第8話

そんな幸福の絶頂にいた時、山崎君から電話がかかってきました。

「はい、もしもし」

電話に出た僕の声はうわずっていました。

「よお…。久しぶりだな、光太郎」

僕のテンションの高さとは対照的に山崎君の声のトーンは低いものでした。

そうだ、山崎君にもお礼を言わないと、と僕は思いました。あの時、山崎君が積極的に行動するようにというアドバイスが効いたのですから。

「ありがとう、山崎君」

「え…、なにが?」

僕は髪をかきあげながら言いました。

「…ほら、2ヶ月に合コンしたひとみさんいただろ?実は…僕、今彼女と付き合ってるんだよね」

「え!?」

山崎君が驚きながら言いました。それも無理ない事かもしれません。今までのジンクスを打ち破って今度の「ひとみさん」とはうまくいったのですから。

「う…嘘だろ?」

「はは。疑いたくなる気持ちはわかるけど…本当なんだよ」

しかし山崎君はきつい口調で否定してきました。

「う…嘘だ。それは嘘だよ」

 始めはただのやっかみだと思っていた僕も、山崎君があまりにしつこく否定するものだから、段々と苛々してきました。

「…なんでそんに疑うんだよ山崎君。嫉妬かい?そりゃあ僕にだけ彼女が出来て悔しいのかもしれないけど…。初めて上手くいったんだ。もっと喜んでくれてもいいじゃないか」

「違うんだ。違うんだよ光太郎」

 その声はからかっているようなものではなく必死でした。

「…違うって何が?」

どうも山崎君の様子が変でした。

「驚かないで聞いてくれよ」

「だから、何が」

僕は一層苛々しながら言いました。

「だって、ひとみさんは…」

話していいものか迷っているようでしたが、山崎君はかなり間をおいてから話し始めました。

「ひとみさんは…あいつと…お前のバンドのベースと付き合ってるんだぞ!」

「…え」

その瞬間、僕の思考は停止しました。

山崎君が何を言っているのか分かりませんでした。

だって、ひとみさんは僕と…あれ…え…?。

「ど…どういう事なんだい?」

僕は山崎君に激しくつめよりました。

山崎君の話によると先日、僕のバンドのベースがひとみさんとデートしているところを見たというのです。それで山崎君は自分が積極的に行動しろと僕に言った手前、多少なりとも責任を感じて慰めの電話をかけてきたということでした。

僕は信じられませんでした。

そして自分で確かめようとしました。

 

…結論から言うと、山崎君の言う事は正しかったのです。ひとみさんは僕のバンドのベースとも付き合っていました。二股していたのです。

ひとみさんに話しがあるからと呼び出した僕は、嘘であってほしいと願いをこめながら話を振ってみました。するとこちらが拍子抜けするくらいあっさりと彼女はそれを認めました。

混乱する僕にひとみさんはとどめの一言を放ちました。

「別に私が何人と付き合ってもいいでしょ?」

落ち着いた乾ききった声でした。 

ひとみさんで出会ってから2ヶ月。

たった2ヶ月でしたが、彼女の事は全て、いや…全てとは言いませんが、彼女の事はそれなりに理解したつもりでした。けれど…僕はひとみさんの事を何も分かっていなかったのです。

それからひとみさんと会うのはやめました。メールも電話もしませんでした。僕達の関係は自然消滅していきました。

そしてバンドも「音楽的相違」と言ってやめました。ベースは僕を熱心に引き止めました。ベースは何も事情を知らなかったのです。僕は本当の事を話そうとはしませんでした。そんな事をしても自分が余計にみじめになり、傷つくだけだからです。

そのようにして行き場所を失った僕に残されたのはギターだけでした。小学、中学の時と同じように、家でジャカジャカとギターをかき鳴らしながら生活する日々を送っていましたが、誰とも会いたくないと思う一方、誰かに今のこの感情を理解してほしいという背反する気持ちが沸き起こっていました。

ある夜、僕はギターを抱えて街に出てみました。車がひっきりなしに通る国道を歩き、飲み屋が連なる路地を抜け、ふと見上げて見ると、デパートが見えました。駅前まで来ていたのです。立体歩道橋を上った駅前の広場は、街のネオンに照らされていました。 

