5
某私立大学の所有する神田キャンパスの正門前にて。
レンガで造られた花壇の縁に腰掛けて待ち伏せている新井樹は、早瀬悠希のことを思い浮かべていた。
うぜえ奴だ、と思う。
大人しく話に乗っとけばいいものを、ビビって断りやがって。どうせ大した異能でもないし、大学生の女を頼って逃げるような腑抜けのクセに。生意気にも。
新井は足を組み直す。レンガの上を蟻が1匹歩いていたので、ピッと指で弾いた。黒い小さな虫が遠くへ飛ばされたので少しスカッとした。ニンマリと歪むような笑みを浮かべて、新井は自身の有利を並べる。
異能はこっちの方が強い。相手の顔は分かっている。仲間の女が通う大学も知っている。行動範囲もおおよそ分かる。
逆に向こうは、自分のことをよく知らない。異能の正体もイマイチなはずだ。
そんな風にブツブツ呟いていると、正門から2人の女子大生が出てきた。反射的に反応しかけたが、彼女らは新井の目当てではない。
舌打ちして座り直してから、去って行く彼女らをジッと見つめる。それから少し視線を落とし、2人の履いているジーパンとロングスカートを眺めた。脚の動きにしたがって裾がフワリと揺らぎ、足首の辺りがたびたび露わになる。
遠ざかる2つの背中を眺めていると、新井のスマホが着信を知らせた。
「もしもし」
無理矢理ぶっきらぼうに応答する。
「いまどこ?」
電話口の向こうからは淡々と剽軽な声がした。
「アキバだ」
答えた後で新井は、ここはアキバだったか? と首を傾げる。
「また遊んでんの」
「ちげえよ」
「だけど誰も連れて来こないじゃん」
「黙れよ」
事実を述べる剽軽な声が、新井にはチクチクと嫌味に聞こえたので、反射的にきつい口調で言い返していた。太った胸部の奥の心臓が、人知れずバクバクと高鳴る。
「お前が自分でやるって言ったんじゃなかった?」
「分かってるよ」
「だったら結果出せ。援軍でもいるか?」
「いらねえって。俺が自力でやる」
「自力でダメだから言ってる。武藤が暇だけど、あいつは1人じゃなきゃダメだ。俺が行こう」
「いらねえっつーの」
「遠慮すんなって。最近仲間見つけたんだよ、桐谷静一くんていうんだけど」
「あぁ、お前がたぶらかして警察署殴りこんだっつー」
「たぶらかした覚えはないけどな。事実強いよ、彼」
「俺だってそこそこ強えわ」
「だったら早く異能者の1人連れて来い。さもないと……」
頑なに拒む新井などお構いなしに、剽軽な声はなおも話し続けそうだったので、思い切って通話を切った。
オレ1人で余裕だ。足手まといはいらない。
そう呟きながら、新井は左右の足を組み直す。
30分ほど経って、とっくに焦れていた新井は、髪を掻きむしったりわざとらしく足で地面を叩いたりしていた。そこに正門の方へ歩いて来る標的の姿を見つけたので、ようやく平静を取り戻した。
忘れもしない、あの女だ。
ツヤツヤした黒くて短い髪、丸くて大きい瞳、汚してみたくなる程の白い肌。
滑るようにして進む彼女が正門を抜けたので、距離を置いて後をつける。女が異能者なのかどうか、新井にはまだ分からない。しかしどの道やることは変わらない。脅して、人質にする。
女が人のいない道へ入ったところで、背後から忍び寄って拘束する。自由を奪ったところで仲間を呼び、どこか見つかりにくい場所に監禁する。そんな目論見だ。
時間があれば多少は好きにできるかもしれない。なんてったって、外見はいい女だ。
妄想が膨らむにつれて新井は独りで興奮していく。
尾行を始めて10分もしない内に、神田を抜けて秋葉原に入った。
狭い橋で神田川を超えながら、新井はベロの付け根が硬くなるのを感じた。下あごを触ると萎んでいくような感触があって、それが痛みに近いものを伝えていた。緊張だ、と自分の心情を分析する。汗が顔の側部を流れて顎に滴り、手の平で拭う。
やがて女は秋葉原に入る。新井も女に続く。歩きながら、新井は微かな不安を感じた。
――もしこの女が、大通りを進み続けたらどうしよう。
しまった、と新井は思う。目立つ場所に居続けられたら、女を襲うことはできない。絶対に警察沙汰にはなるなと、そう言い付けられている。人目に付きすぎる活動は控えろとも。
新井は不安になり、そして、閃いた。
アニメやゲームのキャラクターが描かれた看板の、その下に伸びている大通り。
人混みに紛れながら、新井は目に付くスマホへ手当たり次第に電力を供給した。
パン、パン、パン! と弾ける音が連続して響く。
あちらこちらで悲鳴が上がり、火傷や打撲のせいで誰かが尻餅を突く。辺りは小さなパニック状態となり、人々は四方八方へ逃げ惑う。互いに衝突する人、転倒してうずくまる人、壁際まで押される人。混乱の中で、例の女は一目散に逃げ去って行く。目論見通り、人のいない方へ。
内心でガッツポーズして後を追う。
走りながら彼女は携帯電話を取り出した。いまどき古い折り畳み式だ。スマホでないことに面食らったが、異能の効力に影響はない。むしろ古い機種を使っているのを鼻で笑った。
2人はどんどん人のいない方へ進み、その度に新井の顔はニヤリニヤリと歪んでいく。
好機。
目の前にぶら下がっている絶対優位のチャンスが、新井の足を前へ運んだ。女は迷わず裏路地へ入る。陽の差さない細い道を、女は右へ左へカクカクと曲がりながら進む。息を切らして女の背中を追い、やが
「……?」
女の姿が忽然と消えた。人が2つ並んで通るのが精いっぱいの細い直線だ。隠れられそうな場所はどこにもない。あるものといえば、無人に思えるほど閑散とした民家や廃墟のようなビル、そして曲がり角の自販機――
「こんにちは。カバ顔のオタクさん」
突然横から声を掛けられ、新井は驚いて顔を向ける。
そこには自販機の陰で筐体にもたれながら、携帯を耳に当てる女の姿があった。
「お相手さんはおびき寄せたよ、早瀬くん?」
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