第12話
吸い込まれそうな赤い瞳に、自分の指先がピクリとも動かなくなったのが分かる。
俺は蛇に睨まれた蛙、という慣用句を思い出した。
睨まれている。一匹の蛇に。
この瞬間、俺は間違いなく蛙になっていた。
────何だ、これは。
蛇の霊怪か?
纈いろねの目の前に、何故現れた?
上手く頭が回らない。
退治するべきか?
鬼でも陰陽師でもない自分が、どうやって?
俺はもう、人間に敵意を持つ霊怪の恐ろしさを、知っている。
呼吸が浅くなる。自分の心臓の鼓動がひどく五月蝿い。
何を、どうすればいいのだろうか。目の前の情報に、回らない頭で必死に思考を巡らせている、その時だった。
影から、化け物が現れた。
「・・・・・・お、前・・・・・・」
それは、俺が臨死体験をしてから俺の影に潜むようになった化け物。否、カゲビトと種類名を付けられた霊怪。
カゲビトは、ずくりと影から姿を現した。
黒い靄が、人の姿を作っていく。
それは徐々に膨れ上がって、俺の頭一つ低いくらいの人型に靄が集まる。
そんな変わらず不気味な見た目をしたカゲビトが今、俺の目の前に佇んでいた。
俺は唖然とする。
何故今になってこいつは顔を出したのだろうか。
いつの間にか視線は蛇ではなくカゲビトに奪われていた。ハッとして、思い出したかのように蛇に視線を戻すと、もうそこには姿が無かった。
「何、だったんだあれは・・・・・・」
そう呟いたあと深呼吸をして、俺は纈の元へと駆け寄った。カゲビトもまた俺の影の中へと消えていった。
「纈、纈・・・・・・! 大丈夫か!?」
「あ、あれ・・・・・・? 何で白神がここにいんの?」
「図書室で課題やってたんだよ。それよりも、お前・・・・・・」
声をかけたら、纈の顔に生気が戻って行った。表情を取り戻したが、彼女は明らかに動揺していた。
「え、嘘。あたし、立ったまま寝てたかも・・・・・・」
纈は自分で自分に驚いているようだった。
俺も驚愕していた。
だったらあの蛇と纈は関係していたのだろうか?
そもそも、見えていたのか?
意を決して、俺は聞くことにした。
「お前、さっきの蛇、見えたか?」
「蛇・・・・・・? はあ!? まさか校舎に蛇入ってきたの!? 超やだんだけど!」
「・・・・・・・・・・・・いや。すぐに出てったよ。本当にすぐ、にな」
彼女に嘘をついている様子は見られなかった。
どうやら本当に見えていなかったようだ。
俺は混乱する。
力を持つ霊怪は自分から人間に近づくことも多く、そのときに人間を巻き込むケースが多い。その例が俺たちが助けた少女、
彼女は仲良くしていた猫を霊怪と知らずに接し続けた結果、事件に巻き込まれた。
もしかしたら今回の「蛇」も、同じようなケースかもしれないと思っていたのに、纈は蛇という霊怪を視認していなかった。
何故、見えなかったのだろう。
目の前にいて、いがみ合っているようにも見えたのだが──────
そこで、考えるのをやめた。
俺では理解出来ない。ここはやはり、霊怪関係の仕事を受け持つ陰陽師、
餅は餅屋だ。俺はあくまで、その手伝いをするだけである。
「すぐに出てったのなら良いけどさー。あたし、爬虫類とか無理だし」
纈はボブカットの髪をわしゃわしゃと掻いた。
俺は適当な相槌を打ちながら、スマートフォンで時間を確認するフリをした。
「こんな時間まで残ってたのか。お前徒歩通だったっけ?」
「うん、そうだよ。・・・・・・部活は中止になったし、雨止むまで待ってたのよ」
「おお、俺と同じだな」
いくらこの時期が日が長いと言えど、もう既に時刻は18時半に近付こうとしていて、じきに暗くなることを太陽は知らせている。
流石に女子一人で帰らせるには物騒だ。
「俺チャリだし送っていくぞ。危ないだろ」