僕は適当な場所に腰を下ろすとジャカジャカとギターを弾き始めました。

広場の周りには高校生の女の子、大学生くらいの男性、若いサラリーマン、買い物袋を抱えた年配の女性まで、多種多様な人間がやってきては去っていきました。

その中の何人かは僕がギターを弾き始めると足を止めました。僕は気の向くままに、好きなロックソングを弾きながら歌い続けていたのですが、それが受けたようです。1時間程その場所でギターを引き続けたのですが、終わり頃には、人だかりが出来ていました。   演奏を終えると、集まった人たちは盛大な拍手をしてくれました。気持ちが落ち込んでいた僕にとってその拍手何よりも勇気づけられたのでした。

気をよくした僕はそれからも度々、夜のストリートライブを行うようになりました。

その日も8時を過ぎ、帰宅ラッシュもひと段落した時間に僕はまたいつものように、駅前の広場にやってきました。

灰色の帽子を深くかぶって、ギターのチューニングを始めた時、僕に話しかける人がいました。僕は顔を上げました。 

「え…」

その相手の顔を見て僕は黙ってしまいました。そこにいたのは山崎君だったからです。

「最近、やたらギターの上手い奴が駅前にいるって聞いたから来てみたんだけど…。やっぱりお前だったか、光太郎」

「…」

僕は山崎君を無視してギターのチューニングを続けました。

山崎君はかまわず僕の隣に座りました。

「なあ、そう冷たくするなよ」

別に山崎君だから冷たくしたわけではありません。ただ一人でいたいという気分だったです。

「たまには話相手も欲しいんじゃないかと思ってさ」

「別に…」

僕はぼそっと言いました。

「カバー曲ばっかりやってるんだって?」

そう言って、山崎君はギターの隣におかれた青いクリアファイルに手を伸ばしました。そこには演奏できる曲の楽譜が入っていました。集まった人達の要望に答えるために用意したものでした。

しかしそのファイルには一つ隠している事がありました。それはファイルの一番最後のページです。

「これは…」

山崎君がそのページを手にした時、僕は返してくれ、とファイルを強引に奪いました。

そこには失恋したひとみさんに対する歌が書かれていたからです。

山崎君が苦笑しました。

「やっぱりな」

「な…何がやっぱりなんだよ」

僕はファイルを胸に抱え込みながら山崎君に言いました。

「いや、光太郎の事だから絶対曲を作っていると思ったんだよな」

「…」

まさに図星でした。ひとみさんに対する想いを僕は曲にしていたのです。

「で…その曲もう披露したのかよ?」と山崎君が言いました。

「いや…まだ」

「まだ?どうして」

不思議そうに山崎君が言いました。

「…歌えないんだ」

「歌えない?」

僕は頷いた。

「歌おうとすると、どうしても感情的になっちゃって…。ギターを弾くだけなら出来るんだけど…」

「なんだ。じゃあ、簡単な話じゃないか」

立ち上がった山崎君が言いました。

「…どういう事さ?」

「俺が歌うよ」

「え…」

「小学校の時みたいにさ。あの時とは違って、今回は失恋ソングだけど。歌って忘れようぜ。」

そう言って山崎君はにこりと笑いました。

山崎君の言葉で僕も気持ちを吹っ切れる事が出来ました。僕はやる事に決めました。

その日のストリートライブは山崎君をボーカルに、2人で演奏を続けていきました。

小学校の時と同じように僕と山崎君の息はぴったりと合っていました。集まった人たちは皆盛り上がっています。

僕と山崎は顔を見合わせて頷きあいました。

そしてついに3つ目の「hitomisong」を披露する事になったのです。 

「最後はオリジナルソングです。聞いて下さい。…ロストハート」

そして僕は静かにギターを弾き始めました。


気がついたら 君がいない

 昨日まで いたはずの

 壊れやすい ガラスのように

 透き通る 僕のMy heart

 戻ってこないと 知っている

 だけど 毎日思い出す

 雲で覆われた空のように

 今にも雨が降り出しそう

 思い出よりも 後悔よりも

 君の笑顔を思い出す

 並んで写った写真 部屋の隅でほこりをかぶる

 もう会えないと わかってる

 会ってももう 戻れない

 だけどこんなヒトリの夜

 君の笑顔 思い出すくらいは許して」

 

 曲が終わると、観衆からはこれまでで一番盛大な拍手をもらいました。悲しい体験を告白するセラピーのようなこの曲が受け入れられた事で僕はすごく救われました。

「よかったよ、光太郎」

山崎君が笑顔で握手を求めてきました。僕も素直にその手を握り返す事が出来ました。



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