018 リーネ

 本当にリーネなのか、と我が目を疑った。


 だが、見間違いではない。艶やかで長い水色の髪、透き通るような肌、気品のある睫毛……目の前の彼女は、紛れもなくリーネだ。


「私のこと、覚えていてくれたみたいね」


 リーネが手を口に当ててお淑やかに笑う。


「あと数ヶ月したら忘れていたかもしれん」


「普通の人なら冗談になるけど、貴方の場合は本当に忘れていそう」


「それで、こんな時間にわざわざ俺の家まで来てどうした?」


「できれば中で落ち着いて話せればと思ったけど――」


 リーネの視線が足下に向かう。そこにはリリアの靴があった。


「――お邪魔しちゃったみたいね」


「いや、かまわないよ。同棲しているが付き合っているわけじゃない。夜中に君を家に上げても文句を言われる筋合いはないさ」


「きっと相手の子は嫌がるだろうけど、今はお言葉に甘えさせてもらうわね」


 リーネを家に上げ、ダイニングテーブルに座らせる。


「お茶を切らしているからこれで勘弁してくれ」


 グラスに入れたジュースをテーブルに置く。


 リーネはジュースの匂いを嗅いだ。


「これ、リンゴジュース?」


「ウチで栽培しているリンゴで作ったものだ。美味いぞ」


「すっかり農家さんね」


「そんなことないさ。基本的に他人任せだ」


 自分用のリンゴジュースも用意して、リーネの向かいに腰を下ろした。


「本当ね、すごく美味しい」


 リーネはリンゴジュースを一口飲み、柔らかい笑みを浮かべる。


「イケるだろ」と言いつつ、俺もリンゴジュースを堪能する。


 リンゴの素朴な味なのに、どこのリンゴジュースよりも美味い。リンゴそのものの質の高さを物語っていた。


「で、何の用件だ? まさか俺に〈影の者達〉に戻れと言いに来たわけじゃないだろ」


「まぁね。頼んだところで戻らないでしょ?」


「その通りだ」


「用件は2つあるの」


「2つ?」


「まずは貴方の追放に同意したことを謝りたくてね」


「ふっ、今更だな」


「それでも、ちゃんと謝っておきたくて。あと、あの時はじっくり話せなかったけど、貴方のことを嫌っていたわけじゃないのよ」


「分かっているさ。俺達はいつも、どうすればより高みへいけるかを考えていた。だが、俺達の成長は明らかに頭打ちの状態にあった。俺だってそう思っていた。このメンバーで到達できる限界点まで来たな、と。君とバルザロス、それにシャドウも同じだったはずだ。だから俺を蹴ってエンジを入れるという案に同意したのだろ?」


「その通りよ。あの時はそれが正解だと思った。シャドウだけじゃなく、私やバルザロスも、心のどこかで土魔法を軽視していたのだと思う」


「仕方ないさ。土魔法は地味だからな。シャドウの言う通り、所詮は土いじりの専門家だ。雑魚相手なら問題ないが、Sランクの敵が相手なら火力にはなり得ない」


「でもね、貴方が抜けて分かったの。土魔法の偉大さが。そして、貴方がどれだけPTに貢献したのかが。シャドウやバルザロス、私が自分の役割に集中できるのは、貴方がそういう環境フィールドを作ってくれたからだった」


「それが土魔術師の仕事だ」


「だからね、ごめんなさい。許してくれとは言わないわ。許してもらえるとも思っていない。ただ、この気持ちをしっかり伝えたかったの。反省しているってことだけは分かって欲しかった。本当にそれだけなの」


