第9話【社会・文化】二、三 エールンドレの気候・風土――総説・ハルボルズ山脈・ラーグ高原・ウェーシャゲスターン森林

【エールンドレの面積と標高】


 エーレンドレはハルボルズ山脈の白い稜線に囲まれている。その内側の面積1962.5㎢である。これがエーレンドレの人々が考える所の国境である。これは大阪府より広く、東京都よりも狭いくらいの面積である。

 エーレンドレの中央にはズレーフ湖が位置する。塩湖である。エールンドレの塩の供給源である。ハルボルズから流れ出る水は、ウェーシャゲスターン森林で二十四の支流に纏まり、ロードバールの平原で合流して十二の支流となる。十二の支流は六つの主流に合わさってズレーフ湖に注ぐ。

 ロードバール平原はズレーフ湖から半径12㎞の広さを持つ。その面積は452.16㎢である。判り易い例では、横浜市よりも若干広いくらいの平原である。

 ウェーシャゲスターン森林は厚さ6㎞の帯となってロードバール平原を囲んでいる。その面積は565.2㎢である。ズレーフ湖からの距離は半径12㎞~18㎞の円形地帯である。

 ロードバール平原からウェーシャゲスターン森林は、一見すると平らかな平地であるかのように感じられる。しかし、ロードバール中心部とウェーシャゲスターン森林外縁の高低差は約1,000mに達する。森林内縁部の標高は360mである。森の中心部の標高は450m~680mほどになる。

 ウェーシャゲスターンの森を抜けるとラーグ高原に至る。ラーグ高原はハルボルズの山麓に広がる豊かな牧草地である。厚さ6㎞の帯となってウェーシャゲスターン森林を囲んでいる。その面積は791.28㎢である。ズレーフ湖からの距離は半径18㎞~24㎞の円形地帯である。

 ラーグ高原の内縁部と外縁部の高低差は約1,000mである。ハルボルズの切り立った岩肌に比べたら緩やかであるが、かなり傾斜している。下から上に真っ直ぐ登ろうとすると、6㎞に渡って緊い坂が続くのである。丁度、旧東海道の難所として有名な権太坂と同じ傾斜角である。そして、長さは権太坂の九倍に及ぶ。

 このラーグ高原の急坂を上りながら、後ろを振り返ると、素晴らしい景色が広がる。エールンドレが一望できるのである。ウェーシャゲスターンの森に囲まれたロードバールの豊蘆原は、まるで緑の箱庭の様である。

 ラーグの坂を上り続けて草原が尽きると、一気に勾配が増す。そこにはは、険峻なハルボルズの岩肌が立ちはだかっている。エールンドレを守る天然の城壁であり、エールザンドとアーネルザンドを閉じ込める自然の障壁でもある。

 ラーグ高原の外縁とハルボルズの峰々まで標高差は約1,000mである。緩い所でも約45度の傾斜角となって、万年雪まで続くのである。その厚さは約1㎞で、面積は153.86㎢程である。



【エーレンドレの気候と暦】


 先の項で、エーレンドレの標高を設定した。ロードバール平原は0m~360m、ウェーシャゲスターン森林は360m~1000m、ラーグ高原は1000m~2000m、ハルボルズ山脈は2000m~3000mである。

 気温は標高100m毎に0.6℃下ると言われている。以下の通り、エーレンドレの各地域の月毎の平均気温を推計してみた。


  ※平原0m/森林500m/高原1500m/山脈2500m

  ※平原±0℃/森林-3℃/高原-9℃/山脈-15℃


フラワルディーン月 (四月)

  平原14.2℃ /森林11.2℃ /高原5.2℃ /山脈-0.8℃

アルドワヒシュト月 (五月)

  平原18.3℃ /森林15.3℃ /高原9.3℃ /山脈3.3℃

ホルダード月 (六月)

