第5話
自主練が終わり、ほかの一年生とともに的前の整備を行っていた僕の耳に同級生の女子たちの話し声が届く。先輩たちはすでに着替えに言ってるため、若干サボってる感じのグループが道場側から様子が見えない看的場の椅子に座ってなにやら話していた。
「ふぅちゃんまじやばいよね」
「やっぱ好きなんかな? でもさ、あれやん?」
「いやまじやば」
どうやら、女子たちは下卑た噂話で盛り上がっているようだ。僕はできるだけ目線をそっちに向けずに、作業をしながら耳だけをそちらへ傾けた。
「めっちゃ可愛いのはわかるんやけどさ、なんか腹黒い感じ隠せてないんよね」
「わかる。 てか男子そこらへん本当にわかってないよね」
「んねー。 馬鹿よねー」
一体何が面白いのか、くつくつと少しだけ抑え気味の笑い声をみんなで共有している。
それにしてもたかが二ヶ月ちょっとの期間で陰口を言い合えるほど仲良くなれるものなのか、女子の距離感の詰め方は男子のそれとはどこか異質なものに感じてならない。
それとも彼女たちが言うように男子が馬鹿なだけなのだろうか。
ふと、設置してあった的に目がいく。見ると的枠が完全に割れていた。このように割れてしまった的は処分しなければならない。
とりあえず、道場の裏の的枠置き場に持っていこう。そう思い、僕はその的を手に取ると看的場の方へと歩いていった。未だ話を続けていた彼女らは、僕を見るなりぎょっとした表情を浮べた。どうやら、自分たちの他に誰かがいるとは思いもしてなかったようだ。
「あっ、四谷くんおったんやね…」
「え、うん」
「……聞いとった?」
「いや別に」
僕はそれだけ言うと、看的場を後にした。
去り際彼女らがまたなにやら呟いた言葉が僕の耳にしっかりと届く。
「名前出してなかったけ、バレてないよね…」
誰ぞが呟いた言葉の意味はわからなかったが、なぜたがその最後の呟きに対して胸騒ぎを覚えた。
全ての行程が終わり、一日の部活動が完全に終了した。今日の鍵当番は僕である。
やはり、今日も木村先輩がドベだった。うきうきとした足取りで桜模様の布に包まれた弓を担ぎ歩く先輩はなんだ悩みなんて無さそうで羨ましい。
弓を担いでいたのは、土日に市の道場で練習するためであろうか。三年生の先輩たちは何人かそういう者がいると白神さんが言っていたのできっとそうだろう。
僕は念の為、鍵を閉める前に道場の中を見る。木村先輩は道場から出る時にきっちりと消灯をしていくので、そこら辺の心配はない。
「誰かいませんかぁ」
「はぁい」
木村先輩の声が返ってくる。しかし、木村先輩は先程出ていった。つまり誰もいないということだ。僕は返ってきた声を無視し、鍵を閉めた。
誰ぞの声が返ってくるようになったのは、白神さんと鍵当番が被った日からだった。
流石に二ヶ月も所属していればわかる。肩を叩くのも、それを無視するように教えているのも、今の声の主に対する防衛策であることが。
「自ずから関わるようなことは持ってのほかだよ」
かつての白神さんの言葉が脳裏に繰り返し響く。ああいうものとは関わらないことに徹するのが最も適している、というのは僕の経験則によるものも大きかったが、その白神さんの忠告の影響も少なからずあったと思う。
しかし、どうやら僕はここに住むなにかしらに気に入られているようで、日が進む事にそのアプローチは少しずつ積極的になっている。さっきの返答も、きっとその一環であろう。
一度、試しにほかの部員に「変な声を聞いたことはないか」と聞いてみたのだが、やはりと言うべきか誰も同意をしてくれる者はいなかった。
自分が思っている以上に、僕は危ない立場にいるのかもしれない。
僕はそんなことを考えながら職員室の前の鍵置き場に鍵を置き、そそくさと校門を跨ぎ完全に暗くなった学校を後にした。
校門前の坂道には部活終わりの生徒たちががやがやと騒ぎながら帰路についていた。中にはちらほらとカップルのような雰囲気を醸し出している男女が何組かいるのが目に付いた。
