第5話
合宿当日。
気持ちよく晴れたその日、学校指定の青いジャージで校門前に集まったテニス部のメンバー達は、ラケットや着替えの荷物などが詰まったボストンバッグを手にしていました。 特に僕は自ギターを持っていかなければならないので大変でした。山崎君との作戦会議でネタが初めからばれては駄目だと言うことで、皆にギターを持ってきていると分からないように、僕は長めのボストンバッグを用意して苦労してその中にいれました。
合宿所に向って発車したバスは、皆テンションがあがりにぎやかでした。
特に後ろに固まった女子生徒がきゃあきゃあと、はしゃぎまわっていました。
僕はひとみさんの姿を見るため、時折怪しまれないようにちらちらと後ろを振り返ったりしました。そして、ひとみさんの笑顔を見る事が出来る度に幸せな気分になるのでした。
僕らを乗せたバスは昼を過ぎたところで合宿所へと到着しました。バスを降りると、周囲に生い茂った木々から澄んだ新鮮な空気が胸に飛び込んできました。近くで鳥の鳴く声も聞こえてきます。
2階建ての合宿所は白い外装で、中学校の体育館を2つ合わせた位の大きさでした。
合宿所に入った僕らは、先生の指示により自分の荷物をそれぞれ割り振られた部屋へと置きにいきました。部屋は8畳の部屋に木製の2段ベッドが部屋の左右に2つおかれただけの、飾り気のないシンプルなものでした。
荷物をおいた僕らは、昼食を取るために食堂へと向かいました。食堂にぞろぞろとテニス部のメンバーが集まりました。
僕はテニスコートを見下ろす事が出来る窓際の席に、山崎君と向かい合って座りました。
山崎君が小声で、気持ちの準備はいいか聞いてきました。僕は大丈夫と頷きました。
昼食が終わると、テニス部の練習が始まりました。けれども僕は夜の自己紹介の事が気になって、あまり練習に身が入りませんでした。おかげで先輩達から何度も怒られる破目になってしまいました。
日が暮れると合宿所に戻り、シャワーを浴びて少し休憩を取ったところで、早めの夕食の時間となりました。
外でキャンプファイヤーをしながらバーベキューするというのが、今日のメニューでした。そしてそこで自己紹介とパフォーマンスをやらされるのです。
次第に僕の胸はドキドキしてきました。
着替えを終えたテニス部員達は、一人二人と外に出てきました。その中にはもちろんひとみさんの姿もありました。彼女の姿を見ると僕の胸はドキドキしてきました。
(計画通り上手くいくだろうか…)
僕は心配でなりませんでした。
そんな僕の不安には関わらず全員集まったところでキャンプファイヤーが始まりました。
炎を取り囲んで円を描くように僕らは座りました。ゆらゆら揺れる炎を見ていると、その幻想的な光景がなんだか神秘的に思えてきました。
その近くでは先生と手伝いをしている先輩達が肉を焼いています。こんがりと焼きあがった肉と野菜を好きなだけ皿に取り、皆わいわいと盛り上がっている中、テニス部キャプテンの声が響きました。
「よ~し。それではテニス部毎年恒例となっている、自己紹介とパフォーマンスをやってもらおうか」
先輩達からは歓喜の声が上がる一方で、1年生達からは恥ずかしさと緊張から、「え~」というため息まじりの声がもれ始めました。しかしここまできたらやらないわけにもいきません。順番に自己紹介が始まりました。
手品やコンビを組んでの漫才、物まねなどで場を盛り上げたり、あるいは思いっきり盛り下げていきました。
だが僕は他の人のパフォーマンスを見ているような余裕はありませんでした。こっそりと持ってきた黒いソフトギターケースを、心を落ち着けるために、強く握ったりしていました。
いよいよ僕の番となりました。
「鶴見光太郎です。よろしくお願いします」
そして僕は緊張をしながらギターケースからギターを取り出しました。
その瞬間、皆から「おおー」という歓声が上がりました。集まった全員の視線が僕の方に向いています。
ぶるぶると震えそうになる手をなんとか落ち着かせるのに必死でした。
「何歌うんだー?」と一人の先輩が言いました。
「ええと…」
僕は緊張を隠すために頭をぽりぽりとかきながら言った。
「自作のラブソングを…」
先ほどよりも大きなどよめきが起こりました。
変声期を迎えた僕の声は低く、落ち着いたものへと変わっていました。山崎君と合宿までに猛練習したおかげで、人前で歌う事の自信もついたのでした。歌詞は山崎君と共作し、満足いくものを書き上げる事が出来ました。
僕は炎の向こう側にいるひとみさんの目をじっと見ました。ひとみさんは興味深げに僕の事をじっと見てくれています。
ふうっと大きく深呼吸してから僕は歌い始めました。
「いきます。聞いて下さい。love you…」
