第10話
「あ・・・・・・先輩。ここにいらしたんですね。よろしければ、お隣良いですか?」
「お、かがり。良いぜ」
昼休み、急に外の空気が吸いたくなった俺は一人中庭のベンチでぼーっとしていると、そこへ後輩の篝がやってきた。彼女の右手にはいちごオレの紙パックを握られている。
俺の返事に篝は微笑むと、人一人分ほど空けてベンチに座った。
今日の空はどんよりと重たい雲が天を覆い尽くしていて、何となく俺も気分が憂鬱である。
篝もいちごオレをストローで吸い込みながら、大きな瞳に、灰色の空を映していた。
「雨、降りそうですね」
ふと、ストローから口を離して篝は言った。
重たい雲は今にも泣き出しそうな顔で空に立ち止まっている。
「そうだな。もうすぐ降るって感じだな」
俺は答えると、篝は恨めしそうな顔で空を睨んだ。
今日は廻迷さんからの依頼は無いが、自転車通学の俺は雨が止むまで教室で待つことになるだろう。まあ、早く家に帰れたとしてもやることなんてゲームくらいしかないのだが。
高校受験を控えている妹の邪魔もしないように気を付けなければいけないし。
「・・・・・・そう言えばさ、あの時は必死すぎて考えられてなかったんだけどさ。俺があんなにデカい猫に追いかけられてたのに、カゲビトくんは一切助けてくれなかったの、酷くね?」
「あっ、確かに・・・・・・それどころか頭すら出していませんでしたね」
「いや、分かってるんだよ? 俺のこんな赤ちゃんみたいな霊怪は戦えないってこと。でもさあ、こう・・・・・・ピンチなとき、盾になってくれるとか、守る素振りとか、そういうの見せて欲しかったのに、こいつときたら・・・・・・っ!」
言っているうちに腹が立っていき、思わず靴の裏で自分の影をダンダンと思い切り踏んでやった。
まわりからしたらただの奇行に走っている男にしか見えないが、それすら気にする余裕もなかった。
篝は苦笑を浮かべながら、
「まあまあ」、
と俺を窘める。
奇行に疲れて足を止め、思わず零れた大きな溜息が宙に漂った。
「ほんっとに、俺が苦労している時に観客気取りとか・・・・・・・家賃取るぞコラァ・・・・・・」
「ふふ、ならカゲビトさんは先輩に何を払うのでしょうね。呪いとかでしょうか?」
「怖いこと言うなよ・・・・・・」
げんなりした顔の俺を見て、篝は口元に手を当てて楽しそうに笑った。
やはり彼女の冗談の裏にちらちらと廻迷さんの顔が浮かぶ。
こういうところ、影響されているんだろうなあ。
「魂の浄化、って言ってたよな。美鶴にそれしてた廻迷さん、かっこよかったな」
「めぐりさん、格好も普通のスーツですし、いつも刀で斬って解決してるのであまり陰陽師らしくはないですが、やはり御札を使う様子を見るとちゃんと陰陽師なんだなあって思いますよね」
「そうだな。しかも凄腕の陰陽師って。すげえ・・・・・・」
目を瞑ると、廻迷さんがピースしてばちこーんとウインクしている顔が浮かんだ。
褒めると多分調子に乗るタイプだ、ああいう人は。
多分俺の腹の治療をしたときも美鶴と同じ感じだったんだろうな、と思いながら腹を撫でた。俺の場合は廻迷さんの血を使ったとか言っていたが。
「廻迷さんて、歳いくつ?」
「二六歳です」
「おお、そうだったんだ・・・・・・」
自分で聞いておいて反応に困ってしまった。
本当にお姉さんの歳だった。
気になってはいたが本人に直接聞く勇気は無かった。聞いた途端に刀でぶった斬ってきそうだからだ。
物騒がスーツ着て歩いてるみたいな人なんだよな。
そんなことを思っていると、突然俺を呼ぶ声が鼓膜を撫でた。隣にいる篝ではない声だった。
「白神〜アンタ何してんのこんな所で」
「げ、
「げって何よ、失礼な」
腰に手を当ててベンチにやってきたのは、同じクラスの生徒である
纈いろねという人物は、この
何を隠そう、彼女は硬式テニス部のエースである。
