第6話

 真夏、と言うにはやや早いが太陽の光が日に日に強くなってきた頃、夏季大会の前半戦を終えたことにより三年生の先輩たちの大半が引退することになった。

 

 残るは八月中旬に開催されるインターハイのみで、現在部活に参加しているのは唯一勝ち残った木村先輩だけであった。我が校の弓道部から個人戦のインターハイに出場できたのは五年ぶりらしく、今年から新任の顧問も最近は上機嫌だ。


 あれから、僕は白神さんと積極的に関わることは避けるようになった。と、いうよりも白神さんがあの日以来ぱたりと話し掛けてこなくなったと言った方が正しいか。

 もしかしたら、あの時迫田とともに後ろから二人を見ていたことがバレていたのかもしれない。実際、階段の下から僕を見ていたのだから、恐らくそうだと思う。


 あの夜から、僕は迫田の助言通りに白神さん以外の一年生とも出来るだけ関わりを持つように意識をするようになった。当初はどこか疎外感を勝手に抱いてしまっていたが、実際はこちらから親交を持ち掛ければみんなそれに返してくれるような人物ばかりだった。中には不器用な人もいたが、それは僕も人のことを言えないのでお互い様である。


 白神さんの方は依然として、他の一年生と積極的に関わろうとはしていなかった。必要最低限、部活動に支障が出ない範囲で、といった距離感で特に女子とのあいだの不可視の溝はどんどん拡がっている、そんな感じだった。


 先程、僕と白神さんは殆ど関わらなくなった、と言ったが実の所は例外もあった。と言っても精々よく目が合う程度なのだが、不思議なことにきっかけはいつも白神さんが僕をじっと凝視するところから始まっている。

 ただ、目が合っても何を言うわけでもなくじっと見つめてくるのだ。大抵の場合は気まずくなった僕の方が視線を逸らして終わる。なんの意図があってそうしているのかはわからない。


 迫田にその事を伝えてみると、


「キープされとるんよキープ。ほんとクソやね」と毒突かれて終わった。そうかもしれない、とその時は納得したのだが、後になってよくよく考えてみるとキープしているつもりなら、見てくるだけではなくそれらしいアプローチを仕掛けてこないのはおかしいのではないかと思い出した。

 それとも、僕がそれをする必要がないほどにちょろい男だと見なされているか。


 そんな雑念と共に矢を放ったせいか、ざしゅっ、という音ともに矢が遠くの安土に刺さるのが見えた。的からやや離れた左上の位置に刺さったようだ。二本目を番え、多少ぼやけた視界を頼りに的を弓柄の残像に重ねる。

 暫く、会を保つ。今すぐに放ちたい気持ちに駆られるがぐっと堪える。いよいよ、心身ともに限界を迎えた時、弦音とともに矢を的の方へと解き放った。


 今度は気持ちのいい破裂音が的の方から帰ってきた。中ったのだ。


「しゃあっ」


 視界の端に立っていた部員たちが応援の声を上げる。全ての射を終えた僕は射法八節に則り道場から退場してようやく一息着いた。

 今日の記録は八射五中。まぁまずまずの結果と言っていいだろう。最近は調子が良かったので、そういう意味ではあまり満足できる結果ではないが、一年生の中ではかなり安定している方だ。


「よう四谷、おつかれ」


 声を掛けられた方を見ると、木村先輩がにこやかな笑みを浮かべて立っていた。右手には掛が嵌められており、どうやら次に引くらしい。


「おつかれさまです」


「お前最近すげぇ調子いいやん。 新人大会、わんちゃんレギュラー狙えるんやね?」


「はは、まぁそうなったら嬉しいっすけどね…」


 木村先輩はまた笑うと、僕の左肩を掛を嵌めた手で軽く小突いてそのまま道場に入っていった。明日からインターハイなので木村先輩が部活に参加するのは今日が最後だった。

 あの日以来、一切話さくなった白神さんとは対照的に木村先輩は以前にも増してよく絡んでくるようになってきた。ただ、決してそれは嫌悪なものではなく、とても友好的な類のもので、今のように僕のことを気遣った風だった。