  平原21.3℃ /森林18.3℃ /高原12.3℃ /山脈6.3℃

ティール月 (七月)

  平原25.0℃ /森林22.0℃ /高原16.0℃ /山脈10.0℃

アムルダード月 (八月)

  平原26.7℃ /森林23.7℃ /高原17.7℃ /山脈11.7℃

シャフレワル月 (九月)

  平原23.3℃ /森林20.3℃ /高原14.3℃ /山脈8.2℃

ミフル月 (十月)

  平原18.0℃ /森林15.0℃ /高原9.0℃ /山脈3.0℃

アーバーン月 (十一月)

  平原13.0℃ /森林10.0℃ /高原4.0℃ /山脈-2.0℃

アードル月 (十二月)

  平原8.5℃ /森林5.5℃ /高原-0.5℃ /山脈-6.5℃

ダイ月 (一月)

  平原5.9℃ /森林2.9℃ /高原-4.1℃ /山脈-10.1℃

ワフマン月 (二月)

  平原6.2℃ /森林3.2℃ /高原-2.8℃ /山脈-8.8℃

スパンダルマルド月:附フラワルディーガーン (三月)

  平原9.1℃ /森林6.1℃ /高原0.1℃ /山脈-5.9℃


 エーレンドレの暦は、春分から新年が始まる。各月は三十日である。フラワルディーガーンは、一ヶ月三十日、十二ヶ月三百六十日から余った五日間である。もし閏年の概念が有れば、四年に一回六日間に成る。春分による春の始まりを寿ぐ、お祝いの期間である。

 因みに毎月三十日の各日にも名前が付けられている。

  一日  オフルマズド

  二日  ワフマン

  三日  アルドワヒシュト  

  四日  シャフレワル

  五日  スパンダルマルド

  六日  ホルダード

  七日  アムルダード

  八日  ダイ・パド・アードル

  九日  アードル

  十日  アーバーン

  十一日 フワル

  十二日 マーフ

  十三日 ティル

  十四日 ゴーシュ

  十五日 ダイ・パド・ミフル

  十六日 ミフル

  十七日 スローシュ

  十八日 ラシュン

  十九日 フラワルディーン

  廿日  ワフラーム

  廿一日 ラーム

  廿二日 ワード

  廿三日 ダイ・パド・デーン

  廿四日 デーン

  廿五日 アルド(アフリシュワング)

  廿六日 アシュタード

  廿七日 アスマーン

  廿八日 ザームヤード

  廿九日 マーラスパンド

  卅日  アナグラーン


 話を戻すと、エーレンドレの気候は総じて穏やかである。夏は暑いが、冬の寒さは穏やかである。

 ロードバール平原では、アムルダード月の猛暑期の平均気温が26.7℃で、ダイ月の厳寒期でも5.9℃しかない。二期作二毛作も出来るので、農業生産力は極めて高い。

 ウェーシャゲスターン森林の猛暑期は23.7℃で厳寒期で2.9℃である。猛暑期でも春や秋の涼しさである。また森の木々の遮蔽効果や冷却効果により、実際の体感温度は更に低い。夏場の森は高原の様に快適である。

 ラーグ草原の猛暑期は17.7℃で、厳寒期は-4.1℃である。夏は涼しく、冬の寒さは厳しい。しかし、家畜が冬を越せないほど厳しい寒さではない。

 ハルボルズの山岳地帯では、猛暑期で11.7℃、厳寒期で-10.1℃である。しかし、山の気候は変わり易く、実際には更に厳しい。山頂部は夏でも氷点下以下である。


 エールンドレの平野部の気候を日本で例えてみよう。おおよそ関東南部と似たような気温である。梅雨や台風が無いので、関東南部よりも夏場の湿度は低く過ごしやすい。



【関門要塞デルベンドディズと洞窟街道ラーフェ・スーラーフ】


 エールンドレの内側の関門デルベンドディズは、最も暑い夏のアムルダード月で14.7℃、最も寒い冬のダイ月で-6.1℃の平均気温である。またデルベンドディズの位置はハルボルズ山脈の山背、要するに北斜面に当たる。疎ら乍ら樹々も生え、夏でも残雪が残ることが有る。夏の14.7℃、冬の-6.1℃という想定よりも更に気温は低いであろう。エールンドレで、人が常駐する所の中では最も寒い所である。