「え? いいよいいよ。あたしの家、すぐ近くだし」
「そういう問題じゃ・・・・・・」
「────本当に大丈夫だから」
彼女の放った言葉の声音は、いつもよりも強かったと思う。
遠慮、ではなく。
拒絶をしているようだった。
俺はそれ以上は纈に詰め寄ることは言わず、ただ「分かった」、とだけ返した。
「・・・・・・ごめん、ありがと。部活無かったから、変な気分になっちゃったみたい。じゃあ、あたし帰るね。ばいばい、ナミト」
「あ、嗚呼。またな。気を付けろよ」
纈はいつもの調子で笑って手を振った。俺も手を振り返せば、彼女の後ろ姿が遠ざかっていく。
俺はその背中を見送りながら、大きくため息を吐いて、廊下のど真ん中でへたり込んだ。
じわじわと、自分の内側から冷静さを食い破れていくような、そんな感覚があった。
真っ赤な色をした、二つの目。あの瞳を思い出すだけで、心臓の鼓動が速くなるのが自分でも分かる。
俯いたまま、己の影をじっと見た。相変わらずいきなり現れては何もせずまた影へと帰る、俺の霊怪。
何故あの時急に現れたのか。現れた行為に意味はあったのか、それともただ出てきたところにたまたま蛇がいただけなのか、俺には分からないが、コイツに助けられたのは事実だ。
せめて意思疎通が出来たならとずっと思っているが、まあ、たらればをいつまでも語っていても意味が無い。そもそもカゲビトは二人が赤子みたいだと言っていたのだし。
「・・・・・・にしてもまた、厄介そうなヤツに出逢ったなあ、俺は・・・・・・」
そう呟いたあと、深呼吸をして自分の心を落ち着かせた。
深く息を吸い込んでは吐いて、俺は昇降口を目指して歩むのだった。
***
帰り道の道中、俺は運動公園に入り自転車を止めた。
太陽はもう沈みきって、空は完全な濃紺色へと姿を変えた。頭上では美しい月と星が眩い光を放っている。
公園には、時間帯のせいか誰もいなかった。俺は街灯が照らすベンチに座り、ポケットからスマートフォンを取りだした。画面をタップして、連絡帳を開く。映し出されたのは、「廻迷巡」という文字だ。
一応緊急連絡先として廻迷さんの電話番号は登録してあった。通常の連絡事項は廻迷さんは篝にしているため、普段は彼女と連絡を取り合ったりしないのだが────今回はその緊急だ。
二コール目で、彼女は出た。
「はい! いつでもどこでも電話一本で駆け付ける、陰陽師おねーさん廻迷巡で〜す☆」
「・・・・・・・・・・・・」
俺は今、本気で電話を切ろうかと思っていた。
「・・・・・・いや。いやいやいや。何ですかその挨拶。そんなデリバリーサービス会社みたいな・・・・・・」
「デリバリー陰陽師だよ。霊怪がいてもう大変〜! ってときに電話してくれれば、どこへでも私は駆けつけるのさ!」
「だからってそんなテンションで言われたら依頼人もビビり散らかしてしまうでしょうが・・・・・・」
げんなりした声で俺は言うと、電話の向こうから彼女のケラケラと笑う声が聞こえてきた。
「はは、冗談冗談。私レベルの陰陽師が電話一本で依頼引き受けるとか無理無理。君たちは別だけど。で、何があったの? おねーさんに言ってごらん」
「・・・・・・実は、さっき学校に、霊怪と思わしき生物が現れまして・・・・・・」
「ふうん? それ、どんな?」
「蛇、でした」
思ったよりも緊張していて、放った声は微かに震えていた。
数秒間、廻迷さんは黙ったあと「特徴を教えて」と言ってきた。俺は思い出しながら、ぽつぽつとそれを彼女に伝える。
「黒い色をしていて、目は真っ赤でした。長さは五〇センチくらいでしたね」
「・・・・・・そうか」
彼女の静かな声が、画面越しに鼓膜を撫ぜた。
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