6.彼女が語る『彼』の長い話 (2)

「晶、私の目的はどんな手段を使ってでもブラッドフォードの嫌疑を確実にすることだった。だから君の存在はある意味、目眩ましだった。君には言わなかったが、あの屋敷には既に私の仲間が潜入していた。〝彼〟の目的は二つの死にシリルが関わっていた証拠を掴むことだった。君を屋敷に行かせたのはと考えたからだ。私は君を欺き、利用した。恨んでくれても構わない。私は君の努力を望んだのではなく、君の存在そのものを利用しようとした」


 届いた言葉に晶は何も言えなかった。

『彼らの目が彼にではなく』 

 ミナが言う、潜入中の仲間がライであるのは直接言われなくても分かっていた。彼はそのような任務に就きながらも至る場面で自分を気遣ってくれていた。時折声をかけてくれたのも距離を置きながらも見守ってくれていたのも、もしかしたらリジーに見つかりそうになったあの場に現れたのも、偶然や気まぐれではなく、意図を持って為されたものだったのかもしれない。 

 自分はただの囮でしかなかった。そのことに対して恨んでくれても構わないと彼女は言ったが、そんな気になどなれなかった。囮としても目眩ましとしても、自分はそれすらも最後までやり通すことができなかった。

 それだけではない。自分がいたからこそ、彼は疑われたのではないか。そのせいで今捉えられ、危険な目に遭っているのではないか。


「あの時……君から彼が知り合いだと聞かされた時、私は自分の失態を感じた。彼にはすぐに確認を取ったが本人は続行を望んだ。だが実際どうすることもできなかった。事は始まってしまっていた。全ては私のミスだ。それは今も変わらない。君は〝奪われたもの〟が何であるのか知る必要はない。これから何が起ころうと彼も私も全て承知の上だった」

 言い終えた彼女が、湖畔を離れる気配がした。遠離ろうとする足音は話はもう終わりだと言っているようにしか感じなかった。

 けれど話は終わってなどいなかった。

 晶は去っていく足音に焦燥を覚えながら、闇に響き渡る声を上げていた。

「待ってください、コルトヴァさん! 私はまだ全てを聞いていません。〝奪ったもの〟とは一体何ですか? それがなければ私はリジーの元に行くことができない! それを手にしなければライが……」

「君はもう関わる必要はない」 

「ではどうしてこの話を始めたのですか? こんなこと言わなくてもあなたに不都合はなかった。最初にあなたが言った通り告げる必要などなかった!」

 向けた言葉に彼女の表情が僅か揺らいだ。当惑しても見える彼女のそんな表情を目にするのは初めてだった。 

 彼女の言動は時に非情にも映るが、晶はそれが彼女の本質だとは思っていなかった。強引な手段で自分をこの件に引き込んだ事実は確かにある。でもいずれ仕事に戻れるよう取り計らってくれてもいた。仕事の一環とはいえ、入院先の病院で付き添ってくれてもいた。彼女の間接的な優しさはこれまで幾度か感じ取ってきた。

 ただ彼女自身、誰かと感情を取り交わすことを常に拒んでいるようにも感じていた。


「晶」

「はい」

「彼が君に着せた上着を覚えているか」

「え? ええ……」 

 唐突に戻った言葉に戸惑いながらも晶は返事をした。 

 彼が川辺で手渡してきた上着。病院に運ばれた時も自分はそれを身に着けていた。

「私が上着を持ち帰ったのは、彼が敢えて君に手渡したように感じたからだ。調査の結果、上着の裏地の縫い合わせに極小の記憶媒体が隠してあった。彼は収集した証拠をその媒体に記録して、君を通じて私に渡そうとしたのだと思う。リジーが要求しているのも恐らくそれだ」

 そのように告げられたが、晶には彼女が言う記憶媒体がどういったものであるか想像もできなかった。

 でもそれを知る必要はなかった。

 リジーが要求するものを手に彼らの元に行く。自分にはそれを為すことだけが重要だった。

「コルトヴァさん、その記憶媒体というものを私に渡してください。それがあれば……」

「防水の手立てはしてあったが、残念ながら中の記録は浸水によって破損していた。復元の作業を進めているが、再生できる可能性は低い。だが証拠が消えたことは彼らにとって都合がいい。彼らが言う〝奪ったもの〟は既に消え、身を脅かすものではなくなっている。故に君が彼らの元に行っても意味はない。〝手みやげ〟がないのなら尚更だ。それどころか始末し損ねた相手が自ら目の前にやって来た。君と、君を呼び寄せるための餌をその場で消せば、隠したい事実は永遠に葬られる。君が何もなしに行ったところで、彼らにとってはいいことずくめでしかない。それに……全ての前提になるが、要求するものを差し出せば万事うまくいくと思っているほど、君は愚かではないだろう?」

 晶は再び何も言えなかった。

 彼女の言葉は正しかった。

 彼らに正当な取引を求めるなど、彼女の言う通り愚かな行為でしかない。

 だがそんなことなど分かっていた。


「……あなたはどうあっても、私が行くことには反対ということですね」

「そうだ。君が行く必要はない。彼は……ライはこの仕事に就いて既に長い。あらゆる事態を想定して任務に挑んでいた。こうなる可能性も承知の上だ」

 語るミナの表情に浮かび上がった冷ややかなものは一瞬で消えた。後には深く刻まれた別の思いがある。

 中身のない記憶媒体を差し出しても、仲間は救えない。自分以上に彼女の方が分かっている。

 別の手立てが彼女の中にはもうあるのかもしれないが、そうだとしても自分は再び蚊帳の外に置かれるのだろうと晶は思った。

「コルトヴァさん、私……」

「晶、この一連の出来事を語ったのは君が思い悩んでいたように見えたからだ。どうしてあの時彼は君を撃ったのか。彼がその時にした選択を君の前で肯定はできない。しかし苦渋の選択だったと私は思う。このように言って君の気持ちを軽くしたいという浅はかな思いは抱いていない。でも少しでもと思った。だがそれも偽善だな」

 彼女の顔には言葉以上の苦悩が見えたが、晶はもう何も言えなかった。

 彼の苦渋の選択。

 彼が正体を明かせば、あの場で二人ともすぐに殺されていたかもしれない。

『流れに逆らうな。身を任せろ』

 あの言葉も、敢えて肩を撃ったことも、彼なりの苦渋の選択だった。

 そう思えば心には、長年抱き続けた思いと重なる感情が溢れた。

「忘れるんだ、晶。この街を離れるための手続きも早急に進めて構わない」

 ミナの言葉は僅かに明け始めた空の彼方に消えていった。 

 時には全力で走ることも必要。

 消えた言葉の代わりに、晶の心の中には今夜のウェスの言葉が何度も繰り返されていた。

 可能性は低くとも、その行為が愚かなものでしかないとしても、必要なら力の限り駆ける。

 密かに胸に抱いた決心は揺らがなかった。

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