 デルベンドディズには五、六十名の防人たちが詰めている。夏は冷涼で心地よいが、冬は寒冷で過酷且つ退屈な任務である。もしも、強制徴募で押し付けられた任務ならば、逃亡兵が続出し、国境の警備も緩むことであろう。異界との交流の無い鎖国状態なら、いっそのこと洞窟を厳重に塞ぎ、防人を置かない方が好いであろう。この防人の制度には存在理由が必要なのである。宮廷の意図や異界との外交関係次第では、存在理由の条件が大きく変わる。

 そこで、この関門要塞デルベンドディズと洞窟街道ラーフェ・スーラーフの設定に関し、幾つかの想定と可能性を以下の様に提起してみる。


◎異界との交流が無い場合

 ただ単に通交する相手が無い、或いは異界に人類の存在を知らないとしたら?

 関門要塞デルベンドディズなど、端から造らないかもしれない。また防人の制度なども無いであろう。

 異界に通じる洞窟街道ラーフェ・スーラーフは、得体の知れない異世界に通じる入り口として畏れの対象に成るかもしれない。悪魔の住まう地獄の入り口アルズール・グリワールと看做され、霊的な封印を施されることになるであろう。その場合は神官が防人として常駐するかもしれない。

 また、ラーフェ・スーラーフの内部が倒壊して塞がれてる場合も想定できる。実際の通行が不可能でも、上記の様に畏れの対象になるであろう。


◎異界との交流が対立・緊張状態にある場合

 基本設定よりも防人が増強されているであろう。有事の際、エールンドレの全軍が詰められる施設が存在しても不思議ではない。恐らく、数百から千人規模を収容できるかもしれない。デルベンドディズに沿って防人の村とか町を形成する可能性もある。

 デルベンドディズの冬は厳しい。しかし、洞窟スーラーフの中の気温は夏も冬も一定である。一年を通じて4.2℃である。洞窟の中に冬ごもり用の施設を造るのも自然な発想である。兵舎の他、待ち伏せして敵を迎え撃つような防御施設も想定し得る。何しろ、洞窟街道と関門要塞を突破されたら、エーレンドレには為す術がない。


◎異界との交流が盛んな場合

 異界の国々との関係が友好的であっても、多かれ少なかれ国境防備の制度や施設は存在するであろう。その場合、防備施設に替えて来訪者用の旅籠街や隊商宿ケルワーン・スラーイが建てられかもしれない。

 異界側ビールーンの関門要塞デルベンドディズへ通じる道は九十九折れになっている。真っ直ぐ登れない程の急斜面である。エールンドレの騎士アスワールや異界の騎馬遊牧民なら、乗馬したまま九十九折れの道を登ることが出来る。そこまで乗馬の技術の無い者には難しい。誰かに轡を取って貰って漸く乗ることが出来るであろう。この様な場面で荷運びに使われる益畜は驢馬か騾馬である。

 驢馬ハルや野驢馬ゴールはエールンドレに生息しない。人々から不思議な馬もどきと看做されるであろう。特に野驢馬ゴールは叙事詩の中でしか知られていない。驢馬や騾馬アスタルは裕福な庶民の馬替りとして需要が有る。

 異界との通行がある場合、想定される状況も様々である。例えば、異界との通交を自由放任にするか、制限して出島の様な所に閉じ込めるかである。以下に幾つか想定してみる。

 先ず自由放任な場合、門前払いにされる理由も無ければ、簡単な入国審査だけで関門を通過できる。或いは審査自体無いかもしれない。来訪者は自由にエーレンドレの中を歩き回れるであろう。来訪者が希であれば、警戒される例も有り得るが、土産話を聞く為に方々で歓迎されるかもしれない。

