ミルメコレオと精霊とストリートピアノ

無頼 チャイ

アリ獅子と精霊と指輪

 靴音のリズムと溜息のディスカッション。


 温厚な鉄の怪物が、痛々しげに鉄の輪っかで出来た脚を緩やかに止める音。

 聞こえるのは老若男女の明暗ある会話と広狭こうきょう問わぬ噂話。


 飲食店から漂うファストフードの香りに歩を緩めると、「ちょっと!」とやかましい声が耳を貫通した。


「んだよ」


「アタシの言う通りに向かって、寄り道は断固許さないわよ!」


「別に寄り道なんかしてねーよ」


 フン、と両者が面を逸らした。

 髪を黄色に染めた少年、琴坂 勇ことさか いさむだけは視線の先に異形と呼べる者を目にする。

 それはお土産を売る店舗内で、穏やかとも儚いとも言える不思議な雰囲気を纏って鎮座していた。

 上半身はネコ科の哺乳類で、特徴的なたてがみからライオンだと推測出来る。しかし下半身は哺乳類から程遠い黒く光沢があり、丸みを帯びた部位と哺乳類の上半身との中間体で、針金の様な細い足を六本生やしていた。

 つまりは昆虫の下半身。


 更に驚くべきは、ライオン一頭分の等身がありながら、勇以外には誰にも見えていないということ。

 勇の目の前をチョロチョロと飛ぶにもそれは適応されているようだ。


 小さな身体をふわふわと浮かべ、ふわふわした印象の女の子から「あんた、アタシに付いてきなさい!」といきなり言われて、何故か買ったばかりの指輪を嵌めた右手が動いて、気付いたら駅にいて……。

 

 って、ここで考えても無駄か。


「おい俺の妄想」


「何かしらアタシの下僕」


 その返しにイラッとしながらも質問する。


「どこ行くんだよ」


「アタシにも分からない」


「んだよ、それ」


 どうにも今回の妄想も一筋縄ではいかないらしい。


 というのも、この妄想は一号であるアリ獅子から続いてる。


 ミルメコレオ。勇が幼少の頃に父親の机から発見した古びた紙に書かれた怪物の名。

 時折姿を現すものの、一度として干渉して来ることはない。

 更には勇にしか見えないため、妄想と呼ぶべき存在だと昔に結論を出し、目にしても放っといていた。


 だが、今回のは別である。


「さっさと来なさい、引っ張るわよ」


「いてて!」


 指輪を嵌めた中指を中心に身体が引っ張られる。


 骨董品屋で見た目が気に入ったから買ったのに、こんな奴がセットで付いてくるなんて誰が想像出来るんだ。


 行き交う人の波の中、アリ獅子が慰めるように頭をゆるく振るう。



「これだわ」と言って少女がピタリと止まる。

 右手も通常に戻り、必死に右手を抑える必要がなくなってほっと胸を撫で下ろした……んだけど、


「あんた、これが何か分かる?」


「あんだよ……ってピアノじゃん」


 お気軽にご利用下さい、という立て看板の奥に、知識のない勇にも高級品だと分かるぐらい立派なピアノが佇んでいた。


 ストリートピアノ、でかいモールや駅にたまに見かけるやつだ。


「ピアノを探してたのか」


「違う。初めて見るし、何なら使い方も知らないわ」


「んだよそれ」


 投げやりな会話。ボーリングの玉でも腹の底に落ちた様な気だるさで勇はかぶりを振るう。

 対する妖精女はというと、興味深そうに鍵盤やら四脚やら中に組まれたピアノ弦やらをまじまじと観察していた。


「ちょっとあんた」


「んだよ」


 あんまり話しかけないでくれ。ヤバい奴みたいに見えてるんだから。


「これは……、楽器、なのよね?」


「ん? あ、あぁ~」


 ピアノを初めて見たという少女が、何故楽器だと分かったのか、初めて見せた微笑みに不意打ちを食らった勇は考えなかった。


「ねぇ、ちょっと演奏して見せてよ」


「おう……、お?」


 雰囲気相応の穏やかな表情で白い鍵盤を撫でる少女の言葉を、理解する前に反射で口が開いてしまった。

 今演奏しろって、言ったんだよな。


「無理だ無理、弾けねぇーよ!」


「いーから演奏して! えいっ!」


「うおっ!?」


 大型犬にでも引っ張られたみたいに、勇は倒れ込むようにして四脚の椅子に座る。


「てめっー」


「ふふん!」


 視線の上で満足そうに胸を張る少女、それを睨み上げる勇。

 よろりと上体を起こし、鍵盤に向き直る。

 少女のために、弾くのを決めたかのように手を伸ばす。

 だが、実際の心内はこいつに酷いノイズを聴かせて鼓膜を破壊してやろうという黒いもの、それを、少女も、周りの観客さえ知らない。


 俺の演奏が聴きたいんだよな? なら聴かせてやる!