 白神さんが僕を避けるようになったおかげかもしれない。


 そういう意味ではあの日以来、人間関係の方は極めて良い方向にむかっていると言ってもいいだろう。それに肝心の部活動のほうもなかなか調子がいい。

 だが、真の問題はそことは全く別のところにある。言うわけでもなく、例の霊障のことだ。


 肩を叩かれる程度、で収まっていた頃が最早懐かしい。何故ならば、今では肩を叩かれるどころか、声を掛けられるのも当たり前になってきたからである。


「よう四谷、おつかれ」


 そう、こんな感じでそれは木村先輩の猿真似をしてよく話し掛けてくるようになっていた。当然、振り返っては行けない。

 狡猾かつ悪質な手口ではあるが、若干声色に妙な濁りが混じっているので判別自体はそう難しくない。だが、これが人混みで行われた場合は話が違ってくる。

 まだ、そこまでのことはしてこないが時間の問題だろう。余程、僕のことが気に入ったらしい。


「最近すげぇ調子いいやん」


 基本的に、現在僕の背後にいるであろうなにかは木村先輩の真似しかしてこない。何故かはわからない。もしかしたら、木村先輩もお気に入りなのかもしれない。


「わんちゃんレギュラー狙えるんやね」「よう四谷」「わんちゃん」「狙えるんやね」「よお」「狙えるんやね」「四谷レギュラー」「わんちゃん」「狙えるんやね」「調子いいやん」「よお」「レギュラーわんちゃん」「四谷」「レギュラー」「四谷」「四谷」「よお四谷」


 壊れたレコードのように背後で同じセリフを繰り返すなにかを徹底的に無視して、僕は見取りへと向かう。反応した時点で恐らくアウトだ。知識や経験ではなく、本能に近い直感がそう囁く。

 細い通路に入るため、ちょっとした階段を降りる。そろそろ、着くころだ。第三者が混じると途端に消えてしまうのも、背後にいるなにかの特徴だった。すこし、早足になる。あまり良くない傾向だが、仕方ないだろう。

 ようやく、最後尾にいる人の肩が見えたか、という頃。


「四谷くん、どうしたん」


 打って変わって背後からそんな声がした。白神さん、いや違う、声色が濁っている。白神さんじゃない。だが、すでに身体が反応している。頭では理解していても、それが身体に追い付ければ意味が無い。

 ダメだ、振り向いちゃだめだ。抵抗虚しくスローモーションになった景色がゆっくりゆっくりと背後の方を写そうとした。

 刹那、信じられないくらい強い力が僕の肩を掴み思いっきり後ろに引き寄せた。僕の視界が空を移し、後頭部が地球の重力に引っ張られた。が、地面に激突することはなく後頭部には柔らかい感触が広がった。


「ほんと、四谷くんは学習せんねぇ」


 さっきまで空を映していた僕の視界に、にんまりと妖しく笑う白神さんが割り込んできた。これは、本物の白神さんなのだろうか。

 つい最近、ばっさりと切られた白神さんの綺麗な短髪が風鈴のように風に揺れている。


「白神さん…?」


「ん、どうしたん」


「なんで…」


「なんのことやか。 それより、いつまでうちの胸を枕にする気なん」


「えっ…!?」


 僕はすぐさま体勢を建て直して、またすぐに尻もちをついた。思わず、後頭部を撫でる。


「いや、自分の頭触ってもうちのおっぱいの感触残ってないから」けらけらと白神さんが笑った。


「いや…っ!そういうのじゃ…!」


「四谷くん、四谷くん、顔真っ赤」


 慌てて今度は顔を触る。熱くはないが、傍目から見たらそんなに赤いのか。そんなことを考えていると、ふと道場の方が目に入り、思わずギョッとした。矢を放つ直前の体勢に入っていた木村先輩がこちらを鬼の形相で睨んでいたからである。


「やっば」


 白神さんもそれに気がついたようで、困ったような顔をして頭を搔いていた。


 よもや、こちらを狙ったかのような勢いで飛んできた矢は僕が先程鳴らせた破裂音とは比べれ物にならない程の音を射場全体に響かせた。そこには先輩の憤怒の念がこれでもかという程に込められているのが嫌でも察せられた。


「うーわ、めっちゃ怒っとるやん」


 だが、白神さんはこれを全く気にしていないかの如く、けらけらと笑い飛ばした。


「し、白神さん? 大丈夫なん…?」


「ん? あぁ…まぁ今日が最後やし。 別に大丈夫よ」


 今日が最後、というのは木村先輩の部活のことであろうか。だとしたら中々に残酷なことを白神さんは軽々と言っていることになる。


「丁度よかったかもね」


「…?」


「潮時ってことよ」


 本来の意味でね、とだけ付け加えるとそのまま見取りの列に戻って行ってしまった。呆気に取られながらも僕も白神さんの後に着いていくことしか出来なかった。 先輩はなおも僕らの方へと殺気の篭もった目を向けている。

 ふと、そこで思い出した。今日の鍵当番が僕であることを。


「潮時ってことよ」


 そう、濁った声が生温い風と共に僕の背中をさすった。

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