第4話

それから2年後。

僕は中学校に進学していました。

小学校でのあの経験があってからというもの、しばらくはうつうつとした気分のまま毎日を過ごしていましたが、心の傷は時間の経過とともに次第に埋められるようになっていきました。

「ひとみさん」は中学では、僕が住んでいる地区少しとは離れた場所に住んでいたため、同じ中学には進学しなかった、という事も幸いでした。…ただ、山崎君とは家がそれほど離れていないという事もあって、同じ中学しかも同じクラスという事になってしまいました。あの経験があってからというもの山崎君とは距離が空いていました。

しかし…と僕は思い直しました。

山崎君は別にひとみさんと付き合ったわけではなく、ただ2、3度ひとみさんにせがまれてボーリングや動物園などに遊びに行っただけだという事でした。

僕は山崎君からそういった説明を繰り返しされるうちに、あんなにも自分に協力してくれた山崎君を責めるのはなんだか筋違いであるような気がしてきました。

自分の間違いに気がついた僕は、中学に入学するようになった頃、再び山崎君と友情を取り戻しました。そして時間はかかりましたが中学に入った時には、ようやく前向きな気持ちを取り戻す事が出来たのです。

中学校では何か一つ部活に入らなければなりません。音楽関係の部活がいいだろうと思っていましたが、あいにく中学では希望するような軽音楽系の部活動はなく、管弦楽部しかありませんでした。女の子が大半を占める管弦楽部に入る事には気後れしていたので、何にしようかと迷っていました。そんな時、山崎君がテニス部に入らないかと誘ってきたのです。

「テニス部?」

その話しを振られた時には、あまりピンときませんでした。だが、山崎君があんまり熱心に誘うもので次第に僕の気持ちも傾いていきました。それで取りあえず一緒に見学にいく事にしました。テニス部は人気の部活動で他にも新入生で見学に来ているものが大勢いました。

その中に…彼女がいたのです。

じっとテニス部の練習を眺める彼女は集まった生徒達の中でも僕の目には一際輝いて見えました。身長は160cm位。おかっぱの髪型で、痩せていてどこか大人びた印象がありました。僕はテニス部の練習を見る事よりも彼女に集中してしまいました。これだけ強烈に女の子に魅かれるのは、小学校のひとみさん以来でした。

そして驚いたのは、駆け寄ってきた彼女の友達が彼女に声を掛けた時でした。

「ねえ、ひとみー!」

ひとみ…?

まさか…。

いや、しかし彼女は確かにそう呼びました。

女の子はまた、ひとみとその子の事を呼びました。間違いありません。…どうやら今度僕が好きになった女の子の名前もまた「ひとみ」だったのです。

周囲をうろうろとしていた山崎君が戻ってきて僕に聞きました。

「なあ、どうする?光太郎」

僕の答えはもう決まっていました。

 

一週間後。

僕はテニス部のグラウンドで熱心にラケットを振っていました。2面あるテニスコートのうち、反対側のコートでは「ひとみさん」が熱心にラケットを振っています。

僕はひとみさんと同じテニス部に入ったのでした。 

テニス部は男子と女子で分かれていたのですが、時には合同で練習することもありました。相手がひとみさんの時には、ドキドキしてしまい上手くレシーブを打てなくなってしまう事がありました。

その度にひとみさんは、あはは、と笑われました。

けれど、その天にも届くようなきれいな笑い声は、僕にとって決して不快なものではありませんでした。むしろひとみさんに喜んでもらえたという事で幸せな気分になれるのでした。

僕の気持ちは、もう100%ひとみさんに傾いていました。ひとみさんの事を考えるだけで、頭の中が一杯になってしまうのです。小学校の時と同じパターンでした。 

ひとみさんとはクラスが違っていました。僕は1組でひとみさんは3組でした。(1年生は全部で6クラスありました)僕は授業の終わりである6時間目になると、もう部活…ではなく、ひとみさんに会えるという事で興奮していました。

