第8話
大地を踏み締めて、怪物を睨み返す。
「先輩! 一体何をする気ですか!?」
「かがり、コイツは今俺しか眼中に無い! 今のうちに逃げろ!」
「な……っ、自分のこと、棚に上げて……!」
確かにそうだ。二人で逃げようと言ったのは自分だ。
だが、状況は変わった。さっきのように二人で逃げたら猫はまた美鶴を襲おうとするだろう。
なら、今自分しか眼中に無いうちに、誘き寄せるのがかっと正解だ。そのうちに篝たちに逃げて貰うしかない。
深く息を吸い込んで、背中を向けて、思い切り地面を蹴って走り出した。巨大な猫が追い掛けてくる。
「先輩、待って─────!」
鋭い爪が俺を目掛けてやってくる。気配を察知し、ギリギリで頭を下げてかわす。髪が一房、はらりと宙に舞った。
「う、おおおおぉぉぉ────!」
叫び、回避することに集中力を掻き集める。巻き上がる土煙にむせ込みそうになりながらも、進める足は今までで一番早く動いてくれている。火事場の馬鹿力というやつだろうか。
そしてふと、視界に入ったのは自分が飛び降りた窓のすぐ下にあったシャベルだった。
平たく、先が尖ったそれは通常のものよりもやや大きめだ。
軌道変更して、窓の元へと走り、シャベルという名の武器を手にする。
後ろは壁だ。もう逃げ回ることは出来ない。
「来いよ、デカ猫。男子高校生の全力の力でお前の横っ面ぶっ叩いてやるよ!」
声高に叫びながら、シャベルを握り締める。
爪の攻撃をギリギリで躱わし、身体を捻り全体重をかけるようにシャベルを振り回す────その瞬間、雷鳴のように声は響き渡った。
一瞬、時間が止まったような錯覚を感じる。
「相変わらず、君は無茶ばかりしようとするねえ、ナミトくん?」
聞き慣れた声にハッとする。
目の前に現れたのは、まるで炎のように真っ赤な長い髪。
一振の刀を手にした陰陽師────
スーツという現代服に刀を持つその姿が、ぞくりとするほど似合っている。
「廻迷さん・・・・・・!」
「これはこれは、随分と大きい猫だ。・・・・・・斬りがいがある」
最後にそう放った声はひどく冷たく、背筋が凍りつきそうになる。
「廻迷さん、気を付けてください! コイツの爪、滅茶苦茶鋭ど────」
言い終わる前に、巨大な猫は空中でバラバラになっていた。
あまりの速さに、斬った瞬間すら見えなかった。
何が起こったのか理解出来ず、ただ呆然と廻迷さんを見る。
猫の散らばった部位が、黒い砂のようなものを出しながらさらさらと消えていった。
霊怪は死体が残らないのか。
その事実に驚いていると、廻迷さんは振り向いて俺に言った。
「危ないところだったね。君に怪我は無い?」
「は、はい」
「そ。それは良かった。きちんと逃げ切れたのは偉かったね」
廻迷さんは優しく微笑んだ。手に持ってる武器とのアンバランスさが余計に怖い。
制服についた砂埃を払いながら、俺は彼女に問うた。
「廻迷さん、今の霊怪は一体・・・・・・? なんか、校舎の壁すり抜けて来たんですが」
「祟り猫」
「たたり、ねこ・・・・・・?」
復唱していると、篝が駆け寄ってきた。腕の中には未だ眠る美鶴がいる。
少しだけ、美鶴の顔色はさっきよりも良くなっているような気がしてホッとした。
「先輩、めぐりさん・・・・・・!」
「かがり。ありがとな、色々と。助かった」
「っ、先輩、あんな危ないことしようとして・・・・・・」
「・・・・・・ごめん。でも、今度はちゃんと逃げきれたよ。二人が無事で良かった」
篝は不服そうに俺を睨んだ。
まあまあ、と廻迷さんが篝を窘める。
「かがり。この子が猫に巻き込まれた子?」
「はい、そうです。校舎で一人で泣いているのを見付けたんです」
「そっか。・・・・・・それは運が悪かったね」
廻迷さんは目を伏せながら、ぽつりと言った。
しなやかな指先が美鶴の頭を優しく撫でる。
