細い月に向かうペガサス雲

 駅のホームで帰りの電車を待つ間、改札口で微笑んだ田辺さんの笑顔が脳裏をよぎった。


—そういえば、田辺さん、名刺をくれたっけ。名刺にあった〇〇研究所ってどんなところかな?

 

 携帯を出して検索してみると、会社のホームページにはその会社が研究開発している事業内容が詳細に記されている。いろいろと調べていくうちにインターンシップに関わる内容にも辿り着いた。募集要項などもある。テーマごとに記された内容に興味がそそられ、俺はワクワクしてきた。


—田辺さん、何気に親切な人だな。あとで、お礼のメールを書いておこう—。


 そう思いつつ、携帯アプリの着信通知に目を通すと、ほとんどがニュース記事の着信に紛れて、ラインアプリにみのりからのが届いていることに気づいた。俺が中学の頃、図書館で知り合って話すようになった楠瀬みのりとはみのりがJKになった時に晴れてラインを交換し、時々連絡を取り合っている。


<<今日、やっと期末試験終わった!大樹先輩は今、何してますか?>>


みのりからのラインに俺は即座に返信を入れた。

<<期末試験、お疲れさま!俺は今、電車を待ってるところ>>

<<大学からの帰りですか?>>

<<まあね>>


 丁度その時、電車がホームに入ってきたので携帯画面を閉じ、電車のドアが開くとともに中に乗り込む人の列に続いた。電車に乗って携帯画面を開くと、みのりからの着信の続きを見た。


<<大学ももうすぐ夏休みですよね。私も高二だし、そろそろ志望大学絞らなきゃいけないんだけど、去年からコロナのせいでオープンキャンパスも制限されてるし、ちょっと大変。大樹先輩はどうやって合格したんですか!?>>


<<オープンキャンパスが制限されていてもオンラインが充実してるし、進学説明会や自由見学もあるから、いくつか絞ってよく調べてみるといいと思う。みのりの携帯、確かアイフォンだったよね。検索すれば出てくるから>>


<<そんなことはわかってます!っていうか行きたいところはほぼ決まってるけど、理想と現実は違うってよくいいますからね。とにかく、森先輩はどうやって合格したんですか?>>


<<それより、みのり。今回の期末の手応えは?>>

<<まあまあかな>>

<<そうか。それなら、よかった。とにかく、先ずは中間、期末が勝負だ。提出物も手を抜くなよな。そうすれば推薦、狙えるから>>

<<そんなことはわかってます。でも数学が絶望的に苦手で大樹先輩みたいに国公立は無理かな。一緒の大学行きたかったけど>>


—一緒の大学!?

俺は一瞬、大学の図書館でみのりと待ち合わせする未来を想像しつつ、気を取り直した。


<<みのりは文系の私立、狙えば、きっと合格するよ。それにみのり、まだ高二だろ!国公立だって頑張ればまだ間に合う!>>

<<だけど数学が絶望的なら国公立は無理だと思います>>

<<みのりのいう絶望的ってただ投げてるだけじゃん?>>

<<投げてるわけじゃないですけど、数学のことが悩みです。とにかく期末の結果が出たらまた連絡します。コロナ禍、長引いてますけど、大樹先輩もくれぐれも気をつけてくださいね>>

<<みのりも気をつけて。頑張れよ>>


 その後、ラインの返信が途絶えたので、俺は携帯画面を閉じて暮れゆく空に目を向けた。薔薇色に染まった雲間にぽっかりと月が輝き、馬のような形の雲が細い月に向かって駆け上るように初夏の夕空に浮かんでいる—。


—おお!ペガサス雲だ!今日はなんだか不思議な一日だったな—


俺は電車の車窓越しの壮観な眺めを携帯カメラに急いで納め、みのりに送った。しばらくすると写真に気づいたらしくみのりからメッセージが届いた。


<<細い月に向かうペガサス雲、とっても綺麗な景色!素敵な写メをありがとうございます!大樹先輩の言う通り、投げないで頑張ります!先輩もいろいろ頑張ってくださいね。ブログも楽しみにしてます>>


 みのりからのメッセージが届いてすぐに電車は俺が住む街の最寄り駅に到着した。俺はOKスタンプをみのりに送ると、電車から降りた。駅の外に出ると暗くなりかけた夕空で火星と金星が並んで一際ひときわ輝いている—。その光景を眺めながら、俺は不意に田辺さんと駅の救護室で過ごしたひとときを思い起こしていた。


 家に帰ると俺は早速パソコンに向かい、田辺さんからもらった名刺に記された会社のページを開くとそこに掲載されている内容の詳細を再確認した。


—思い立ったが吉日とも言うし、行動あるのみだな—


 俺はメーラーを開くと田辺さんのメルアド宛て名刺をいただいたお礼やネットナビした感想などを丁重に纏め、俺のブログのURLや名前、在籍している大学やアカウント名を記すとメールを送信した。


 翌日、田辺さんから俺が駅で唐突に彼女を助けた御礼と俺のブログの感想などを伝えるメールが届いていた。これから時々ブログを見てくれることやインターンシップに参加希望の時には相談に乗ってくれることなども丁寧に記載されていた。—まだ大学一年の俺にはインターシップは早すぎるよな、と思いつつ、田辺さんと知り合ったことで俺の視野は思いがけなく広がったことは確かなことだ。ここから先の世界に飛び込み、新たに未来へのセレンディピティを見出せるかどうかは俺の努力次第だ。


 俺はブログの中味を見直しながら、次のステップを探るべく頭の中であれこれと構想を巡らせていた。

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