 何が何の音を奏でるかなんて無視し、勇は指先を叩き下ろす、はずだった。


 またかよ。


 アリ獅子がこちらを見つめていた。諌めるような柔和な顔つきで。


 このタイミングで出てくるなよ。


 内にある欲望が、風船みたくしぼんでいき、空っぽになったのを感じた。

 アリ獅子が現れるといつもこうで、荒ぶる風が途端に無風になる。

 特に喧嘩した時なんてしょっちゅうで、そして、いつもあるきっかけで消える。


「弾けねぇーよ」


「意地張らなくていいから早く――」


「分かんねぇーんだよ、弾き方が」


 途端に静まる。何となく顔を見るのが嫌で、ミルメコレオがいる方を見る、満足そうにたてがみの毛先を上下に振っていた。


 何で俺が嫌な気分にならなきゃいけねぇんだよ、と理不尽さに嘆いていると、フフッ、と笑う声がした。


「さっさと言ってくれれば良かったのに、ほら」


「ちょ、何を!?」


 右手が惹かれるように鍵盤の上に乗る。

 少女が譜面台に降り立つ。


「アタシが弾くから、あんたは適当に弾いて」


 知らないんじゃないのかよ、突っ込むことは出来なかった。

 ピアノが鳴ったから。


「中々良い音ね」


 弾くと言っていた少女は、譜面台をステージの如く飛び、舞い、踊っていた。


「フフッ」


 ピアノから清らかな音が奏でられ、小川を連想させる静かな曲調で続く。

 もしかして超能力か何かで演奏してるのか、と思ったが、何と自分の右手が慣れた様に鍵盤を叩いていた。


「嘘だろ」


 よく見ると、少女が飛ぶのに合わせ右手も飛び、舞うごとに鍵盤を滑らかに叩いている。


 どうやら俺はマリオネットらしい、右手限定だけど。


「フフッ、楽しいわね、これ!」


 譜面台のステージ上を、楽しげな様子で踊り回る妖精女。

 その姿は神秘的で、綺麗で、ずっと見ていたい気さえ起こさせる。


「あのお兄ちゃんすごい!」


「え?」


 見ると、男の子がこちらを楽しそうに眺めていた。賛成するように微笑を男の子に向ける母親らしき女性。

 数人程、観客が増えた。


「ちょっと」と譜面台から声がする、


「あんたも弾きなさい、楽しいわよ」


 そんなこと言われたって。


 視線を左手に向けた。


 弾けるか? 俺に。


 突然、雄叫びが聞こえた。人が発するそれじゃない。


「ミルメコレオ」


 人の林の中で、堂々たる姿勢でアリ獅子が吠えた。

 一度も声なんて聞いたことないのに、とても懐かしくて、安心する。


 お前がそう言うなら、やってやるよ!


 左手を伸ばした。


「おっ! ついに弾いてくれたわね」


「暇だから弾いてるだけだ」


 ひねくれた言葉をそよ風のように受け、少女が舞踏を速める。


 渓谷に舞うつがいの小鳥のようなハーモニー。

 山の頂上で見る朝焼けのような喜び。


 激流のような感情の雄叫びに、いつしか勇は笑っていた。


□■□■□



「ふぅ~、楽しかった」


「そか」


 観客の暖かい拍手を浴びながら、演奏を終了した。


「……満足か?」


 満足よ! と言って微笑み返すのだろう。勇はちょっと期待して返事を待つ。


「全然、まだまだよ」


「そっか、それはよか……は?」


「千年分の奉納があれっぽっちで終わるわけないでしょう」


 ほら、と少女が指輪を指す。


 色が緑になっていた。


「なんだこれ!?」


「これからもよろしくね、下僕」


 頭を抱える勇を、嬉しそうにアリ獅子が見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ミルメコレオと精霊とストリートピアノ 無頼 チャイ @186412274710

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