今度は廻迷さんが美鶴を抱き上げ、木陰へと移動した。
木の下は草が凄い勢いで伸びていてひどく荒れていた。
廻迷さんの隣に俺たちは腰掛けて、美鶴が目を覚ますのを待った。
「廻迷さん。さっき祟り猫って言ってましたけど・・・・・・祟り猫って一体何なんですか?」
俺の問いに、篝も廻迷さんを見て彼女の答えを待っていた。
「祟り猫は、元々は東北地方のとある村に伝えられる古い物語に出てくる生物だ。そこに出てくる猫は、貧しい人間に殺され皮を剥がされた。その強い怨みから霊体が残り、自分を殺した人間に復讐したっていう話」
「怖ッ! 猫も人間もどっちも怖すぎません!?」
「まあ、何が言いたいかって言うと、生き物は大切にしろっていう物語さ」
目を閉じれば鮮明に思い浮かぶあの姿。
巨大な体躯と鋭い牙、何より三つ目の顔面が怖すぎて、思い出すだけで震えが止まらなくなりそうだ。
気を紛らわすために空をぼんやりと見た。
今はちょうど一番日が長い時期だ。西の空は鮮やかな橙色に染まり、太陽の光がまだ眩しい。
目を細めながら夕日を見ていると、隣にいる篝が廻迷さんに言った。
「めぐりさん。美鶴ちゃんは、仲良くしてた猫が逃げ込んだからここへ来たんです。そこでその・・・・・・目の前で猫ちゃんが祟り猫に食べられてしまったと、言っていました。どうして祟り猫は、美鶴ちゃんにあんなにも執心していたんでしょうか・・・・・・」
「嗚呼、確かにそうだな。途中まで、美鶴しか眼中に無かったように追い掛けていたしな」
煽ったことで標的が俺へと変わったわけだけれど、猫は確かに美鶴を狙っていた。
明らかに殺す気だったと思う。
廻迷さんは顎に手を当てて「ふむ」、と呟いたあと、人差し指を立てて言った。
「祟り猫はその名の通り、人間に祟りを起こす猫だ。今では、動物にひどいことしたら祟り猫がやってくる─────という話になっている。美鶴ちゃんが仲良くしていたという猫は、確かに元から霊怪だったことは間違いない」
「・・・・・・やっぱり、そうだったんですか・・・・・・美鶴ちゃんは、そうとは知らずに霊怪と・・・・・・」
篝が青ざめた顔で呟いた。
廻迷さんは表情を変えずに続ける。
「普通の猫に擬態して生活し、人間の傍で暮らし、負の感情を食べて力をつけていった。そうして十分な餌を食べたから、本体のいる校舎に彼女を誘き寄せたんだろう」
「誘き寄せて・・・・・・それで、美鶴をどうするつもりだったんですか?」
「おいおい、相手は霊怪だよ? 彼女をどうするかなんて、君も分かってるだろ?」
肩を竦めて俺を見る。
その瞳がゾッとするほど冷たく感じた。
全てを食らいつくような大きな口と鋭い牙。あの凶悪な口で彼女を喰う姿を想像してしまい、胃の中の物を吐き出しそうになった。
「物語で、猫を殺した人間にはもう一つ設定があってね。その人間には、幼い子供がいたんだ。子供に食べさせる金が無くて、猫の皮で生活費を稼ごうとした。だが物語で猫が復讐したのは、自分を殺した人間だけ。子供は殺してない。美鶴ちゃんに執着したのも、これが原因だろうね」
「親の罪なのに、そんな、子供まで狙うなんて・・・・・・」
「猫に倫理を解いても意味が無い。今回あの猫に関わったのがたまたま子供だったから、祟り猫の性質が影響してこの子に執着したんだろう」
廻迷さんはそっと、美鶴の頭を再び撫でた。
「まだあの段階だったから良かった。この子を喰っていたら事はもっと大きくなっていただろうね。────二人とも、よくやってくれた。ありがとう」
彼女はふっと微笑んだ。
いつもの飄々としていて底知れない雰囲気が消え、今はただあたたかな微笑を浮かべている。
そんな彼女に釣られるように、俺と篝は二人で顔を合わせて笑った。
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