3
「異能者の襲撃かぁ。そんなのあるんだね」
早瀬の話を聞いた後で、滝川はフンフンと鼻歌混じりにそう言った。
スラリと白いその手には、ビーカーが握られている。
そこに入っている淀んだ液体を、指で直接かき混ぜていた。
「マジで死ぬほど焦りましたよ!」
早瀬は興奮気味に言う。彼の足首には、包帯が巻かれていた。
パルクールに常日頃から勤しんでいるので、応急処置の道具と知識は持っているのだ。
正体不明の破裂には焦った。しかし軽傷だとは思っていたし、必要な処置は自力で施せる。
だからこそ襲われた事実が生々しい。高鳴る鼓動のままに、早口になっているのだ。
「そりゃそうよね。爆発物で攻撃される機会なんて、人生に1度あるかないかよ」
滝川は淡々と答える。
2人は滝川の通う大学の実験室にいた。
滝川は法学部生のはずだ。しかし毎日この教室へ通い詰めている、なぜか。
1度理由を聞いたことがる。返答は「ほら、私の異能は濡れないから」だった。
ちょっとよく分からなかった。
「しばらくアキバ行けねーな……」
「これからどうしよっか」
滝川が言った。黒塗りの机にビーカーを置いた。
「どうって?」
「近い言い方をするなら……自衛とか防犯かしら。だってキミ、覚えられちゃったんでしょ?」
滝川はキョトンとした表情で言った。言いながら、長い人差し指で、頬をトントン叩く。
あぁそうだ、と早瀬は頭を抱えた。
敵の狙いは異能者である。つまり、母数の小さい層である。
無作為に攻撃して、簡単にヒットするものではない。
だから、顔の分かるターゲットをしつこく狙うだろう。
その意味で早瀬は格好のカモなのだ。顔を覚えられてるのだから。
「具体的にどうこうじゃないけど、なんか嫌だ!」
漠然とした危機感。
それが早瀬を漠然と不安にさせた。
漠然と心が不安定になっていき、早瀬の心臓は漠然と鼓動を速めていく。
こういうときになぜか早瀬は、受験への不安を感じるのだ。
漠然とした心情は、関係はないが種類は似ているものを呼び起こしやすい。
「しょうがないんで警察いくしか」
「動いてくれないでしょ」
え、と思わず滝川の顔を見る。
彼女は首を傾げている。先ほどよりも深くキョトンとしている。
真ん丸の瞳に、クラリと吸い込まれそうになった。
「動いてくれない、ですかね?」
「だって証拠がないじゃない。爆弾投げられましたーって言いに行くの? 理由を聞かれて、異能者ですって答えるの?」
「……たしかに」
なんだか言い負かされたような気分だ。だが事実なので仕方がない。
チラリと滝川の方に目を向ける。
むしろ彼女の方が、眉間に皺を寄せて不満げだった。
「まぁ、ここでうなっても仕方ないね。とりあえず、お相手のことを教えてほしいんだけど」
「そんな詳しくは覚えてないっすよ。見た目がいかにもオタクだったってことしか」
「早瀬クンと似た感じ?」
「え、オレそんなオタクっぽいすか……?」
「冗談よ」
滝川はクスクスと笑う。
実際に早瀬はオタクなので、オタクっぽいと言われても言い返せない。
しかしなんというか、ほとんどのオタクがそうであるように、早瀬は自分のことをオタクっぽいとは思っていないのである。
そんなことを考えていたら、頭の中がそのまま表情に表れていたのだろう。
滝川の方が「ホントに早瀬クンはオタクっぽい感じしないよ。見た目は」と言ってきた。
見た目は、ですか。見た目は。
じゃあ他の部分はオタクっぽいのか。
どこがだ。性格とかか。
「で、お相手さんのオタクっぽいって、どんなオタクっぽい?」
「えっと、太ってました。灰色のシャツで、迷彩柄のバッグ」
「他には?」
