第3話

 廻迷巡かいめいめぐりと名乗った女性の声が響き渡る。豊満な胸に手を当てて、ドヤ顔でこちらを見ている。

 飄々としていてどこか掴めない人だ。にこやかな笑顔の裏に、底知れない恐怖を感じる。



「陰陽師って・・・・・・そんな黒スーツで陰陽師の仕事やってるんですか!? OLの間違いでは!?」


「はは、擬態って大切だろう?」



 絶句した。



「ま、私たちの職業の名前なんてなんでもいいんだけどさ。そう名乗ってるだけみたいなもんだし。そうだ、私のことは気軽にめぐりお姉さんって呼んでくれても構わないよ?」



 今度はニヤッと意地の悪い笑みを浮かべる廻迷さん。

 若干引いたような表情の男女二人を交互に見て、さらに喜んで笑みを深めた。


 そして彼女は胸ポケットから煙草を取り出して火をつける。

 咥えた口元から紫煙がゆらゆらと、どこか怪しく揺れていた。煙草の独特な匂いが鼻腔を擽る。


 にしても、うわあ。

 煙草吸う姿、めちゃくちゃ似合うな、この人。



「あの、廻迷さん。まず最初に一つ、聞いてもよろしいでしょうか」


「どうぞ〜」



 すう、と大きく息を吸い込む。質問をする前に、辺りを見渡した。

 起きた瞬間から気が付いたこと。

 それは、俺が今いる場所は、化け物に遭遇した公園では無いということだった。


 今いる場所もベンチのある広場のような所だが、一体ここはどこなのだろうか。

 見た感じ、丸っきり知らない土地では無いと思うのだが。



「ここ学校見えるし、化け物に遭ったとこから結構距離ありますよね? どうやってここまで・・・・・・?」


「ああ、それ? かがりがここまで猛烈なダッシュで運んできた」


「あぁ、そうですか・・・・・・はあ!? 運んできた!?」


「お姫様抱っこで」


「お姫様抱っこで!?」



 首がもげそうな勢いで振り向くと、彼女は顔を赤くして震えていた。

 その様子から察するに、ここまで彼女がお姫様抱っこで俺を運んで来たというのは真実らしい。廻迷さんが嘘をついているようにも思えないし。


 普通に考えて、女子の細腕で男子高校生を抱えて長距離の移動、というのは不可能だ。

 人間ならば。

 一体、彼女は何者か。化け物​────廻迷さんはさっき、「霊怪」だなんて呼んでいたけれど、霊怪とは一体、何なのか?



「さて。そろそろ、その辺も含めて私が説明しよう」




***




 妖怪。化け物。人ならざるもの。

 俺が、二年前の事故に遭い見えるようになった存在。

 それらは専門用語で霊怪れいかいという生き物らしい。

 特に決まった姿はなく、獣や人型をしていたりと様々な姿をとっている。


 俺が今まで、霊怪がただそこに存在するだけのものだなんて、そんなおめでたい勘違いをしてきたのも、本当に、俺が単に運が良かっただけなのだ。



「別に全ての霊怪が敵意や殺意がある訳では無いけれどね。存在の確立が強ければ強いほど、そういった意思が出やすくなる。君が今まで見てきたものは、雑魚霊怪だね」


「雑魚って・・・・・・霊怪にも強さ弱さはあるんですね」


「まあ、あるね。あると言える。けれども、運が良いの一言で片付けるには少しだけ短絡的だ。君は今まで霊怪を「見る」だけで済ましていたのだから」



 じっと、廻迷さんは俺を見る。



「見るだけで、踏み込んで来なかった。けれども今日、君は自ら突っ込んで来た」


「でも、あの獣の霊怪からは遠くから見ても、敵意を感じました。今日に限って、あんなの見るのは初めてで・・・・・・」


「そこら辺はかがりの影響もある。彼女相手だと霊怪が警戒して威嚇するのはよくあることだ。まあ、それはそれ、これはこれ。あの場に君から突っ込んできたという事実は変わらない」


