第4話

「え・・・・・・こいつ、影から出てきたんですか?」


「うん。ひょっこりと数秒間だけね。君を心配していたのかな? はは、可愛いペットじゃないか」


「やめてくださいよ・・・・・・」



 化け物がペットだなんて。

 ポケットなモンスターじゃあるまいし。



「ですが廻迷さん。人間がこの世にいるかも知れないしいないかも知れないと思っている生き物が基盤になるんですよね? こいつは何なんですか?」


「うーむ。これは人間が思う「よくないもの」の吹き溜まりから生まれたものかもしれないね」


「よくないもの、って・・・・・・」


「人間がなんとなく「怖い」と感じるもの。実体は無いが、暗闇を怖がるように、ただそこに恐怖を与えるだけの存在。それが人間のカタチをとったのかもしれないね。あくまでも私の予想だけど」



 表現が曖昧になるのも、霊怪存在そのものが曖昧なためこれと言った答えは出せないという。


 怖いと感じるもの​────確かに人は暗闇に恐怖という感情を抱きがちだ。

 そんな感情が結び付いて勝手に人間の形をして俺の影に住み着いたということだろうか。



「でもなかなか見ないタイプだね。君が死にかけてから一緒に住むようになったの?」


「だから言い方・・・・・・。そうですね。あ、死ぬかもって思った瞬間に、こいつが俺の目の前にいたんです」


「へえ、なるほどねえ・・・・・・」



 廻迷さんは目を細める。そして俺の目の前にしゃがみこみ、影をとんとんと人差し指で叩いた。


 しかし、何の反応は無かった。

 出てくる気配も無い。



「ごめんなさい。こいつ、自分から勝手に現れるだけで呼んでも来てくれないんですよ。俺でも全然何考えてるか分からなくて・・・・・・」


「や、別に呼び出したいわけじゃないよ。ただ興味深かっただけさ。影の霊怪​────分かりやすくカゲビトとでも呼んでおくか」



 飄々とした口調で彼女は言う。



「あの、廻迷さん。さっき、霊怪には強弱が一応存在するんですよね? 俺のこの・・・・・・カゲビトって、強いんですか?」


「いや全然? ちっとも、全く」



 即答だった。

 しかも何だよ、その三段階否定。


 ちょっと期待していた俺が馬鹿だった。



「そもそも、カゲビトに敵意や殺意などの類は一切感じない。意思はあるのかもしれないが、なんというか​・・・・・・赤ん坊みたいだね」


「赤ん坊、ですか?」


「うん。とりあえず害は無さそうだけど」



 ひらひらと手を振り、立ち上がる廻迷さん。

 煙草の火は消えていた。

 彼女は携帯用灰皿をポケットから取り出し、灰を捨てる。


 その様子を見ながら、俺は内心でほっとしていた。

 害は無さそうだ。

 その一言で、救われる思いだった。


 さっきの獣の霊怪のように、人を傷付けることがないと思うと、俺は心底安堵した。

 弱いことに少しだけガッカリもしたけれど、 それでも自分の霊怪で、誰かを傷付ける行為だけは絶対にしたくはない。


 まあ、弱いのでは誰かを守ることもあまり出来ないが。



「あ、退治して欲しかったら勿論ぶった斬ってあげるけど。どうする?」



 彼女のそんな言葉が耳に届いたとき、廻迷さんはいつの間にか一振りの刀を手にしていた。突然現れた本物の存在に唖然とする。

 月光に照らされて銀色に輝くそれは、一瞬で惹き付けられるような存在感を放っていた。


 いや。何より驚いたのは、自分が今まで彼女が帯刀していたことに気が付かなかったことだ。


 彼女は今までずっと、腰に刀を下げていたのだ。



「はは。驚いた? 刀に認識阻害の術式をかけてるからね。じゃないと、銃刀法違反で面倒なことになるからね」


「刀が透明になってたのかなって思いました」


「魔法じゃないんだからそんなことは出来ないよ。視界に入らなければ問題無いんだから、周囲に認識されないだけの術を組めば良い。見えないという意味ではどちらも同じだ」



 廻迷さんは笑いながら刀をくるくると回した。その笑顔はゾッとするほど恐ろしく、同時に美しかった。



「で? どうする? あの子、斬ってあげようか?」


「怖・・・・・・いや大丈夫です!」



 斬られるのは自分じゃないのに、何故か背筋がぞわりとした。

 断った俺にどこか残念そうな顔をしたのが余計に恐怖心を掻き立てた。


 本当におっかねえなこの人。



「かがり。君から見て、あのカゲビトはどう感じた?」



 そこで、今まで黙っていた少女に廻迷さんは問うた。

 少女は指先で顎を掴みながら、ゆっくりと口を開く。



「変わった気配がする霊怪でした。今まで感じたことの無い気配で・・・・・・ですが、めぐりさんの言った通り、敵意は無かったと思います。ただ、珍しいってだけで・・・・・・」​