僕はギターをじゃらんとかき鳴らし、そして歌い始めました。
初めてその顔を見たとき
僕の心は奪われた
風に舞う前髪が
僕を慌てさせる
I can’t just stop love you
I can’t just stop love you
君の声が聞きたくなる
気になって落ち着かない
午後の差す光が
僕に突き刺さる
My world addicted on you
My world addicted on you
僕と一緒に居てくれないか
ここに一緒に居てくれないか
なぜだか君が好きなんだ
そう君にも言って欲しいんだ
I can’t just stop love you
I can’t just stop love you」
小学校の時、ひとみさんに歌った時と同じように5分程の時間が、非常に長く感じられました。
歌い終えたところで、一瞬静まり返った後、テニス部員達からは大きな歓声と拍手が巻き起こりました。
「すげー!」
「上手すぎ!」
「最高!」
そんな声が次々に飛んできました。安堵と興奮で僕の胸は一杯になりました。
だが正直テニス部員達の反応などどうでもよかったのです。
僕が知りたかったのは唯一人、ひとみさんのものでした。
僕は恐る恐ると向いに据わっていたひとみさんの反応を伺ってみました。
すると…。
彼女も笑顔で惜しみない拍手を僕に向って送ってくれていました。僕は心の中でやった!とガッツポーズをしていました。
(これはいい感じだ…)
淡い期待が確信へと変化した瞬間でした。
その後も1年生の自己紹介は続いていきました。
キャンプファイヤーの火も消え、片付けが終わった後、テニス部員達はポツポツと合宿所へと引き上げていきました。始まった時は夕暮れだった周りの景色も今はすっかり暗くなっていました。
そんな中、他の皆と同様に荷物をまとめていた僕は山崎君に呼び止められました。その後ろには二人の女の子がいました。
一人は山崎君の友達だという佐藤という女の子でした。
そしてもう一人は…。
ひとみさんでした。
こんな間近でひとみさんと接した僕それこそ口も聞けないような状態でした。
「あ…あう…」
言いよどんでいる僕に、ひとみさんの方から話しかけてくれました。
「さっきのギター、とてもカッコよかったよ!鶴見君って昔からギター弾いてるの?」とひとみさんが言いました。
僕は伏せ目がちになりながら言いました。
「う…うん。まあね。小さい頃からギターばっかり弾いていたから…」
「さっきの曲もオリジナルなんだよね?すごいなあ」
「あ…ああ、うん」
僕は終始照れっぱなしでした。
「ねえ…また鶴見君の曲聞かせてもらってもいいかなあ?」
ひとみさんがにっこり笑って言いました。
「え?!」
僕の胸からは心臓が飛び出しそうになった。
ま…まさか、これは、ほんとうに…ひょっとして…。
僕は頷いた。
「あ…あの…もし…僕の曲が好きだったんならまた…聴きにきてよ…」
「ええ~いいの?」
「も…もちろん!」
僕は精一杯の笑顔を作った。
「よかったあ」
そう言ってひとみさんは、何故か隣に居た佐藤さんを見ました。
佐藤さんはもの凄く嬉しそうな顔をしていました。
「よかったね。鶴見君、OKしてくれたよ」
「う…うん」
…何かが変でした。話がおかしな方向に向おうとしています。
「あ…あの…」
ひとみさんは一方的に話続けます。
「この子、テニス部入った時から鶴見君の事気になってたらしいのよ。それに今の曲聞いて益々好きになったんだって。だから仲良くしてあげて!」
実に爽やかにひとみさんはそう言いきりました。そしてそれだけ言うと、姿を探しに来たキャプテンの元へと嬉しそうに走っていってしまいました。
山崎君は隣で、なんとも言えないような難しい顔をしていました。ひとみさん達がいなくなると、山崎君もまたその後を追うように、ばつが悪そうに合宿所へと戻ってしまいました。
僕にも今、状況がはっきり飲み込めました。
ひとみさんはキャプテンの事が好きだったのです。
後には僕と佐藤さんだけが残されました。
「ねえ、さっきの曲、私のためにまた歌ってくれない?」
佐藤さんは誘うように僕の目を見ました。
それは無理です。
あの曲は「ひとみさん」のために、彼女に捧げるために作られた曲なのだから。
歌詞の最後の部分。
Ican’t just stop love you…。
この後に「ひとみ」と入れ、ひとみさんの前で歌うつもりでした。でももうその機会が来る事はないでしょう。
林の中から夜のとばりをつげる鳥達の鳴き声が、僕の胸にせつなく哀しく突き刺さってくるのでした。
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