「異能者の襲撃かぁ。そんなのあるんだね」


 早瀬の話を聞いた後で、滝川はフンフンと鼻歌混じりにそう言った。


 スラリと白いその手には、ビーカーが握られている。

 そこに入っている淀んだ液体を、指で直接かき混ぜていた。


「マジで死ぬほど焦りましたよ!」


 早瀬は興奮気味に言う。彼の足首には、包帯が巻かれていた。

 パルクールに常日頃から勤しんでいるので、応急処置の道具と知識は持っているのだ。


 正体不明の破裂には焦った。しかし軽傷だとは思っていたし、必要な処置は自力で施せる。

 だからこそ襲われた事実が生々しい。高鳴る鼓動のままに、早口になっているのだ。


「そりゃそうよね。爆発物で攻撃される機会なんて、人生に1度あるかないかよ」


 滝川は淡々と答える。


 2人は滝川の通う大学の実験室にいた。


 滝川は法学部生のはずだ。しかし毎日この教室へ通い詰めている、なぜか。

 

 1度理由を聞いたことがる。返答は「ほら、私の異能は濡れないから」だった。

 ちょっとよく分からなかった。


「しばらくアキバ行けねーな……」

「これからどうしよっか」


 滝川が言った。黒塗りの机にビーカーを置いた。


「どうって?」

「近い言い方をするなら……自衛とか防犯かしら。だってキミ、覚えられちゃったんでしょ?」


 滝川はキョトンとした表情で言った。言いながら、長い人差し指で、頬をトントン叩く。


 あぁそうだ、と早瀬は頭を抱えた。


 敵の狙いは異能者である。つまり、母数の小さい層である。

 無作為に攻撃して、簡単にヒットするものではない。


 だから、顔の分かるターゲットをしつこく狙うだろう。

 その意味で早瀬は格好のカモなのだ。顔を覚えられてるのだから。


「具体的にどうこうじゃないけど、なんか嫌だ!」


 漠然とした危機感。

 それが早瀬を漠然と不安にさせた。

 漠然と心が不安定になっていき、早瀬の心臓は漠然と鼓動を速めていく。

 

 こういうときになぜか早瀬は、受験への不安を感じるのだ。

 漠然とした心情は、関係はないが種類は似ているものを呼び起こしやすい。


「しょうがないんで警察いくしか」

「動いてくれないでしょ」


 え、と思わず滝川の顔を見る。


 彼女は首を傾げている。先ほどよりも深くキョトンとしている。

 真ん丸の瞳に、クラリと吸い込まれそうになった。


「動いてくれない、ですかね?」

「だって証拠がないじゃない。爆弾投げられましたーって言いに行くの? 理由を聞かれて、異能者ですって答えるの?」

「……たしかに」


 なんだか言い負かされたような気分だ。だが事実なので仕方がない。


 チラリと滝川の方に目を向ける。

 むしろ彼女の方が、眉間に皺を寄せて不満げだった。


「まぁ、ここでうなっても仕方ないね。とりあえず、お相手のことを教えてほしいんだけど」

「そんな詳しくは覚えてないっすよ。見た目がいかにもオタクだったってことしか」

「早瀬クンと似た感じ?」

「え、オレそんなオタクっぽいすか……?」

「冗談よ」


 滝川はクスクスと笑う。


 実際に早瀬はオタクなので、オタクっぽいと言われても言い返せない。


 しかしなんというか、ほとんどのオタクがそうであるように、早瀬は自分のことをオタクっぽいとは思っていないのである。


 そんなことを考えていたら、頭の中がそのまま表情に表れていたのだろう。

 滝川の方が「ホントに早瀬クンはオタクっぽい感じしないよ。見た目は」と言ってきた。


 見た目は、ですか。見た目は。

 じゃあ他の部分はオタクっぽいのか。

 どこがだ。性格とかか。


「で、お相手さんのオタクっぽいって、どんなオタクっぽい?」

「えっと、太ってました。灰色のシャツで、迷彩柄のバッグ」

「他には?」

「ほか……あ、顔がカバみたいでした!」


 顔がカバ、と滝川は口に出しながら考え込む。それからパッと顔を上げる。

 イメージを掴めたのだろう。


「うーん、まぁだいたいは分かった気がする。それより大切なのが、お相手の異能よ」

「あいつの異能、ですか」

「現代の異能力は生活を直接便利にするものばかりのはず。だからもしキミの言う通り『物を破裂させる』なら、それは破裂させる異能じゃなくて、もっと小さな能力を応用しているだけのはずよ」

