物語らぬ遠野の碑
八朔日隆
第1話
筆が止まる。私は俯いたまま、動揺を悟られぬよう努めた。そして、ゆっくりと深呼吸し、決心した。この話は彼にするべきでない。人の心に巣食う粗暴は私も嫌うところであるし、彼は事実など求めてはいないだろう。
「
彼に声をかけられ、はっと気がつく。筆記台を挟んだ向かいに、灯りに照らされた
「何とすることもない。続けたまえ」
私がそう言うと、彼は表情を変えずにまた朗々と話し始めた。
*
私は常々、失望していた。近代の発展に伴っては、事物や概念に対する人の畏怖は往々にして薄れつつある。そこらに転がる石や砂利の一粒を、神仏の宿るものとせず唯の
そんな憂の渦中に於いて、私は鏡石君の事を知ったのである。
鏡石君は名を佐々木
彼は悪戯に怪談を創作するのではなく、全国にまつわる怪談を収集する事を主としていて、自らを作家とは述べず収集家と名乗る。事実、彼は聞いた話を決して改変しなかった。
彼が語るものはどれも興味深く面白いものであったが、その中でも特に私の気を引いたのは彼の生まれ故郷、
遠野郷は今の陸中上閉伊郡の西の半分、山々に取り囲まれた平地である。新町村は、遠野、土淵、
鏡石君が生まれたのはその内、土淵町山口という所であった。彼が生まれて三年後の明治二十二年には村町制の施行にともない、土淵村・
さて、遠野郷は山奥には珍しい繁華街である。南部氏が治めた城下町であり、その地形から、周辺の地に住うものたちは他の地へと山越えをする際、必ず遠野を経由する。そうした背景から遠野は文化的にも経済的にも様々なことが集まったようである。それは地域に伝わる怪談話も例外でない。
そんな場所で育った鏡石君は若くして怪談に興味を持ち、妖怪学の井上円了の講義を聞くため上京し哲学館へ入った。しかし井上円了はいわゆるリベラル派宗教学の一端を担う立場にあり、妖怪を近代の合理主義の中で科学的に説明しようとする立場にあり、鏡石君はそれに大きく落胆したようである。その気分には私も共感するところがあった。
ともかく、彼は怪談に興味が強く、育った場所もその数を百を優に超える潤沢な場所であった。私は彼を家に招き、彼がそれらを語るのを筆記する日々を送った。
彼の話の特徴として、具体性、透明性が挙げられる。どんな話をするにも〇〇村の何某が、というふうに個人を特定できるものばかりで、存命の人物も少なくなかった。にも関わらず、それらの人が体験した怪現象はとてもオカルティックなものだった。人間と妖の境界は曖昧で、それを明確に区別せず、唯の伝聞、事実として話した。
今日もそんな興味深い話を聞く、変わらぬ日の一日であるはずであったのだ。
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