思うところが無いわけではないが、別に自分には関係のないことである。早く帰ろう。
そう思った矢先に、僕の十歩ほど先にいる長い布袋を担いだ二人組みの後ろ姿を見つけた。見つけてしまった。
片方は恐らく、木村先輩である。さっき担いでいた桜模様の弓袋を持っていたのでこれは間違いない。では、隣で歩幅を忙しなく合わせようとしている綺麗な黒髪の女子は誰か。弓袋を持っているということは、きっと弓道部の女子である。そして、あの艶やかな長髪を携えている女子は。
はっきりとはわからない。だが、胸が酷く痛む。無意識のうちに呼吸が早くなる。あの子は、あの子はきっと。
「木村先輩何を怒っとるん」
「知らんわ」
聞きたくもない男女の会話が嫌に耳に届く。男の方は勿論、女の方の声もしっかりと聞き覚えのあるものだった。
「四谷がそんなに好きなら、俺と付き合う意味ないやん」
「やけ、そういうのやないって言いよるやん。 てかいつもみたいに名前で呼んでよ」
耳を塞ぎたい。いや、いっそ誰か耳を切り落としてくれないだろうか。
二人の声がこちらに送られる度にひどく惨めな気持ちになった。だと言うのに、僕はなぜか二人の後ろを話し声がギリギリ聞こえる距離をずっと保ちながら歩いていた。
「そういう白神も俺の事ずっと木村先輩呼びやん。なんなんマジで」
「もぉ、ごめんて。 海斗。 ほらこれでいい?」
「……知らんわ」
拗ねたように木村先輩の歩調が早くなる。
白神さんはため息をつくと、それに合わせて小走りになった。
段々と二人が遠のいていく。それに伴い二人の声も聞こえなくなって言った。
暫く、僕は呆然とその場で立ち止まる。さっき殴られた右肩の痛みが蘇り、どんどんと肥大化しているような錯覚に陥る。
白神さんは僕のことを好きなのかもしれない、昨日まではそんな阿呆なことをベッドの上で考えながら悶々としていた。あの頃が懐かしい。
今考えれば、あんなに浮き足立っていた自分がひどく滑稽で、惨めであったとしか思えない。きっと、さっきの女子たちも僕の間抜けな姿を見て嘲笑していたのであろう。
「いっそ死にたい、死んでしまいたい…」
そんなことを呟いた刹那、誰ぞにとんとん肩を叩かれた。無論、今僕がいる場所は校外である。件のあれから学校の外、というよりも道場の外でなにかしらのアプローチを受けたことは無かった。
つまり、今肩を叩いているのは間違いなく人間だろう。振り向いても問題ない。
しかし、しかしだ。どうせなら、後ろにいるのが例のアレで、振り向いた僕を殺してくれればどれだけ楽になれるだろう。願わくば、後ろにいるのが化け物でありますように。
「酷い面してんな、四谷」
後ろにいたのは僕に死を届けに来た見るも恐ろしい化け物なんかでは無く、呆れ顔の迫田であった。
「…なんでいんの」
「下校中だから」
「…なんで話しかけたの」
「同じ部活のやつが人ごみの中、立ち止まってたら声くらい掛けるやろ普通」
「ほっといってくれ、それか殺して…」
「何言っとるんやお前」
迫田はそこまで言うと、遠くの方にいる男女を見て、「あぁ、そういう…」となにか納得したように呟いた。
「やっぱりお前知らんやったんやな」
「そういうお前は知っとったん…」
「いや、お前以外みんな知っとったと思うぞ」
「うげっ」
迫田の無慈悲な宣告に思わず間抜けな悲鳴をあげてしまう。考えていた限り最悪の状況の中、僕は道化のように踊っていたのだ。きっと、みんなは僕を見て笑いが止まらなかったのだろう。
「いつから…?」
「入部してすぐ。 てか、前から仲は良かったらしいぞ。 百目木道場の方で入学前からよく一緒に引いとったらしいし」
百目木道場というのは百目木市が所有している武道場の総称で、その中には弓道場も存在している。先輩たちは休日、そこでよく練習しているらしいことを聞いたことがあった。
「えぇ…」
「はぁ…ショックなのはわかるんやが、悪目立ちしとるしとりあえず駅まで歩きながら話すぞ」
