Act.1:[ジャッジメント]-裁きの所以-③
世界はまた、黒に染まる。
孤高に聳える国の象徴が、空の輝きより闇を帯びて映った。
その黒を背景に広がる森のざわめきは、エニシアのため息を無に返す。
動物避けの火も焚かず、木に身を任せて体を休める彼の傍らで、ジャッジの瞳が細まった。
「のうエニシア。わしの話を聞いてみるか?」
抑揚のある静かな問いを聞きながら、エニシアは思考を読まれた事を悟る。
「わしが今まで、どんな人間に審判を下してきたか」
「興味ない」
「少しは他人に興味を抱くことも必要だと思うがのう?」
「面倒だな…」
「さすれば、その考え事も収束に向かうのではないか?」
「根拠は?」
「お主がこれからどういった行動を取るべきか、如何にしてわしの術から解放されるか…。それが隠されておるかもしれんのう?」
幼い声が早口に捲し立てる様は、意外にも圧力を帯びていた。エニシアはその重力に負けてまたため息を漏らす。
「分かった。騙されたと思って聞いてみる」
「騙されたとはなんじゃ、失礼な奴よ…。まあ良い、しかと聞くのじゃぞ?」
ジャッジは皮肉を引っ込めて大袈裟に咳払いをすると、小さな掌から生える指を3本立てて見せた。
「わしが審判を下したのは、今の今までで三人しかおらん」
「それ、僕を含めて…?」
「今の今まででと言うたじゃろう。お主の前は、何処ぞの富豪じゃった。奴は自らの罪を覆い隠して生きておったからの。可哀想な最期じゃったよ」
さして同情の色も見せずに言い放った彼は、何かを思い出す様に空を仰ぐ。
「確か、全ての財産を吸い付くされ、生気をも抜かれてのう…。脱け殻になったまま、今も生き続けておる」
「最期って、死んでないじゃん」
「死んだも同然じゃよ。何しろ橋の中に埋まっておるのだから。あれは一生あのままじゃろう」
「それで渡る人が無事で居られるなら、幸せな最期なんじゃないのか?」
「お主もそうなりたいか?」
「何も考えなくて良いならそれでも良いよ」
無感情に言い切ったエニシアに鋭い眼差しを注ぎ、ジャッジは再び語りを口にした。
「…一番最初の罪人は、罪人ではなかった」
子供ながらに最大限低く発せられた台詞にも、エニシアは興味を見出だせない。ジャッジはそれを見越してなお言葉を繋ぐ。
「それでも裁かなければならなかったのは、わしの意思とは関係の無いところで動いていた糸のせいじゃ」
お互いの瞳は向き合っているのに、交わされる感情は何一つ無い。そこにあるのは…紡がれるのは、過去に起きた事実だけ。
「エニシア。お主は人を沢山殺めたそうじゃの?」
「ああ」
「何のためにそうしておったんじゃ?」
「別に。理由なんかない」
省略した訳でもなく、さらりとされた断言を聞いたジャッジは、僅かな間の後に肩を竦める。
「その罪人はのう、身を守る為に人を殺めた。沢山の人をな」
そして、逸らした瞳を空に向け、小さく小さくこう呟いた。
「戦争じゃよ」
吸い込まれた台詞を追うように、エニシアも夜空と向かい合う。
「捕虜となった敵国の少年じゃった。あやつは最後まで泣くことも笑うこともせず、ただの一つだけしか言葉を話さんかった」
長い息継ぎが間を繋ぐ。その間に二人の視線は自ずと交わった。
「殺せ」
ジャッジは薄笑みに乗せて呟くと、エニシアに細い人差し指を向ける。
「今のお主と同じじゃの。じゃが、あやつとお主は全く違う」
エニシアは薄い興味を瞬きで表し、笑みを強めるジャッジから視線を逸らした。
「あれは、お主のように絶望しておらんかった。死んだ魚のような眼もしておらんかった。苦悩に頭を支配されてもおらんかった。じゃから、わしは殺した。死刑と言う名の審判で、やつを裁いたのじゃ」
「ふーん」
一息に説明を終えたジャッジに返ってきたのは、短い相槌だけ。ジャッジは無機質なエニシアの表情に盛大なため息を浴びせる。
「エニシア。今のままでは、お主…」
「そうかもな」
言いながら、エニシアは確かに微笑んだ。しかし次の瞬間には気だるそうな顔を空に向け、気の無い声を漏らす。
「だけど僕は、そいつじゃないから」
聞き届けたジャッジは笑みを圧し殺すと、やはり夜空に向けて皮肉を呟いた。
「元から分かってはおったが…お主、相当の変わり者よのう。エニシア」
「君に言われたくないよ。ジャッジ」
2つの不気味な薄笑いが夜空に上る。
そこに浮かぶ2つの月は、二人の人影を見向きもせずに、煌々と光を放つだけだった。
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