「ほか……あ、顔がカバみたいでした!」
顔がカバ、と滝川は口に出しながら考え込む。それからパッと顔を上げる。
イメージを掴めたのだろう。
「うーん、まぁだいたいは分かった気がする。それより大切なのが、お相手の異能よ」
「あいつの異能、ですか」
「現代の異能力は生活を直接便利にするものばかりのはず。だからもしキミの言う通り『物を破裂させる』なら、それは破裂させる異能じゃなくて、もっと小さな能力を応用しているだけのはずよ」
「そのトリックを見破る必要がある、と」
滝川が頷いた。
「お相手さんが破裂させていたものに共通点は?」
「共通点どころか、同じのだけでしたよ。白くて平べったい、四角形のやつ」
「平べったい四角形……どのくらい?」
「ぜんぜん厚くないですよ。あってもせいぜい三センチとかじゃないですか?」
「うーん、プラスチック爆弾にしては被害が小さいわね。おそらく正規の爆弾じゃないと思う。火薬は使ってないんでしょうけど……」
滝川はうつむいて考え込んだ。
しかしすぐに顔を上げた。顔中に嫌悪を浮かべていた。
「どうかしたんですか?」
「後をつけられてたみたいだね」
滝川が言った。言いながら、1つしかない出入口に視線を投げた。
「なんで分かるんですか?」
「足音がしたから」
「マジすか、全然聞こえなかった」
早瀬は扉の方へ駆け寄ろうとする。
「まだ出ないで」
ピシャリと滝川が言った。
取っ手に伸ばしていた手を引っ込める。
彼女はいつの間にかすぐ隣まで来て、ジッと扉を睨み付けていた。
静かな佇まいの中で、柔らかな匂いだけがフワリと弾む。やがて滝川が口を開く。
「目に見える距離の破裂でも怪我はない、ってことはそこまで大きい爆発じゃないね」
早瀬は大きく頷いた。
「それなら対処できるはず」
「対処って……なにで?」
「科学の力と偏差値よ。鉄バケツ取って」
指示されるがまま、流し台から鈍色のバケツを取る。
滝川に渡そうとしたが「持ってて」と制された。
「合図したらドアを開けるから、キミはまず爆弾にそれを被せて」
早瀬は短く頷く。
脳裏に白い小さな四角形が浮かぶ。
「相手が動く気配はなし……」
ドアに耳をくっつけて、滝川は囁くようにして言う。
「落ち着いてれば大丈夫だよ」
「はい」
早瀬はもう1度頷きながら、かすれた声で答えた。
「それじゃあ開けるよ……せーのっ!」
カウントの後で、ドアが勢いよく開け放たれる。
それと同時、見覚えのある四角形が足元に投げ込まれた。
夢中で鉄バケツを被せると、直後にバチンッとくぐもった音がした。
バケツが小さく跳ね上がり、押さえつける手に小さな衝撃が伝わる。
バタバタと足音が聞こえた。滝川が顔を上げると、上体を横に揺らして逃げ去る太った男の姿があった。
その背格好を完璧に記憶する。階段の方へ消えたところで、視線を早瀬に戻す。
彼は逆さに置かれたバケツの傍らで尻餅をついて、荒い呼吸を繰り返していた。
いまにも泣き出しそうな表情を浮かべている。思わず滝川は困惑する。
「えっと、大丈夫?」
「し、死ぬかと思った……」
「ダメだよーこの程度でへばっちゃ」
どういう仕組みか滝川はキャッキャッと余裕そうである。
疲労困憊した早瀬は言い返す気にもなれず、大きく息を吐き出した。
「さて、そんなことより。爆弾の正体はなにかな」
滝川がバケツを持ち上げると、表皮が部分的に破裂して中の回路が剥き出しになった、平たい白の四角形が現れた。
「……携帯バッテリー……?」
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