5.彼女が語る『彼』の長い話 (1)

 銀色の旧型クーペは街の中心地に向かっていた。

 晶は助手席から隣の様子を窺うが、彼女は終始無言だった。車に乗ることを促した後は口を閉ざし、咎める言葉を向けることもない。

 見覚えある風景が闇の中、背後に流れていく。

 市庁舎などが建ち並ぶ通りに入った車は速度を落とすと、公園の敷地内へと乗り入れた。晶は停まった車の中から周囲を見回して、複雑な気分を味わっていた。あの日彼と穏やかな一時を過ごしたのもこの公園だった。

 ミナは無言のまま車を降りると、湖の方へ歩いていく。晶はその姿を追って自分も車を降りた。

 湖畔に点在するガス灯が、水面で羽を休める水鳥達の姿を照らし出している。

 その姿を目に映すミナに晶は歩み寄った。

 足音に顔を上げた彼女はこちらを見ると、静かな声で語りかけた。


「晶、君がホテルを出た後の行動は全て把握していた。忌憚ない言葉を使えば〝泳がせていた〟とも言える。君を疑っていた訳ではない。彼らがどう動くかを知りたかった。何らかの形で接触を図ると推測していたからだ」

「はい……」

「それでだ晶。あのリジーは君に何を言った?」

 闇でこちらを窺う彼女の表情には、強い意思が垣間見えた。変わらない信念を携え続ける彼女ミナはいつも一歩先を見ていると晶は思う。

 彼女が言う、泳がされたことについては特に何の感情もなかった。彼女が任務と情の狭間で、常に最善を尽くせるよう悩みながらも取捨選択し続けているのは知っていた。そんな彼女に報いるには、自分は起きたままのことを伝えなければならなかった。

「リジーには明日の夜……屋敷傍の川辺に来るように言われました。その時私に〝奪ったもの〟を持ってこいと。でもそれが何なのか、私には分かりません……」

 伝えたが、闇から戻る返事はなかった。

 渦中にはいるが、常に蚊帳の外。晶自身、それが自らの立ち位置であると分かっていた。手にできるのは断片的な事実のみで、知りたい事実は今も届かない場所にある。

 自分の立場を鑑みれば、己の立ち位置などそうあるべきかもしれなかった。でももう、それでいいとは思わなかった。漠然とした事実に埋もれたままではなく、真実がある場所に立ちたかった。


「……コルトヴァさん、教えてください。あなたはきっと全てを知っている。あの人は……ライは一体何者なんですか? リジーは私と彼が仲間だと思っていました。なぜそう思っているのですか? 知っているのなら教えてください」

 向けた言葉の後には、水を打ったような沈黙が続いた。

 隣の影は身動ぎもせずに黙している。

 長い無言の時が過ぎ、一羽の鳥が翼を羽ばたかせた。

 波立った水面が元の姿を取り戻す頃、隣から重い声が届いた。

「晶……君にこの事実を伝えるつもりはなかった。だが今から全てを話す。これを語るのは今その必要があると思ったからだ」

 遠くの建物の灯りが鬱蒼とした木々の陰から、時折瞬いて見える。

 水面には眠る水鳥達の姿。 

 夜明け前の公園には静謐な時が流れていた。

「まずこの話を語らせてくれ。彼の話をする前に」 

 一言短く前置きした彼女は静かに語り始めた。




******




 ブラッドフォード家の悲劇。

 後にそう呼ばれる数々の出来事は、二十五年前、長男の妻であるマリエラ・ブラッドフォードが亡くなった時から始まっていたのかもしれない。

 今から九年前、当時ブラッドフォード家の当主だったギルバート・ブラッドフォードの孫、アンソニー・ブラッドフォードが事故死した。奔放な御曹司として有名だった彼は所有するスポーツカーで深夜のドライブ中、崖から転落。身動きできないほどの重傷を負ったアンソニーは、瞬く間に燃え盛った車から脱出することができずに焼死。彼の身分故、事件事故の両面から捜査が行われたが車に細工の形跡などは見つからず、解剖の結果、体内から大量のアルコールやドラッグの成分が検出されたことから、それらが原因で運転を見誤ったとされ、この件は当初の見解通り事故として処理された。


 それから二年後の七年前。当主の長男、デビッド・ブラッドフォードが強盗に遭い殺害された。

 その日十番街の劇場でオペラを鑑賞した彼は、当時恋人だったナディア・クルーズと落ち合うためホテルに向かっていたが、途中車を降りて「少し歩きたい」と運転手に告げた後、行方が分からなくなった。約束の時間を過ぎても現れない恋人を心配したナディアが警察に連絡、捜索はすぐに開始されたがその直後に彼は十二番街の裏路地で遺体となって発見された。

 死因は頭部の銃創。腕時計を始めとした貴金属や金品は全て奪われ、争った形跡も残されていたことから強盗に遭遇し、抵抗したため射殺されたと推測された。


 事件の概要自体はありふれた強盗殺人だったが、被害者は街一番の富豪。しかもその頃長年病に伏していたギルバートが、次期当主としてデビッドを指名する直前だった。

 街の犯罪者に次々目星をつける一方、遺産相続を巡る殺人も視野に入れて捜査は始まり、その第一容疑者となったのがデビッドの次男であるシリル・ブラッドフォードだった。

 兄アンソニーは二年前に事故死、父デビッドも相続から外れれば、いずれブラッドフォード家の全てはシリルのものになる。それを待たずにすぐさま全てを手にしたいと思えば、父の存在は邪魔でしかない。デビッドがいなくなったことで一番大きな利益を得られる人物だった。

 シリルが未成年だったことから、捜査は報道各社にも当人にも秘密裏に行われた。しかし確実な疑惑に繋がるものは何も見つからず、当時十八才のシリルが学生としても事業家の父親や祖父の経営補佐としても、抜きん出て優秀だという事実が明らかになっただけだった。シリルの容疑が外れた後も大規模な捜査は継続されたが犯人逮捕にまでは至らず、新しい証拠も見つからないまま事件は現在凍結状態だった。


 デビッド殺害の二年後、ギルバートがかねてからの病で死去。盛大な葬儀が滞りなく行われた後、ただ一人ブラッドフォード家に残された者として、弱冠二十才のシリルがその全てを相続した。


「ギルバートは不治の病に冒され、次期当主予定だったデビッドも長男のアンソニーも不運な事件や事故で死んだ。そして誰もいなくなった家をたった一人生き残った男が引き継いだ」


 東の空が僅かに明るくなろうとしていた。

 その彼方に消えゆくようにミナの声は響く。


「事故死に強盗殺人。どちらも確たる証拠はない。しかしこれら二つの出来事にシリル・ブラッドフォードが関わっていたと私は今も思っている。今回凍結状態にあるこの事件をもう一度動かすことが〝本当の目的〟だった」

 届くミナの声は硬い。

 空を見上げた彼女の気配につられるように晶も顔を上げた。

 彼女が追い続ける男の新たな容疑は、家族に対する殺人。

 彼女が『彼』を執拗に追う理由は、自分が知るドラッグの嫌疑だけではなかった。

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