纈いろねが入部する前は、県大会など夢のまた夢というレベルだった我が校のテニス部で、彼女は個人戦全国大会優勝という輝かしい結果を叩き出したのだ。
それはもう、陽浪ヶ丘高校の生徒全員が湧き上がった大ニュースだった。硬式テニス部の顧問である
纈いろねがテニスをする姿を俺は教室の窓から何度か見ているが、華麗なフォームと光のように速いスマッシュは、丸っきり素人の俺から見ても圧倒されるほどに出来上がっていた。
恐ろしく速いスマッシュ、俺じゃ見逃しちゃうね。
そんな素晴らしい伝説を作り上げた彼女だが、本人は決してそれを鼻にかけているような人間ではない。
いかにもスポーツマン少女といった、男勝りでサバサバとした性格をしているが、決して驕り高ぶったりせず、真面目で面倒みがいい女子生徒だ。
身長一六七センチの俺の隣に立つと、もしかしたら彼女のほうが高いのではとひやひやするくらいに高い身長と、栗色のボブカットが特徴的な見た目をしている。
伝説と性格も相まってか、男子と女子両方から人気がある。
「お前、今日俺に数学で嘘の回答教えたこと、根に持ってるんだからな」
「ごめんて。でもアタシも分かんなくて適当に言ったやつ書いたの白神じゃん」
「お前も分かってなかったのかよ!」
勉強は平均の俺とどっこいどっこいで、何かと点数争いをしたり逆に教えあったりするときもある。纈とは席が前後なのだ。
ジト目で纈を見ていると、彼女は
「おっ」
と、声を上げて篝に駆け寄った。
「可愛い子発見! うわ〜肌白い! 髪綺麗! お人形みたい!」
「ひゃあああっ!?」
「おい暴走するな! かがりがビックリしてるだろ!?」
纈は勢いよく篝に飛び付いては、口を緩ませながら頬擦りをした。
初対面なのに、距離感がバグっている。
篝は顔を真っ赤にしながら、先輩だから振り払うことも出来ずにされるがままになっている。
辞めろ篝は人見知りなんだ・・・・・・! と心の中だけでツッコミながら、俺は纈を引き剥がす。
「なになに? もしかして白神の彼女?」
「違うからな!?」
「違いますから!」
「へ〜え?」
二人でハモるように言うと、纈はさらにニヤニヤとした笑みを浮かべて俺たちを見た。
俺は纈を睨みつけながら、話題を逸らすために彼女に隣に問うた。
「お前、何しにきたんだよ?」
「ん? まあ、天気見に来ただけ。雨降るとグラウンド使えないからさ」
「ああ、そういう・・・・・・」
雨の日は校舎内で筋トレか中止になると聞いたことがあるが。
「まあ、帰宅部エースのアンタには無縁な話よね」
「うっせ」
帰宅部はチャイムとともに教室から飛び出し、真っ先に帰宅をすることを活動としている。なんならクラウジングスタートで家まで帰る自信がある。コーナーで差をつけろ。
そんな馬鹿げた独り言を心の中で呟いていると、纈は空を見上げながら、ぽつりと零した。
「アタシ、雨嫌いなんだよね」
と。
彼女の横顔は、まるであの空のようにどんよりと重たい雰囲気を纏っていた気がした。
「梅雨明けしたと思ったのにまた雨降るとかついてないなあ」
「梅雨じゃなくたって雨は降るだろ。そんなに嫌いなのか?」
「嫌い。 ・・・・・・大嫌い」
何でそんなに、と聞こうとした途端、予鈴のチャイムが鳴り響いた。昼休みが終わる合図だった。
俺らのクラスである二年二組の次の授業は化学で移動教室だ。もたもたしていたら遅れてしまう。
「じゃ、俺らは行くから。またな、かがり」
「はい、先輩。じゃあ、また。」
「じゃあね〜後輩ちゃん! あ、アタシの名前は
「やめろよお前・・・・・・」
纈はいつもの調子で笑いながら、ヒラヒラと手を振って校舎へと戻っていく。篝も小さく手を振り返していた。
そして化学の授業を受けている間、雨は強い勢いで降り出したのだった。
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