迫田はそう言うと、僕の肩を掴んで歩き出した。僕はそれに釣られて、ぽつぽつと足を動かす。
「まず聞いて欲しいのは、別に誰もお前を笑ったりしてないから」
少なくとも、一年生の男子は。迫田はまるで保険をかけるかのようにそう呟いた。
「でも女子たちがなんか…」
「あー…あれはあんまり気にすんな。 俺も何回か聞いたことはあるけど、あれはどっちかと言うとお前よりも白神に向けた愚痴やからさ」
「白神さん嫌われとるん…」
「いつものことや。 ていうかあいつが女子に好かれとるところ見たことないわ」
ふと、迫田の言葉にひっかかりを覚えた。
「…迫田って、白神さんと仲良いん?」
「まさか。 ただ、小中一緒やったから大体どんなやつやったかは知っとる」
「初耳だ…」
「そりゃお前、白神とばっかり絡んで他の男子と殆ど関わってなかったけやろ」
何も言えない。思い返せば、確かに白神さんと話してばかりでほかの一年生の部員と関わった記憶があまりなかった。
「言うてな、お前みたいになったやつは初めてやないから」
迫田はそう前置きをして小学生と中学生のころの白神さんの様子を語り始めた。
「あいつがお前みたいに彼氏以外の男にちょっかいかけて誤解させるのは今に始まったことやない。 中学生のころとか酷かったぜ。
あいつのせいで何人のやつらの仲が切り裂かれたことか。 そりゃそんなことやってりゃ女子にも嫌われる。
彼氏も取っかえ引っ変えで三ヶ月以上続いたところを見た事がないわ」
「俺が知る限り小学生の低学年の頃は今みたいやなくて、大人しい子やったんやけど、高学年になってから急にあいつの周りに男が集まり始めたんよ。見た目のせいもあるんやけど、なんでなんか男の扱い方がひどく上手かった。 俺も中学の頃、一回ちょっかいかけられたけど彼女がおったから直ぐに手を引いたみたいやった」
まぁ、その彼女からはその後すぐに振られたんやけどな、と困った顔で笑った。
「そういう所もあって、俺はあんまり関わるのを避けとったんやけど、まさか同じ部活になるとはな。 できるだけ、目を光らせておこうって思っとったんやけど結局、このザマや」
迫田はそこまで言うと深いため息をついた。なぜ彼はそこまで他人の所業に心を砕いているのだろうか。いや、それはきっと彼がバカ真面目で優しかったからだろう。
それは、今までの彼の言動が証明していた。
「まぁそんなわけやから、あんまり落ち込むな。 これをキッカケに関わるのをやめた方がいいばい」
そういうと、迫田は改札のICスキャンを叩いた。気が付かないうちに駅についていたようだ。
迫田はこちらを振り返って「じゃ」と手を挙げてそのまま、駅のホームへと歩いていってしまった。
どうやら、僕は迫田を誤解していたらしかった。いや、そもそもは僕の自業自得なのだ。真面目に部活動に打ち込もうとしてなかったのだから、当然迫田もあのような態度をとるだろう。
返事も礼も、なにも言えなかったことに多少の悔いを感じながら僕はバスに乗るべく、構内の長い階段を降りることにした。
ふと、顔を上げると階下からこちらを見上げる者と目が合った。
「白神さん…?」
それは白神さんだった。白神さんは惚ける僕を見て、なにやら呟いた。
何を言ったかはわからない。ただ、その唇の動きがなにかを僕に伝えるために音を紡いでいることだけはわかった。
何を言い終わったか、口を閉ざすと白神さんは最後にこちらへ意味深な、そして酷く妖艶な笑みを浮かべると、そのまま歩き去ってしまった。階段の上にいるせいですぐに白神さんの姿は構内の天井で遮られてしまう。
僕は若干、よたよたになりながらも階段をすぐさま降りて白神さんの背中を探す。しかし、すでに白神さんはどこにもいなかった。
まるで煙のようにその姿を消してどこかに隠してしまったのだ。
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