第2話

 鏡石君は起伏のない顔立ちで、色白のに虚ろな目と眼鏡をひっかけたような顔である。おぞましい話をするにも、眉一つ動かさず真っ直ぐこちらを見ていながら、どこか私を透かして、私の後ろの景色を見ているような風であった。

そんで、まんつそれでは、まず、今宵はまずは遠野を囲う三つの山の伝説についてへらめがします喋ります

 いつものことながら、聞き取れねぇところがあれば躊躇ちゅうちょなく言ってくださればと」

 鏡石君は喋り上手ではないものの誠実な人である。酷い東北なまりにより、私は彼の話を一度で完全に理解することはできないが、疑問点は彼が一通り話し終わった後になるべくまとめて質問をするように努めている。しかし彼はその誠実により、私が困惑の色を見せると直ぐに別の言葉や言い回しを試みて、私の顔色を伺うのである。そんな彼であるから、いつも話の始まりにはこうして前置きをしておくのであった。

 うむ、と私が相槌を打つと彼は眠気に誘われるように目を蕩けさせ、咳払いをしてから語りだした。

「遠野の町は南北の川の落合に在ります。四方の山々の中で最も美しく、最も高い秀でた山に、早池峰はやちね山があります。遠野の北部、附馬牛つくもうしの奥部にあり、常に清水を八分ばかりたたえる豊かな山であります。東部には六角牛ろっこうし山があり、名の通りべごうしが付した形をしており、青笹村の更に奥にあります。石神山は附馬牛と達曾部たつそべの間にありまして、その高さは先の二つに劣ります。女人禁制の地でもあります。

 大昔に女神が居りました。女神は三人の娘を連れてこの高原を訪れては、今の来内らいない村の伊豆権現ごんげんの社のあだり辺りに泊まりました。

 その夜、母の神様は

『今宵最も良い夢を見た娘に最も良い山をあずげる与える

 と三人の娘たちにへらめがして語って眠りにつきました。

 夜深く、天から霊華が降りてきて姉の女神の胸の上に止まりましたが、目の覚めた末の女神がその華に気づき、ひそかにこれを取り上げて自分の胸に置いて眠ったので、ついに一番良い山である早池峰山をあずげられました与えられました。姉たちはそれぞれ六角牛山と石神山をあずげられました。

 若い三人の女神たちは今でもそれぞれがあずげられた山に住み、これを治めています。なので、遠野の女達のほとんどが姉の女神たちの妬みを恐れてこの山には立ち入らないと言います」

 一通り語り終えた鏡石君の目には正気が戻り、やはり白い顔をこちらに向けていた。

「どこか分からぬところは」

 鏡石君が尋ねる。

「女人禁制とする、かの山は」

「石神山にございましょうか」

「うむ、その山が女人を禁ずるのは、先の話……姉の女神の嫉妬と関するものであろうか」

「いえ、石神山は修験者の山にございまして、それ故かと。そもそも、山というのは女子供にはこめ辛苦なれば、立ち入る道理もございませぬ。私の大叔母も山に立ち入り命を落としたと聞いております。また、山には山人やまうどが居りまして」

「ほう、山人とな」

「大抵は背丈の高い、色白の大男の姿をしておりまして、女子供をさらいます」

 鏡石君は一度目を閉じて、息を少し飲みこんで体を大きくさせた。そして、ゆっくりと語りだす。

「遠野郷より海岸の田ノ浜、吉里吉里きりきりなどへ超えるには、昔から笛吹峠という山道がありまして、近年はこの道を通る際、必ず山男や山女に出会うために、皆これをおっかねがって恐れて次第にどげる避けるようになりました」

「では、吉里吉里に行くには」

「迂回路を境木峠というほうへはだげ開きます。和山わやまを馬継場として超えるため二里以上余計にかかりますが、それでもこちらの路が選ばれます」

 私はそれを聞いて少し驚いた。山越はたとえ多少の事情あれど、足早に済ませたいものである。山の天気は非常に変わりやすく、長居は禁物。日が暮れてしまえば身動きが取れぬために少しでも不安の種は除きたいものである。それなのにわざわざ迂回路を用いるということは、それまでに皆山人を信じ畏怖いふしているということなのであった。

 私の表情を見て鏡石君は話すのをピタリとやめた。大方自分の語りの中の訛りを探しているのだろう。私は少し慌てて、「続きを」と言った。

 彼は少し頷いて、また語りだす。

「青笹村大字おおあざ糠前の長者(豪農)の娘がふと物に取り隠されて久しく経った頃です。ある日同じ村の何某なにがしという猟師が山に入ると一人の女に遭いました。何だか恐ろしくなった男はその女を撃とうと銃を構えると、

何をぢでないか何をするかぶつな撃つな

 と言われ、驚いてよく見てみると、そこにいたのはの長者の愛娘まなむすめでした。

 漁師が『何故なにゆえにこんなところに居るのか』と問いますと、

或物あるものに取られて今はその妻になった。子供も沢山生んだがすべて夫が食い尽くしてこうして一人で居る。自分はこのままここで生涯を送ることになる。人にも言うな。あなたも危ないから疾く《と》く立ち去れ』と言われ、囚われているというその場も聞き出さずに逃げ帰ったそうです」

 鏡石君は話し終わると、机の上の茶を手に取り、逆の手でそれを支えた。そしてひと呼吸置いてから茶を飲んだ。
















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る