異能の力。

 そう聞いて連想するものはなにか。

 例えばテレポート、サイコキネシス、パイロキネシス、テレキネシス、メンタリズム。そういったものだ。


 しかし現実は違う。正確には、滝川が聞いた見解とは異なる。

 曰く異能の力とは、

 日常生活を便利にする程度のもの。ふと喉が渇いたとき、そこに目当ての飲料を売っている自販機があったら? 傘を忘れた雨の日でも水に濡れなかったら? 花粉の多い時期に植物を枯らせられたら?


 そういった小さなタラレバを実現する、小規模で手軽な存在。異能の本質はそれであると、滝川は常日頃から言っていた。


「覚醒して強くなれば世界征服とかできるかもね」

「覚醒とかあるんですか?」


 滝川は肩を竦めた。理解が追い付かないので、早瀬は何も言わなかった。


「それはそれとして、お相手さんがどんな異能か考えないと」

「携帯バッテリーが爆発する能力、ですか」

「うん……」


 しばらくの沈黙が訪れる。


「じゃあまず、携帯のバッテリーに使われているリチウムイオン電池の話をしよう」

「はい」


 はい、とは言ったが、早瀬は携帯のバッテリーのリチウムイオン電池が何かイマイチ分かっていない。


「あれは化学反応を用いて電気の充電と放電を繰り返し行なえるものなんだけど、不安定なのが玉に瑕なの。一定の電気をブレ幅なく流し続ける必要がある」

「へー」


 早瀬は考えることをやめた。


「サムスンの爆発事件は覚えてる?」

「旅客機の中でケータイのバッテリーが火を吹いたって事件でしたっけ? 割と昔のことですよね」

「そう。原因は気圧の変化によって電池が不安定になったことって言われてるの」


 ちなみにアレは2年前のことよ、と滝川は付け加える。

 早瀬は山道で凹んだり膨らんだりするペットボトルを思い浮かべていた。近い気もするし関係ない気もする。


「携帯のバッテリーって案外脆いから、長く使っていれば膨らんだり充電できなくなったりするのね。逆に言うと、劣化したバッテリーにわざと不安定な電気を流せば……」

「爆発する?」


 その通り、と滝川はニコニコして見せる。


「そうなると、太っちょさんの能力は電気を流すものだよね」

「電気を流す異能……10万ボルトとかレールガンみたいな?」

「いや、もっと具体的で小さな能力はなず……例えばそう、『充電』とかね」

「バッテリーを充電する能力、ですか」

「そんなところね。さしずめ……」


 滝川は黒板に何やら書き込む。


携帯充電リチウムチャージャー』。


「さて、犯人は能力者。能力も分かった。警察は頼れない。犯行の目的は達成されていない。それじゃあ、後は反撃するだけだね」


 いかにもウキウキした様子で滝川が言うので、早瀬も「そうですね!」と返事してしまった。


   ☆


 そうですね! とは言ったものの、やはり早瀬は戦いたくなかった。


 ケンカはしたことがないし――8歳の頃やっていた戦いごっこを含めれば多少経験はあるが――異能力同士のバトルに至っては自販機vs爆発するバッテリーである。勝ち目はあるまい。


「そんなわけでやって来ました」


 早瀬は万世橋警察署にいた。

 確かに異能力が絡んでいる以上、一から十まで説明することも理解してもらうことも叶わないだろう。しかし爆発物で襲撃を受けたのは事実だ。


 つい最近世田谷の警察署が襲撃されたとかいう事件もあったが、やはり犯罪事件に巻き込まれると頼りたくなるのが警察である。


「えっとつまり、爆破寸前の携帯バッテリーを投げつけられたと……?」


 受付の婦警は訝し気に要約した。早瀬はこっくりと頷く。要旨が誤解なく伝わっていて安心した。


「しかも他人の大学に忍び込んでですよ?」

「そうねぇ……とりあえず確認なんだけど」

「はい」

「あなたは高校生なんでしょ?」

「そうですね」


 と答えてからギクリと思った。


「学生でもないのに大学へ入るのは、法律的にグレーゾーンね」


 諭すように婦警が言うので、早瀬は素直に「すいません」と謝る。滝川のことについても話したので、やましい意図のないことは伝わっているはずだ。


「今度からは気を付けてね」

「はい、ありがとうございます」

「で、肝心のバッテリーのことなんだけど。最近都内で小規模な爆発事故が流行ってるのは知ってる?」

「あーはい、聞いたことくらいは」

「よかった。特に多いのが秋葉原や神田の辺りなんだけど、その大学っていうのはどこにあるんだっけ?」

「神田です」

「うーん、神田ねぇ」


 短く唸った後で、婦警は手元をガサゴソと漁って何枚かの書類を取り出した。そこに何やら書き込みながら、


「とりあえず、このことは署内で共有しておきます。ちょっと無関係とは思えないし、場合によっては警視庁全体へ話がいくかも。もしかしたら、後日改めてお話を伺うってことになるかもしれない」

「はい、了解っす」

「神田と秋葉原の警備は強化するよう要請してみます。君の先輩が通う大学も対象にしましょう。そんなところで大丈夫?」

「はい、ありがとうございます」

「礼儀正しいね。いま警視庁は大忙しだから、一から十まで付きっきりにはなれないと思うけど、あなた方に被害が出ないよう尽力します」


 それから早瀬はいくつかの書類を渡されて、様々なことを書き込んだ。自分の個人情報や、破裂するバッテリーを投げ込まれたときの詳しい状況。

 滝川のことは書き過ぎても良くないとのことで、改めて話を聞くということになった。


「不安なら家まで送るよ?」

「大丈夫です。ありがとうございました」


 婦警は親切に申し出たが、警察が頼れると知って急激に安心感が湧いてきた。根拠のない安全への信頼を持った彼は、足取りも軽やかに警察署を後にする。パトカーに乗ってみたい気持ちはあったが、それよりも先にしたいことがあったのだ。