 次に入国の制限が緊い場合、関門の外側ビールーン、或いは内側エンデルーンに出島の様な居留地を築くかもしれない。来訪者が居留地から出るのは困難であろう。

 その他に通交する来訪者が外交使節に限られる場合も想定できる。この様な使節には公人ばかりでなく、民間の商人も付いてきて隊商ケルワーンを形成することも珍しくない。一般の来訪者もケルワーンに紛れてエールンドレへの入国が出来るであろう。外交使節の置かれた立場次第で、来訪者の待遇は自由だったり、制限されたりする。


◎洞窟街道がダンジョンな場合

 ここでダンジョンとは、ファンタジー世界に有り勝ちな魔物の巣という意味である。この場合、悪魔の住まう地獄の入り口アルズール・グリワールと呼ばれるかもしれない。スーラーフがスーラーグと呼ばれる方が自然である。後者は同じ穴でも獣の巣穴という意味が有る。

 この設定下でも、通行が不可能な場合、異界との通交がある場合などと入り混じってる例も想定される。何れにせよ、人手不足のエールンドレでは、ダンジョンの魔物を掃討することは無理であろう。掃討出来たら、魔物の巣窟化はしない。

 洞窟街道ラーフェ・スーラーフは直線距離で4㎞程しかない。しかし、ダンジョンなら迷宮化して真っ直ぐ進めないことであろう。鉱山の様に坑道が複雑怪奇に広がってるかもしれない。或いは、いっそのこと鉱山とか廃鉱とするのも好いであろう。

 また魔物や迷宮が実在しない場合でも、エーレンドレの住民、或いは異界の人々は、恐ろしいダンジョンと思い込んでいるかもしれない。その様な幻想が内外の通交を妨げているのである。



【ハルボルズ山脈】


 ハルボルズ山脈の岩肌は、ほぼ45度の急傾斜である。山頂に近づくと、もっと急峻になる。何とか人が入り込める山肌では、夏の猛暑期で11.7℃、冬の厳寒期で-10.1℃である。しかし、それは無風で晴れ渡った条件下である。山の天気が急変し、激しい風雨にさらされれば、真夏でも氷点下に達するであろう。


 エールンドレの中心から、ハルボルズの峰々を見上げれば、まるで天のドームを支える壁の様に見える。エーレンドレの人々にとって、ハルボルズは、天と地の狭間、神々の領域なのである。神の造りし囲い、バイカルドワルと呼ばれることさえある。従って、ハルボルズに入る者など滅多にいない。それを行う者こそ無謀な冒険者なのである。

 ハルボルズの岩肌にしがみつく者は極僅かである。せいぜい霊薬の取れる薬草を採取する者だけである。それは医術や本草学に心得のある神官くらいである。ハルボルズは神聖視され人々から崇められているが、登山する様な山岳信仰は無い。純粋に植物採集が目的である。


 ハルボルズの峰々に霊鳥セーンムルウ(シームルグ)が棲んでいると考えられている。しかし、それを見た者などは神話の中にしか存在しない。時折、天空を舞う大鷲を見てセーンムルウだと思い込んでる者も少なくない。

 またハルボルズの険しい岩肌には白い豹パラングが棲んでいると言い伝えられている。目撃例も捕獲例も殆ど無いので、伝説の霊獣扱いである。

 野山羊パーゼンが、ハルボルズの岩肌に張り付く姿が偶に見かけられる。数も少なく、人々から霊獣と看做されている。草原に降りて来ても、人に狩られることは無い。



【ラーグ高原】


 ラーグ高原の内縁部と外縁部の高低差は約1,000mである。内縁部と外縁部の厚さは一フラサング、約6kmである。その勾配は17%である。真っ直ぐ登ろうとすると、かなり緊い坂である。

