮権は副課長の北永にある。


 何か言い返せるような大義も存在しなくて、轟は押し黙るしかなかった。


「情報源は?」


 助け舟を出したのは轟の隣にデスクを構える、彼と同世代のエージェント、月野明つきのあきら


「一般からの通報であれば、既に後手ではないでしょうか?」

「……犯行声明が来たんだ。組織の方からな」


 北永は注意深く言葉を選んで答えた。嘘を吐く罪悪感よりも嘘を隠す慎重が勝っていて、その勝負をも悟られないように。


「池袋で、ですか?」


 質問を重ねながら、月野は眉をひそめた。


「どんな内容でしょうか?」

「ちょうどさっき電話があった。なんでも、サンシャインシティに異能で生成した爆弾を設置してあるらしい」

「でんわですか」

「ああ。向こうが挑発してきた以上、不服だが乗っかるしかない。……たとえ罠だったとしても、我々には秩序を守る義務がある。異能という不可視の存在を認識できる異能犯罪捜査課われわれにしか務まらない義務だ」


 大至急向かうぞ、と北永は虚空を睨んで言った。


 異能犯罪捜査課の副課長、北永小太郎きたながこたろう

 彼が信じているのは村雨隆でも己自身でもなく、警察官として守るべき秩序ただ1つであった。元来正義感の強い性格――と言えば聞こえはいいが、言い換えれば独善的でもある彼は、メルボルン大学への留学経験があるほど法学に明るい。

 故に司法の不完全さを理解していた。そして同時に、司法という呪縛から逃れるにはあまりに社会は後進的過ぎることも。


 泣いている子どもに同情することは許されない、子どもに非があるのかもしれないから。


 冗談など言わず口を慎まなければならない、冗談で傷つく誰かがいるのかもしれないから。


 客観性や仮定といったものを無限大に想定し、結果としてそれが枷となって、常識的な正義などという不確定なものを排斥していく。しかし広大過ぎる社会を平定するのには決して欠かせず、人々を無情に規定しながら存在し続ける。


 司法はあまりに不完全で理不尽だが、結局は司法にすがるしかない。それだけが秩序を守る唯一の方法であるから。だからこそ、警察は冷酷に徹してでも司法に基づくべきだ。


 長いキャリアを歩んできた北永の、正義に対する答えがそれだった。


 しかし彼の取り扱う異能力という存在は、司法ですら手に余る代物。

 それでもむしろ北永は、異能犯罪を現行法の枠組みに納めるべきだと考える。それは異能に気付ける自分たちにしか成し得ないことであって、たとえ非道であろうが貫くべき正義であると信じていた。


 故に、彼は許せないのだ。

 異能犯罪捜査課でありながら、警察の人間でない他人(それも大学生の若い女)に情報提供し、あろうことか捜査権に干渉させようなどということが。

 

 村雨が唱える正義の緩いことが。


「異能犯罪組織……ふざけた連中だ」


 警視庁地下駐車場へ向かいながら、北永は独りでに呟いた。


 誰もいなくなった異能犯罪捜査課のオフィスでは、轟豪が私用のスマホで村雨に連絡を取っていた。


「北永さんが無断で動きました」

『……そうか』


 しばらく黙り込む気配。

 やがてゆったりとした重低音が響いて、


『お前は滝川と早瀬の保護を最優先に動け。早瀬のことはよく知ってるだろ?』

「了解です」


 通話を終えて、轟は深くため息を吐く。

 それからネクタイを締め直しつつオフィスを後にしようとし、出入り口にもたれている月野明に気付いた。


「僕といると、北永さんに目を付けられますよ」


 うんざりしたように轟が言うと、月野は首を横に振る。そしてフッと口元を綻ばせて言った。


「助手席。乗せてってよ」


 轟もまた、口元を綻ばせて答える。


「高くつきますよ」


   ☆


「随分と部下に慕われてんのね」


 村雨が通話を切るなり、彼女は皮肉を言った。


「俺が望んでるのは従順な犬じゃない。信念のあるエージェントだ」


 メラリと拳を握り締める村雨の方を振り向きもせず、「よくそんな恥ずかしい台詞を」と呟く。


「とにかく、いよいよ敵も本格始動というわけだ。お前が味方についてくれれば……」


 最後まで言い切れない村雨を、やはり彼女は一瞥もしない。

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