舞い上がっていた僕の態度は、他人にも判りやすかったようです。特に小学校からの付き合いのある山崎にはすぐに知られてしまいました。

ホームルームが終わり、すぐに教室から出た僕を山崎君がつかまえました。

「光太郎。ちょっと待てよ」

「ああ、山崎君。早く練習にいこうよ」

山崎君が廊下で辺りをきょろきょろと見回し、周囲に人影がない事を確認してから僕に小声で言いました。

「…光太郎。本当にお前の目的は、練習だけなのか?」

確信をずばりとつかれた僕は返事に困りました。

「あ、ああ…そうだよ。もちろん。他になんの目的があるっていうんだい?僕はテニスに青春の全てを打ち込もうとしているんだからさ」

僕は白々しく、ラケットを振る真似をしてみせました。だが、山崎君にはそんなごまかしは通用しませんでした。

「嘘付け。光太郎、お前の目的は…」

山崎君が僕の目をじっと見ながら言った。

「ずばり。ひとみさんの事だろ」

「う…」

僕はごくり、と唾を飲みこみました。僕が否定しなかった事で、山崎君は確信を持ちました。

僕は気恥ずかしさととまどいから、わざと強気の態度にでました。

「だ…だったら何だっていうんだい。僕が、だ…誰を好きになっても、山崎君には関係ないだろ」

「そうむきになるなよ、光太郎」

僕をなだめるように山崎君が言いました。

「…なら、お前ひとみさんと付き合いたいと思ってるだろ?」

「う…。そ…そりゃあ、そうなれれば、最高だけど。でも…」

「だからさ」

山崎君が顔を近づけて言いました。

「俺が協力してやろうと言ってるんじゃないか」

「え…?」

僕は疑うような目付きで山崎君を見ました。 それは小学校の時のあの出来事があったからでした。。あの件で結果的に「ひとみさん」を取られた事になってしまったのです。友情は取り戻す事が出来ましたが、再び協力すると言われても、素直に頷けないのは仕方のない事でしょう。

そんな僕の心を見透かすように、山崎君が言いました。

「光太郎。小学校の時の事、気にしてるんだろう?」

僕は素直に頷きました。

「…確かにあれは悪かったさ。でも、別に俺の方からそうしようと仕向けたわけじゃないんだぜ。それは分かるだろ?」

「…」

確かにそうでした。

「それに…」

山崎君が続けて言いました。

「お前が知ってるのか知らないのか分からないけど、ひとみさんを狙っているのは、大勢いるんだぜ」

それは聞き逃せませんでした。

「ほ…ほんとかい?」

「嘘を言うかよ。ひとみさんかわいいからな。クラスの連中も、テニス部の先輩達だって、ひとみさんを狙っているのは、大勢いるよ。もたもたしてたら誰かに持っていかれるのは、時間の問題だろうぜ」