 真夏のアムルダード月の平均気温は17.7℃、真冬のダイ月は-4.1℃に冷え込む。草原の尽きる所、所謂ラーグ高原の外縁部は標高2,000mに達する。真夏の平均気温は14.7℃、真冬は-6.1℃に落ち込む。ウェーシャゲスターンの森と接する所、所謂ラーグ高原の内縁部は標高1,000m程である。真夏の平均気温は20.7℃、真冬でも-0.1℃に留まる。


 ラーグ高原は豊かな牧草地である。ラーグという名前自体が牧草地を意味している。士族アーザーダーンたちは五世帯ごとに五騎組グローフを形成する。グローフの長がグローフベドである。有事には其の儘軍事組織となり、グローフが四つ集まって廿騎組ウィストを形成する。

 其々のグローフごとに約6,600ha程の牧場が割り当てられる。幅は10㎞~12㎞程である。奥行きは6㎞に及ぶ。丁度ラーグ高原の内縁から外縁に至る。ドーナツ状のラーグ草原を十二分割した一つなのである。グローフの牧場は扇形をしている。

 グローフのアーザーダーンたちは、ラーグ高原の高低差を利用しながら牧場の中で生活する。春は標高の低い内縁部で過ごす。そして少しづつ上に登りながら移牧をする。真夏の一番暑い時期には、最も標高の高い外縁部近くまで移動する。そして秋にかけて内縁部へ下るのである。

 アーザーダーンたちが飼う家畜は、馬アスプ、牛ガーウ、山羊ブズ、羊メーシュである。家畜から乳を得ながら、繁殖させて生業とするのである。犬サグも飼うが家畜とは看做されない。四つ脚の下男下女という扱いである。騾馬アスタルも飼うこともある。他所から入手した駄畜である。そもそも騾馬は繁殖できない。

 アーザーダーンたちは春から秋にかけてラーグ高原で過ごす。冬場はロードバール平原まで下る者も居れば、ラーグ高原の内縁部に留まる者も居る。標高の高い外縁部の冬は厳しいが、内縁部の冬は穏やかである。家畜が冬を越せないほど寒くは無いのである。家畜の糞とウェーシャゲスターンの森で手に入る薪を利用すれば、暖を取るのに十分である。


 ラーグ高原の草原には、野山羊パーゼンが時折降りて来る。よく見かける野生動物は、羚羊ハルブズ、野兔ハルゴーシュ、狐ルーバーフである。そしてウェーシャゲスターン森林から鹿ガワズンがやって来ることも屡々である。

 ラーグ高原で最も多いのは、バブラグと呼ばれる大鼠である。本来バブラグとはビーバーのことを指すが、エールンドレでは大鼠の呼び名である。他にも、文字通り大鼠ウズルグムシュク、巣穴の犬サゲェスーラーグと呼ばれることが有る。エールンドレのバブラグは草原の中に長い巣穴を掘って暮らしている。巣穴から出て、立って周囲を見渡している。その姿は、まるで四つ指の人間の様である。

 古い言い伝えによると、昔々バブラグと言う名の弓の名手が居たらしい。バブラグは弓の腕を誇るあまり、燕をも射落とそうとした。燕を狙って矢を放ったが、燕の尾を掠っただけで当たらなかった。その為、燕の尾は割れているらしい。しかし、エールンドレでは燕は春を齎す神の使いである。神の使いに矢を放った罪で、バブラグは神の怒りを買ってしまった。神はバブラグの親指を切り落として二度と弓を引けないようにした。その姿を恥じたバブラグは穴を掘って土の中に逃げてしまったそうだ。