「・・・・・・・・・・・・」


「普通の人間なら大体、あんなの見たら逃げるのが当たり前なんだよ。君には理解出来ないかもしれないけれど」



 見透かしたような、彼女の瞳にぞくりとする。


 声を詰まらせた俺を見て廻迷さんは肩を竦めて続ける。



「かがりも関わる話だから少しだけややこしくなるけれど、そこもあとから説明しよう」



 俺は座り直す。握りしめたズボンに皺が寄っていく。

 廻迷さんが話している間、少女は口を開かなかった。

 ただ静かに、俺と、廻迷さんを見つめていた。



「そもそも、霊怪とは何なのか? その問いに、コレという決まった答えを言うことは出来ない。だから私が話すのは、ただの結果であり、記録から知った知識だけだ」



 背中に、変な汗をかいていくのを感じた。

 ずっと自分についてきた、それこそ影のようにピッタリと張り付いていた問題を、今この瞬間に暴くのかと思うと、緊張でいたたまれなくなる。


 今から知るのは真実だ。

 深呼吸して、廻迷さんに向き合う。彼女は微笑んだ。



霊怪れいかい。人間が生み、人間に消されるモノ。彼らのほとんどは、霊や妖怪みたいに、人が「この世にいるかも知れないし、いないかも知れない」と思っている生き物が基盤になっている」


「・・・・・・いないかも、も入るんですか・・・・・・?」


「そう。大事なのは、人がオカルト的存在として想定、あるいは想像していること、それ自体なのさ。噂や御伽噺、地域の伝承なんかも入る。とにかくそういった曖昧なモノが、人間の強い願いや感情と結び付いて実体化したのが、霊怪と呼ばれる」



 廻迷さんは二本目の煙草に火をつけた。



「特に、人間が無意識に生む感情​────怒り、悲しみ、恐怖、妬み。そういった負の感情と結び付きやすい。結び付きが強かったり、元となる存在の基盤が大きければ大きいほど、力は強くなる」


「・・・・・・なんか、混乱してきたんですけれど・・・・・・えっと、それってつまり・・・・・・」


「幽霊はいるかもしれないし、いないかもしれない。人によって意見が違うだろう? 霊怪として現れるのに、その二択はさして重要じゃない。霊怪の「元」を作るのは、その噂や伝説、信仰の存在そのものなのさ」



 俺は頭のなかで整理整頓する。

 疑問の前に、理解が足りていなかった。


 首を傾げたままの俺を見かねたのか、彼女は煙を長く吐き出したあと、再び口を開いて言った。



「噂や都市伝説。その類の概念という種に、人間の負の感情という餌を与える。そうして現界し、実体化した姿が、霊怪と呼ばれる生き物だ。分かりやすく纏めてみたんだけど、理解出来たかな?」


「おお・・・・・・最後で一気に分かった気がします」



 完全に、というまでにはいかないが。

 彼女の説明はとても上手だったと思う。


 二年間疑問に思っていた存在の正体を知ることが出来たのは、正直に言って大きな収穫だ。

 今まで、知りたいと思っていたが、知る手段が無かった。

 まわりで霊怪を見れる人は誰一人といなかったから。


 まさかこんな形で知ることになろうとは微塵も思わなかったが。



「ま、霊怪なんて存在、理解出来なくて当然なんだけれどね。曖昧で、不確かで、正体が不明であることが、アイツらの正体みたいなものなんだから。矛盾だって生じることもある」


「哲学みたいですね」


「実際そんなもんだよ。正体は暴けない。暴けては意味が無い」



 暴けてしまったら、この世にオカルトは存在しないからね。

 と、廻迷さんはからかうように言った。


 正体不明であることが正体、というのは、何となくわかった気がした。

 正体を暴くこと。証明すること。

 それが出来てしまったら、この世に幽霊も妖怪もいない。

 そうとは呼べなくなった、か。


 存在の全否定、もしくは全肯定。

 黒が白に変わり、白が黒に変わる。


 灰色だった存在が​────そのどちらかへと変えられる。


 だからこその、「霊怪」。

 分からないままの存在だからこそ生まれる化け物。


 俺は自分の影をじっと見つめた。

 影に潜む霊怪は、俺が起きてから一度も姿を見せなかった。



「君は、霊怪が見えるようになったのは、二年前に事故に遭ってからと言ったね。うん、事故が原因なのは間違いが無いだろう。彼岸と此岸。その狭間に存在する霊怪。君も、死にかけたことでその狭間に踏み込んだのかもね」



 咥えた煙草から一筋の煙が、静かに立ち上る。顔を上げた俺はそれを黙って見ていた。



「そういった原因は珍しいことじゃないよ。生死をさ迷ったことのある人間に、霊怪との関わりが生まれてしまうのも、理屈としては通ってる。現に私に依頼してきた人たちで、死にかけた経験がある人も少なからずいたしね」


「そ、そうなんですか?」



 廻迷さんは頷いた。


 積もりに積もっていた疑問に、一つずつ答え合わせがされていく。

 謎解きの答案を聞いている気分だった。



「君のその、影の化け物」



 煙草を持っていない方の手で、俺の影を指差した。

「え」、と間抜けな声を出して彼女を見る。



「君が寝てる間、一瞬だけ姿を現した。なかなか面白い霊怪だね」

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