「そのトリックを見破る必要がある、と」


 滝川が頷いた。


「お相手さんが破裂させていたものに共通点は?」

「共通点どころか、同じのだけでしたよ。白くて平べったい、四角形のやつ」

「平べったい四角形……どのくらい?」

「ぜんぜん厚くないですよ。あってもせいぜい三センチとかじゃないですか?」

「うーん、プラスチック爆弾にしては被害が小さいわね。おそらく正規の爆弾じゃないと思う。火薬は使ってないんでしょうけど……」


 滝川はうつむいて考え込んだ。

 しかしすぐに顔を上げた。顔中に嫌悪を浮かべていた。


「どうかしたんですか?」

「後をつけられてたみたいだね」


 滝川が言った。言いながら、1つしかない出入口に視線を投げた。


「なんで分かるんですか?」

「足音がしたから」

「マジすか、全然聞こえなかった」


 早瀬は扉の方へ駆け寄ろうとする。


「まだ出ないで」


 ピシャリと滝川が言った。

 取っ手に伸ばしていた手を引っ込める。


 彼女はいつの間にかすぐ隣まで来て、ジッと扉を睨み付けていた。

 静かな佇まいの中で、柔らかな匂いだけがフワリと弾む。やがて滝川が口を開く。


「目に見える距離の破裂でも怪我はない、ってことはそこまで大きい爆発じゃないね」


 早瀬は大きく頷いた。


「それなら対処できるはず」

「対処って……なにで?」

「科学の力と偏差値よ。鉄バケツ取って」


 指示されるがまま、流し台から鈍色のバケツを取る。

 滝川に渡そうとしたが「持ってて」と制された。


「合図したらドアを開けるから、キミはまず爆弾にそれを被せて」


 早瀬は短く頷く。

 脳裏に白い小さな四角形が浮かぶ。


「相手が動く気配はなし……」


 ドアに耳をくっつけて、滝川は囁くようにして言う。


「落ち着いてれば大丈夫だよ」

「はい」


 早瀬はもう1度頷きながら、かすれた声で答えた。


「それじゃあ開けるよ……せーのっ!」


 カウントの後で、ドアが勢いよく開け放たれる。


 それと同時、見覚えのある四角形が足元に投げ込まれた。

 夢中で鉄バケツを被せると、直後にバチンッとくぐもった音がした。

 バケツが小さく跳ね上がり、押さえつける手に小さな衝撃が伝わる。


 バタバタと足音が聞こえた。滝川が顔を上げると、上体を横に揺らして逃げ去る太った男の姿があった。

 その背格好を完璧に記憶する。階段の方へ消えたところで、視線を早瀬に戻す。


 彼は逆さに置かれたバケツの傍らで尻餅をついて、荒い呼吸を繰り返していた。

 いまにも泣き出しそうな表情を浮かべている。思わず滝川は困惑する。


「えっと、大丈夫?」

「し、死ぬかと思った……」 

「ダメだよーこの程度でへばっちゃ」


 どういう仕組みか滝川はキャッキャッと余裕そうである。

 疲労困憊した早瀬は言い返す気にもなれず、大きく息を吐き出した。


「さて、そんなことより。爆弾の正体はなにかな」


 滝川がバケツを持ち上げると、表皮が部分的に破裂して中の回路が剥き出しになった、平たい白の四角形が現れた。


「……携帯バッテリー……?」

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