プロレス・ガール

Tohna

カリスマの娘に生まれて

第1話 やめて! 何するの!

夏南かな、早くしなさい!」


「はーい、もうちょっとだからちょっと待って」


「あれほど昨日のうちに支度しておきなさいって言ったじゃない。法事に遅れても知りませんよ」


「そうなんだけどさー」


 私の名前は冬城ふゆしろ 夏南かな

 十八歳の女子大生。


 夏に生まれたから夏南。お父さんが苗字に北が付くから、それを打ち消すために付けた名前なんだって。安直と言うかなんというか…… 


 でもね、最初はイヤだったけど、悪くないなって思っている。


 今日は、お父さんの七回忌で菩提寺がある調布まで出かけるところ。

 いつも出掛ける前はこんな風にバタバタと支度してしまうのが私の悪い癖だってわかっているのだけど……


 お母さんが昨日のうちにっていうけど、遅れたのは髪型が決まらなくて随分と時間を食ったから。


「よしっ!」

ようやく髪型が決まったわ。


「お母さん、ごめんごめんお待たせ―」


「『お待たせ―』じゃないわよ、もう。表にアシュラさん待たせてるんだから」


「私が謝ったら許してくれるって」

 そう言って玄関のドアを開けると、身長二メートル近くある小山のような、コーンローにしているロン毛のオジさん—― アシュラ川崎さんが立っていた。


「お嬢さん、おはようございます!」


「アシュラさんおはよう! ごめんね、ちょっとバタバタしちゃって」


「オレはいいですけど、まあ、早いところ車に乗ってください」

 アシュラさんはプロレスラー。

 

 プロ東=「プロレスリングTOKYO」という二つの大きなプロレス団体のうちの一つの方の会長で、三十七歳で現役バリバリの団体随一の人気を誇るレスラー。


 額には無数の傷が残っていて、顔中髭むくじゃらだし、でかいし、胸板厚いし、ぱっと見怖いんだけど私が小さなころから可愛がってくれて、優しい。


「アシュラさん、ごめんなさいね、夏南は本当にだらしがなくて」


「奥様、大丈夫ですよ。おい、早く出せ」

 アシュラさんがそう言って車の運転を指示したのは、同じプロレスリング東京の若手、坂巻悠馬くんだ。


 悠馬くんは若干二十歳。

 高校を卒業してすぐにプロ東に入門。もう直ぐデビューを控えている若手のホープなんだって。


 菩提寺の建興寺まであと四キロという所で、私たちの車は渋滞に捕まった。

「甲州街道、この先ちょっと混んでるみたいです」


「うるせえ。空飛んででも速く走れ」


「ちょっとアシュラさん、それパワハラ」


「お嬢さん、プロレスの世界の辞書にパワハラなんて言葉はないですよ」


「今の社会じゃそんなことどんな業界でも通用しないわよ。ねえ、お母さん」

 お母さんは私から突然話題を振られてちょっと困り顔だ。


「そ、そうよねえ。悠馬くんが訴えたりしたら、私たちの会社が大変になっちゃうわ」

 お母さんは、そう。プロ東の社長なのだ。


「お。奥様、俺そんなこと……」


「冗談だよー。もう、悠馬くんまじめだなー(笑)」

 と私がそんな事を言っているうちに、甲州街道はもっとひどい渋滞になっていたことに気が付いた。


「これはちょっと間に合いそうもないわね。夏南、あなたのせいよ?」


「違うってば。ひどいなー。お母さんは」


「お父さん、きっと怒ってるわよ」


「そうですね、遅れたら、兄貴に会わせる顔がないですよ」

 アシュラさんはそう言うと、悠馬くんに甲州街道沿いのコインパーキングに車を停めさせて、


「さ、降りてください。奥様、お嬢様」


「え、だって遅れちゃう……」


「失礼しますよ」

 アシュラさんはそう言うや否や、悠馬くん目くばせして私を、お母さんはアシュラさんにお姫様抱っこしていきなり走り出したの。


「や、やめて! 何するのよう! 恥ずかしいからやめて!」

 私の絶叫は、渋滞の列に並ぶ車の人たちに確実に届いていた、と思う。

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