「だそうだよナミトくん。珍しいだけだってさ〜」


「め、めぐりさん! そこをそんなに強調しなくてもっ!」



 慌てた顔で声を荒らげる少女。

 ほんのりと色付く頬は、年相応らしく可愛かった。


 彼女がこっちを見て一瞬目が合ったが、更に困った顔をして廻迷さんのほうを見た。



「私よりも、めぐりさんの判断に任せます・・・・・・」


「よし。じゃあ取り敢えず、ナミトくんの霊怪は様子見ってとこかな。まだまだ謎だらけだしね」


「分かりました」



 良かった。なんとか俺のカゲビトは、斬られずに済むようだ。



「そうそう。カゲビトっていう名前はあくまでも種類名として付けた名前だから。ペットみたいだからって、個人名は付けちゃ駄目だからね」


「付けませんけど・・・・・・でも、何でですか?」


「霊怪に名前を付けるという行為は、この世にいることを認めるってことだからね。ここにいてもいいよって、言ってるのと同じなんだ」


「あぁ、なるほど・・・・・・」



 なんとなく理解出来た。


 廻迷さんは人差し指を上に立て、「さて」と笑った。



「霊怪の説明もしたことだし、今度は、ここに至る経緯を話そう。君が獣の霊怪に会ったあとの話をね」



 俺は無意識に、斬られた腹を撫でた。

 そして少女のほうに視線を向ける。彼女は真っ直ぐに、廻迷さんを見ていた。

 ついでに白くて小さな手が、膝の上できゅっと固くなっている。


 なんというか。

 彼女は何だか、うさぎやリスなどの小動物を連想させた。


 ・・・・・・俺、本当にこの子にお姫様抱っこされてたの!?


 羞恥で死にそうなのをくっと堪えて、俺も同じように廻迷さんを見る。



「そんなに同時に見つめられると、さすがのめぐりお姉さんも照れちゃうなあ。ってことでかがり、君の言葉も私は欲しいな〜!」



 ニッコニコの笑顔で、廻迷さんは少女の手を掴み、引っ張った。



「ひゃう!」



 廻迷さんは少女の肩を掴み、まるで俺に差し出すように一歩近付ける。

 少女は困ったような顔でこっちを見る。


 そしてようやく、まともに目が合った。


 思わず、その姿に目を奪われる。

 腹を斬られてから一度彼女のことを見ていたが、改めて真正面から見ると、やはり可愛いらしい少女だった。

 腰にまで届く美しく柔らかな黒い髪。大きな瞳は長い睫毛に縁取られていて、肌は透き通るように白い。どことなく幼さが残る顔立ちと小柄な体躯は、やはり小動物を連想させた。


 こんな美少女を差し出されると、ピュアな男子高校生はドギマギしてしまうのである。



「あの」



 俺が何か言わなければと口を開くよりも、彼女のほうが早かった。



「言うの、遅くなってごめんなさい。私を助けようとしてくれて、本当にありがとうございました」



 そう言って、深々と頭を下げる彼女。

 礼儀正しい子だ。

 ついでに、髪が長いせいで今にも地面に着きそうで、場違いにもヒヤヒヤしてしまった。


 そんな馬鹿げた心配を蹴飛ばして、俺は首を振った。



「こっちこそ。助けようとしたのに、君に迷惑かけちゃって本当にごめん」


「いいえ。傷も無事に治って良かったです」



 彼女は柔らかく笑った。とんでもなく良い子だった。

 だから余計に、この子に「お姫様抱っこ」をさせてしまった自分が情けなく手恥ずかしくて、どうにかなりそうであった。


 絞り出すように、俺は言った。



「俺、白神波都しらがみなみと。君の名前、教えて欲しいな・・・・・・」


「かがりです。火縫篝ひぬいかがりと言います。好きなように呼んでください」


「じゃあ、かがりって呼ばせてもらう。俺のことも好きに呼んでくれて構わないから」


「ひぇ・・・・・・」


「おっと〜? いきなり後輩の女の子を下の名前呼び〜? なかなかやるねぇ君。もしかして手馴れてる?」


「そんな訳ないじゃてすか! くっ、俺は順番を間違えたのか・・・・・・っ!」



 確かに馴れ馴れしいかなとは思ったが、かと言って名字で呼び捨てるのも何だか冷たいと思い、迷った末に、俺は後者を取った。


 学年が一つ違うだけでこうも難しいとは思わなかった。

 距離感が上手く掴めない。



「まあこの子、見ての通りの人見知りだから、それくらい踏み込んでくれる人がいないと駄目なのかもね。どうか仲良くしてやってくれ」


「よ、よろしくお願いします・・・・・・!」


「おおう。よ、よろしく・・・・・・」



 まるで学校生活初日の生徒の挨拶と、その保護者のようになってしまった。

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