 リーネがテーブルに額を当てて謝る。


「許すも許さないもないさ。俺はもう第二の人生を歩んでいる。だから気にしていない」


「すごい順調なんだってね、農業。それになんか面白いことをしているんでしょ? 町おこしだっけ?」


「そうだけど……よく知っているな。この家のことを知っているのにも驚いたが」


「新聞を読むようになったからね、最近」


「いい心がけだ」


 そこで俺達の言葉が止まった。


 階段を下りる足音が聞こえたからだ。


「クリフさん、どうして上がってこないのですかぁ」


 ウトウトした様子のリリアがやってきた。


 彼女は俺を見て「ふぉわぁ」と笑った後、リーネに気づいてハッとした。


「だ、誰ですか!? この綺麗な方は!」


「冒険者時代に同じPTだったリーネだよ」


「夜分遅くに押しかけてごめんなさい、お邪魔しています」


 リーネは席を立ち、深々と頭を下げた。


「えっ、クリフさんを追放したPTの人……?」


 リリアの目が険しくなる。珍しく微かながらの敵意が感じられた。


「そう、そのPTの人です。彼を追放した件について、さっき謝ったところ」


「今更ですよ」


「彼にも同じことを言われたわ」と笑うリーネ。


 リリアはむっとしていた。


「クリフさんはもう冒険者には戻りませんよ! 絶対に!」


「そうなの?」と、リーネが俺を見る。


「戻る気はない」


「私が誘っても?」


「それはどういうことだ?」


 リーネが口元に笑みを浮かべる。


 リリアが「クリフさん!」と怒鳴った。


「2つめの用件は、貴方をPTに誘いに来たのよ」


「PTって、〈影の者達〉のことじゃないよな?」


「ええ、違うわ」


「クリフさん! なんで話を聞いているんですか!」


 リリアが目に涙を浮かべながら近づいてくる。


「そう喚くな、リリア」


「でも、だって、駄目ですよ!」


「出直したほうがいい?」とリーネ。


「いや、気にしなくていいよ」


 俺はリリアを隣に座らせ、頭を撫でてやった。


「子供扱いしないでください」


 と言いつつ、リリアは幾分か大人しくなった。いい子だ。


「悪いな、話を続けてくれ」


 リーネは「分かったわ」と頷き、真剣な顔で俺を見る。


「もう新聞に載っているかもしれないけど、少し前に〈影の者達〉を脱退したのよ、私」


「それは知らなかったな」


「落ち目のSランクPTなんてどこの新聞も興味ないか」


「そうじゃなくて、最近は冒険者面を見る頻度が減っていた。いつ見ても君らの失敗記録更新に関する記事があって辛かったからな」


「あはは……。それでね、今はソロなのよ」


「じゃあ、PTっていうのは?」


「私と二人で組まないかってこと」


 リリアがピクッと反応する。だが、喚かずに大人しくしていた。


「二人で組んでどうする?」


「まったり中位の雑魚でも狩ろうよ。たまにゲストで適当な冒険者も混ぜてさ。昔、そういうのやってたじゃん。ベルガとか覚えてる?」


「忘れるかよ、今の国王様だぞ」


 リーネが声を上げて笑う。


「前は影の活動がない日に限っていたけど、これからはそれをメインの活動にしない? あの時、すごく楽しかったじゃん」


「まぁな。シャドウが怒るまで続いていたわけだし」


「彼は私のことが大好きで、貴方に嫉妬していたからね」


「当時はそんな風に思わなかったが、まぁそういうことだろうな」


 シャドウは俺とリーネが二人でいると不機嫌になっていた。今にして思えば嫉妬していたのだろう。俺達の関係に。


「でも、そのシャドウはもう関係ない。だからどうかな?」


「駄目ですよ、クリフさん。絶対に駄目です。そんなの」


 リリアが頬をパンパンに膨らませながら俺を見る。


「リリアさんだっけ? ずっと黙っていたけど、言わせてもらっていい?」


 リーネがギッとリリアを睨む。


「なんですか?」


 リリアも負けじと睨み返した。


「貴方はクリフと同棲しているだけでしょ。たったそれだけの関係で、どうして恋人面しているわけ? おかしくない?」


「なっ……!」


 リリアの顔が赤くなる。怒りやら何やらの感情がこみ上げていそうだ。


「だって、クリフさんは駄目なんですよ! 町のことで忙しいんだもん!」


「それと貴方が恋人面することは関係ないよね?」


「ぐっ……」


 リリアは悔し涙を流し始めた。言い返したいが何も閃かないようだ。


「その辺にしてくれ」


 俺は二人の言い合いを終わらせた。


「リリアの言う通り、俺は町のことで忙しい。だからリーネ、君とPTを組む時間はないよ。もっとも、そんな時間があっても冒険者には戻らないけどな」


「なんで冒険者に戻らないの? 私は抜きにしても、冒険者は楽しかったでしょ」


「楽しかったが、俺にとっては過去だ。もうセカンドライフを歩み始めている。俺は過去に囚われない。もう終わったんだよ、冒険者は」


「そっか……」


 リーネは大きく息を吐いてから立ち上がった。


「これで私も心置きなく冒険者から足を洗えるわ」


「別に他の奴と組めばいいだろ」


「私は貴方がよかったの」


「なんで俺なんだ」


「それを女に言わせるのは卑怯よ」


 リーネが玄関に向かって歩いていく。


 俺とリリアは後に続いた。


「私も何か楽しいセカンドライフを見つけるわ」


「そうしたほうがいい。農業は楽しいぞ。殆どリリアに任せきりだが」


 リリアの頭を撫でてやる。今度は「えへへ」と喜んだ。


「リリアちゃん、さっきはごめんね」


「えっ、あ、その……」


「もし機会があったら、私もクリフカンパニーに混ぜてちょうだい。貴方の指示に従ってちゃんと働くから」


 リリアの表情がパッと明るくなる。


「いいですけど、ウチは冒険者に比べてお金になりませんよー?」


「気にしないで。お金は腐る程あるから」


「クリフさんと同じことを言ってる……!」


「リーネは奴隷解放の活動をしていなかった分、俺より金持ちだからな」


「じゃあね、クリフ、リリアちゃん。お邪魔しました」


「ああ、またな」


「また遊びに来て下さい!」


 リリアは本心でそう言っていた。それが彼女の強みだと俺は思う。そして、俺が魅力に感じている点でもあった。


「うん、絶対にまた来る」


 リーネは深くお辞儀した後、外に出て指笛を鳴らした。空からペガサスがやってきて、彼女の前で伏せる。


 それに騎乗すると、リーネは颯爽と去っていった。

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