 神官たちの祝詞に拠れば、女神アナーヒターはバブラグの毛皮をお召しになられているらしい。それは本来ビーバーであるが、エールンドレでは草原の大鼠をバブラグと看做している。バブラグは肉食獣や猛禽に狩られたり糧となる。人間は毛皮目的に少々狩るが、決して食べることはしない。それは人間の成れの果てと言う伝説が信じられているからである。



【ラーグ草原の経済】


 ここで豊かな牧草地ラーグ高原の経済規模を試算してみる。牛二頭の放牧には60~70aの牧地、山羊二頭には20~30aの牧地を必要とされるらしい。山羊も羊も大差ないものと仮定すると、羊一頭に必要な牧地面積は15aである。グローフに割り当てられた牧地は660,000aに及ぶ。それを羊一頭当たりの牧地面積で割ると、理論上44,000頭の羊を養えるのである。

 アーザーダーンの一世帯は羊二百頭を飼っている。五世帯で千頭である。広大な牧地は、馬や牛を飼いながら、野生の草食獣と草を分け合っても余りあるほど豊かなのである。

 牛や馬の飼育数はグローフ毎に数十頭~百頭ほどである。山羊は飼っているが、その目的は羊の群れのリードである。おおよそ百頭程度規模である。エールンドレ全体で、羊一万数千頭、牛千数百頭、馬千頭、山羊千頭ほどを飼育していることになる。これは奇しくも、アナーヒターに捧げる祝詞を彷彿とされる。アナーヒターに捧げる供物は、百頭の馬、千頭の牛、万頭の羊と云われている。そんなに捧げたら、アーザーダーンたちの牧畜業は壊滅してしまう。尤も、エールンドレでは血の供儀は捧げられない。



【メフラガーン】


 昼と夜の長さが同じになる日、ラーグ草原では大きな祭礼が執り行われる。秋分の日に、全てのアーザーダーンたちが家族や家畜を引き連れ、王の御旗カイ・ドラフシュの下に集まるのである。

 ミフルは信義と友愛の神である。太陽は太陽フワルとして別に祭られるが、エールンドレでもミフルは太陽神と看做されている。そして王は信義と友愛の体現者としてミフルと同一視されている。

 秋分の日を境にして、太陽が衰えるかのように昼が短くなってく。それを惜しんで盛大な祭りが開かれるのである。


 メフラガーンの大祭の日、アーザーダーンの世帯の当主カダーグフワダーイたちは、滅多に着ない鎧兜を身に付けて馬揃えに参加する。裕福な者は駿馬にまで鎧で着せる。家族や家畜と共に聖樹の周りを一周しながら王の御前でパレードを行う。この時、家畜を査定され、百頭につき一頭を貢物として捧げるのである。

 この祭りの時にはアーザーダーン以外の者たちも集まる。祭礼を執り行うマウベドなどの神官たちは欠かせない。主だったディフベドやウィスベドたちも王の御前にて挨拶をし、葡萄酒など所領の土産を差し入れする。暇が有れば、庶民たちも物見遊山にやってくるのである。そして集まった者たちには肉やナン、果物、葡萄酒などが大盤振る舞いされるのである。庶民だろうと異邦人だろうと例外ではない。皆、酒を飲みながら、競馬、チュールガン(ポロ)、弓技、相撲、歌や踊りなどが繰り広げられるのである。


 エールンドレの祭り事は盛大なお祭りの為に行われていると言っても過言ではない。メフラガーンを境にして、エールンドレ全体は冬支度に入っていく。一年の始まりノウルーズと並ぶ最重要行事である。



【ウェーシャゲスターンの森】


 ウェーシャゲスターンの森の内縁部と外縁部の高低差は約640mである。内縁部と外縁部の厚さは一フラサング、約6kmである。その勾配は10%である。真っ直ぐ登ろうとすると、やや緊目の坂である。

 真夏のアムルダード月の平均気温は23.7℃、真冬のダイ月は2.9℃ほどである。ラーグ草原と接する所、つまりウェーシャゲスターンの外縁部は標高1,000m程である。真夏の平均気温は20.7℃、真冬でも-0.1℃に冷え込む。