動揺する僕に、山崎君はとどめを刺すように言いました。

「…誰か他の奴にひとみさんを取られてもいいのか?」

「…いやだ」

僕は声を絞り出すように言いました。

山崎君がにやりと笑った。

「だろう…?だから俺にいいアイデアがあるんだ」

僕はそのアイデアに乗る事にしました。


その日、部活の練習が終わった後、山崎君は僕の家に寄っていきました。

「光太郎の家に来るのも久しぶりだな」

感慨深げに山崎君が言いました。

「そうだね」と僕が言いました。

山崎君が家に来るのは小学校の頃、ひとみさんを家に呼んで曲を披露して以来でした。

部屋に入ると、山崎君はきょろきょろと僕の部屋を見回しました。

「あんまり変わっていないなあ、お前の部屋」

「まあ、適当に座ってよ」

山崎君は、緑のカーペットの上にあぐらをかいて座りました。

「…ここに来た時はあれが食べたくなるんだよなあ…」

山崎君は催促するように言いました。

それで僕は居間からサイダーをグラスに2つ注ぎ、ポップコーンを持ってきました。

「おお、これこれ」

僕が絨毯の上に皿を置くと山崎君はむしゃむしゃとポップコーンにかぶりつきました。

「そろそろ本題に入らないか?」

山崎君の様子が落ち着いたところで僕は改めて言いました。

「ああ、そうだな」

山崎君は手についた油をティッシュでふき取ってゴミ箱に投げ入れてから言いました。

「今度のひとみさんは以前の小学校の時とは訳が違う。テニス部はもちろんの事、同じクラス…いや学校全体にライバルがいると言っても過言ではないだろう」

「うん…」

「その中でお前は彼女を手に入れたいと考えている」

「なんか…その言い方はちょっと嫌だなあ。別に…僕は親しくなれればそれで…」

「甘い」

 山崎君がポップコーンを僕に向って投げ飛ばしました。

「って…!」

 ポップコーンが顔に当たってからカーペットに落ちました。

「そんな事言ってると、そこ止まりになっちまうんだよ。もっと上を狙って、初めてそのレベルにまで到達出来るってもんじゃないのか?」

 山崎君の言葉には説得力がありました。そして僕の顔をじいっと睨むよう見ました。

「…わかったよ。そのレベルを狙う事にするよ」

「…よし。それでこそ、光太郎だ」

「…で、具体的にどうすればいいんだろう?」

「やはりここは、お前の武器を使うべきだ」

「僕の武器?」

「そうだよ」

 山崎君が頷きました。

 そして僕の部屋の掲げられたギターを眺めながら言いました。音楽以外これと言って趣味のない僕は、誕生日、クリスマス、お正月とのお金を貰えるイベントが来る度に、気に入ったギターを見つけては買い集めていました。いつのまにかそれが何本にもなっていたのです。

「まさか…」

 僕の顔色は曇った。

「また小学校の時のような事をしようっていうんじゃないよね…?山崎君」

 立ち上がってギターを眺めていた山崎君が振り返って言った。

「その通りだ、光太郎。ひとみさんのために曲を作るんだよ」

 ふう…、と僕は大きなため息を吐きました。 と、同時にあの頃の嫌な記憶が蘇ってきました。

「そしてまた、山崎君がひとみさんを奪っていくのかい?」

 言ってしまいました。

 その言葉のおかげで部屋には緊張が流れました。

「ごめん…こんな事言うつもりじゃなかったのに…」

 もうあの件は終わったのです。再び話を蒸し返すのは僕としても本意ではありませんでした。

 山崎君も苦笑いをしました。

「いや…お前がそう思うのも当然の事だよ。実際あの時の計画は失敗に終わったわけだからな。…でも今度は大丈夫だ」

「…どうしてそう言い切れるんだい?」

「今度は演奏するのはお前一人だからだよ」

 そして山崎君は今度のプランについて具体的に話を始めました。

 テニス部では、新入生歓迎合宿というのが春に行われる事になっていました。土、日

にG県の山に行って一泊二日の強化合宿を行うのです。夜にはレクリエーションタイムがあり、新入生は自己紹介を兼ねて、何かパフォーマンスをすることになっていました。その場でギターを弾いて彼女への思いを伝えればいい…それが山崎君のプランでした。

ですが、僕はそのプランを即座に拒否しました。

「皆が…テニス部の先輩とかが見てる前で、ひとみさんに告白しろっていうのかい?冗談じゃないよ。そんな事出来るわけないじゃないか」

 山崎君が首を振りました。

「馬鹿。だからインパクトがあるんじゃないか。それに皆の前でひとみさんの名前を出して告白する訳じゃない。そこは隠しておいていい。あくまでラブソングを歌うだけだ。そうやって興味を引き付けておいて、後でひとみさんを誘い出すんだよ」

「え…山崎君…君、ひとみさんと親しいのかい?」

 僕は疑いの目で山崎君を見ました。

「いや、小学校の通っていたそろばん教室で、一緒だった佐藤って子がいるんだよ。そいつ今俺達と中学で、都合のいい事にひとみさんと同じクラスで仲良くしてるんだ。都合のいい事にそいつもテニス部だからさ。訳を話して呼び出してもらうんだよ」

「やっぱり山崎君は、女の子の友達多いんだなあ…」

僕は感心しながら言いました。

「どうするんだ光太郎?やるのか?やらないのか?」

僕の心の中には既に「ひとみさん」の事しかありませんでした。答えは明らかでした。

「やるよ」

 そして合宿に向けて僕らのプランが開始されました。

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