第2話 父のリングネーム

 プロレスラー二人に(一人はまだ卵だけど)、お姫様抱っこをされて甲州街道を疾走されるなど私の人生には予定がなかったはず。


 実は私、子供のころから芸能人になりたくて一生懸命ボイトレ、ダンス、メイクとかいろいろ自分磨きをしてきたのにこんな恥ずかしい思いをするなんて……


「もう、悠馬くん下ろしてよ!」


「いいえ、会長が許してくれません」


 前を走っているアシュラさんに抱きかかえられているお母さんを見たらなんだか嬉しそうに見えた。


「お、お母さん?」


 抗議もむなしく、信じがたいことにこの二人は四キロほどの道のりを私たちを抱きかかえながら本当に走り切ってしまったの。


 私、プロレスラーなんて瞬発力しかないから、と間違った認識を持っていたみたい。ちゃんと持久力もあるんだと少し感心しちゃった。


おっといけない。感心している場合じゃなかったわね。


 「ご住職! 遅くなり申し訳ありません!」


「冬城さん、これは一体どういう趣旨ですかな……」


 お寺の門をくぐると、法事のために袈裟を付けた住職が腕を組んでいかにも私たちを待ちかねていたんだけど。私たちの姿を見て慌てふためいていた。

 趣旨もへったくれもないんですが…


「着いたわよ。 悠馬くん、もう降ろしてくださる?」


「す、すみません、お嬢様」

 お母さんも漸く地面に卸してもらって、でも何か嬉しそう。


「さあさあ、皆様お待ちかねですからこちらへどうぞ」

 おくりさん*1が私たち母娘おやこと、アシュラさん、悠馬くんを本堂に導いてくれた。


「おくりさん、すみません。この娘の支度が遅くなって」


「お母さんってば! 甲州街道が大混雑してたんでしょ? もう、人聞きの悪い」


「あらあら、喧嘩はだめですよ。ほほほほ」

 福々しいおくりさんの顔を見ていたら、喧嘩するのも馬鹿らしくなっちゃってお母さんと顔を見合わせて笑っちゃった。


 本堂には、プロレス関係者、報道陣が既に百人以上集まっていて私たちが到着するのを待っていた。


 住職が入ってきて、マイクを取った。


「赤コーナー、二百六十四パウンド二分の一ぃ、ビースティー冬城ぉぉおおおお!」

 法事だというのに、出席者はこれに歓喜の声を上げてる。

 さすが元リングアナだった住職、なかなかの演出ね。


 お父さんのリングネームは「ビースティー冬城」。


 ストロングスタイル*2を貫いたプロレスバカと呼ばれていた。

 アシュラさんとのタッグは最強で大人気。


 私も幼いころ東京での興行には必ずと言っていいほどお母さんと観戦に出かけて応援したわ。


 法事はその後つつがなく進んで、住職のありがたい説法で終わったその時、退出してゆく参列者の中で何かいざこざが!


 大きな声がする方を見ると、アシュラさんとあの人が胸倉を掴みあってにらみ合っていたの!

 

*1 おくりさん:住職の奥さんのこと。庫裏くり(寺の台所)からそう呼ばれる

*2  ストロングスタイル:アントニオ猪木が新日本プロレスを立ち上げるときに編み出したファイトスタイル。プロレス最強論に基づき、強さを追求していった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る