 ウェーシャゲスターンの森は、猛暑期でも春や秋の様に涼しい。ロードバール平原の住民にとって快適な避暑地である。貴族や富裕者は森の中に細やかな別荘を持つ。別荘を持たぬ庶民も、家族や恋人共に夏の森を散策することは屡々である。

 秋になると、様々な果物や木の実、茸などの幸に恵まれる。また貴族たちは、冬籠りの前に脂を貯めた獣を狩って楽しむ。そして落ちた枯れ枝は、日々の生活に欠かせない燃料に成るのである。また建物を立てたり、様々な道具を造る為の材木も此処から伐採される。

 ウェーシャゲスターンの森林は、エールンドレにとって掛け替えのない、重要な経済基盤の一つでなのある。


 ウェーシャゲスターンには様々な樹木が生えている。内縁側には広葉樹、外縁側には針葉樹が多目になる傾向が有る。エールンドレで美しい立ち姿を讃えられる糸杉サルウは外縁部に多く見られ、ラーグ草原の中にもポツポツと立っている。メフラガーンの大祭が終わり、秋が深まるにつれ、ウェーシャゲスターンの森は見事な紅葉を見せる。


 ウェーシャゲスターンの森の生態系の頂点に、熊ヒルスが存在するが、目撃・遭遇例は稀である。恐らく生息数は少ないのであろう。意外と熊に襲われた話は聞かない。熊に襲われて喰われたところで、熊に喰われたのか、神隠しにあったのか判り様が無いのである。森の主である熊も霊獣扱いされている。

 他に危険な動物として狼グルグの存在が挙げられる。これも目撃・遭遇例は稀である。実際の所、野生化した犬の可能性も無きにしも非ずなのである。

 危険な動物の中で頻繁に表れるのが猪ワーラーズである。遭遇すれば危険である反面、有望な狩りの対象でもある。ロードバール平原の農村では豚が飼われている。その豚は何処となく猪にも似ているのである。恐らくウェーシャゲスターンの森の猪が家畜化したのであろう。

 ウェーシャゲスターンの森の主要な住民は鹿ガウズンである。生え変わる角は、死と再生の象徴として神聖視されている。珍しくも無い霊獣として保護される一方、狩猟の対象にもされたりする。ウェーシャゲスターンの森の中での鹿狩りは、王の巻き狩りの時しか行われない。しかし、庶民たちに密猟されてないとは言い切れない。ロードバール平原の郷村に出没した鹿は、其の郷村の判断次第で保護の対象にも、狩猟の対象にもなる。

 森の中にはリスも野鼠も棲んでいる。エールンドレでは、おおよそ鼠に見える獣は大雑把に鼠ムシュクで片付けられている。だからと言って、リスと鼠の違いが判らない訳ではない。

 哺乳類以外に爬虫類も多数生息している。エールンドレの神官たちは爬虫類を忌み嫌っている。その中で最たるものは蛇マールである。蛇の中には、致死性は低いものの、毒蛇も存在する。

 鬱蒼とした森の木々は野鳥たちの住み家である。森を歩けば、野鳥たちの囀りが絶えない。猛禽や烏、様々な鳥たちが森の木々に巣を作っている。

 エールンドレの人間たちは小鳥を殺すことは悪いことだと考えている。何故ならば、赤児の御魂フラワフルは小鳥たちが運ぶと思っているからである。天界の彼方の霊界メーノーグに生える生命の樹から、赤児の御魂フラワフルを運んでくると実しやかに話されている。勿論、森や身近な所に巣作りしてることを知らない訳ではない。もし、死産の赤児が有れば、その御霊フラワフルは小鳥によって生命の樹に持ち帰られ、再び此の世ゲーティーグに生まれる機会を待つのだそうだ。


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