 万世橋警察署を出て秋葉原駅へ向かう間、早瀬の頭は滝川陽菜のことばかり考えていた。

 しかし片隅のどこかで、あのカバに似た顔がこびりついて離れなかった。




 滝川が出たのは、数コール程度鳴らしても出ないので諦めて、5分ほど置いてからもう1度鳴らした6コール目だった。


「珍しいね、電話なんて」


 初めて耳にする電話越しの滝川は、驚くほど俗っぽくて人間的な声を発した。

 伸びやかに聞こえるイントネーションやフワフワと軽やかな話し方は健在なので、別人というほどではない。しかしホンモノには遠く及ばない。


「どうしても伝えたいことがあって」


 言った後で早瀬は、これじゃあまるで告白するみたいだなと苦笑する。表情の見られないことが救いに思えた。


「なんか告白みたいだね?」


 咄嗟に早瀬はキョロキョロと辺りを見回すが、最寄り駅からの家路に滝川がいるはずない。思わず安堵の息を吐く。耳に当てたスマホの向こうで、クスクスと笑う声が聞こえる。


「まったく……からかわないでくださいよ」

「ごめんね。それで本題は?」

「警察、動いてくれましたよ」


 自分でも分かるくらい、得意げな響きが含まれていた。実際に誇らしさのようなものを、安堵や自信と共に感じているのだが。


「へぇ、ケーサツが」


 滝川の方も意外そうな口ぶりだった。


 その後で沈黙が訪れ、早瀬は少しだけ不安になる。まるで滝川陽菜を大きく失望させてしまったかのような不安。さっきまでの自尊はどこへいったのだろう。心臓はバクバクと音を立てるのに、声は上手く発せられない。


「まあそれなら、充電の人が捕まるのは時間の問題かもね」


 滝川の声は伸びやかな調子を取り戻していて、早瀬はそっと胸を撫で下ろす。


「そんなわけなんで、まぁ……安心してくださいよ」

「安心、かぁ」

「はい!」


 意気込むように返事をした後で、早瀬は再び不安感が湧き起こるのを自覚した。先ほどのような滝川陽菜への申し訳なさではない。むしろ彼女を案じることについての重大な何かを見逃している予感があった。


 早瀬はふと立ち止まる。視線を落とす彼の目にアスファルトは映っておらず、ジッとこちらを睨むカバのような顔が浮かんだ。正確に言うと早瀬こちらではなく、傍らを睨むカバのような顔……。


 やがて何かが閃いたとき、彼の視線はきちんと目の前の景色を映した。

 夕暮れ時の馬込。白いガードレールが平行に並ぶアスファルトの中に、極端に狭い歩道と不十分な幅の車道が詰め込まれている。片側には薄汚れた塀があって、誰かが住んでいるに違いないが人の気配が感じられない民家を守っている。守るように作られている。スーツ姿の男性が迷惑そうに脇を通り抜け、早瀬は首を竦めて再び歩き出した。


「早瀬くん」


 電話の向こうで滝川が言った。

 先ほどのような、神秘性を欠いた声ではなかった。

 彼女を目の前にすると耳に訪れる、尊い芸術性を伴う音声だ。


「滝川先輩。もし、充電の異能者が攻撃してくるとしたら、誰を狙いますかね?」


 回答はほとんど分かった上での疑問だった。滝川は黙ったままなので、早瀬がそのまま続ける。


「正確に言うと、標的を狙って仕掛けることができるのは、どこですかね」


 やはり滝川は何も言わず、だから早瀬は自分の考えが正しいと確信した。


 カバ顔のオタクは攻撃を仕掛けてくるに違いない。なぜなら粘着質な性格だからだ。少なくとも早瀬の後をつけて神田のキャンパスに侵入するくらいには。


 神田のキャンパス――カバ顔の唯一知っている早瀬の居場所はそこだ。


 あるいは、早瀬をおびき出すのに有効な人質の居場所。


 警察の警備はどこまで意味を為すのだろうか? 

 たくさんの人が出入りするキャンパスの入り口を張って、怪しそうな人間ひとりひとりに職質するのだろうか。あるいは秋葉原と神田の全てを巡回するのだろうか。散々世間を騒がした警察署襲撃事件の後で、そんな余裕があるのだろうか。

 滝川陽菜につきっきりになって警護できるのだろうか?


 ――次に狙われるのは滝川先輩だ。


 早瀬は曲がり角を曲がる。目の前にドクターペッパーだけを売る自販機が立っている。


「先輩は気付いてたんですか?」

「キミが気付くとは思ってなかったけどね」


 ひどいなぁ、と早瀬は伸びやかに言う。ごめんね、と滝川は小さく笑いながら言う。やり取りを交わしながら、投入口に小銭を入れる。


「とりあえず先輩、しばらく大学には行かないようにしましょう。それで明日、僕と一緒にもっかい警察行きましょう」

「嫌よ」


 的確な進言は、滝川にあっさりと否定された。

 ため息を吐きながら、最上段右端のボタンを押す。


「どうして?」


 ガシャン。

「だって、なんか負けたみたいじゃん?」


 屈んで冷たいドクターペッパーを取る。


 ――負けたみたい、か。


「じゃあどうするんですか」

「そりゃあもちろん。相手の異能は分かってるし、相手の顔も分かってるし、おおよその性格も予想できてる。でもこっちは味方が少ない。一般人は頼れない。いるのは私と早瀬くんだけ」

「……あとは反撃するだけですね!」


 ゴクリ、とドクターペッパーを飲んだ。

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