第12話 飲み会とホテル4
まどろみの視界の中で、琴葉が僕の上に跨がり腰を振っていた。
しばらくすると彼女は行為に満足したのか、乱雑に投げ置かれた袋の中から度数の高いチューハイ缶を取り出し、心地の良い音を立てて口を開けた。
「切り替え早いね」
僕は服を着つつ、真っ裸で酒を飲む琴葉を見やる。
「別にいいでしょ。セックスはセックス、酒は酒。部屋の残り時間を無駄にするよりよっぽどマシだよ」
「君のそういうところ、ちょっと羨ましいよ」
僕も琴葉も心が冷めているけど、彼女ほど淡白に物事を切り替えられる自信はなかった。
特に美玲が我が家に住み始めてから、何かに迷い悩むことが多くなった気がする。凍り付いた心が融解するような、そんな心地だ。
「…………あ」
と、僕は短く呆けた声を漏らした。
美玲に釘を刺されていたことを思い出した。終電前に家へ着けば僕の弁解も聞き入れてくれるだろうか。あるいは扉を締め切られているだろうか。
玄関の前で野宿という最悪の可能性を危惧して、僕は額に冷や汗を浮かべた。
「なに?」
「いや……」
僕は言い淀んでから、おずおずと口にする。
「用事があるのを思い出して。今日は先に帰ってもいいかな?」
「だめ」
「いや、でも用事が……」
「だめって、言ってるでしょ?」
琴葉はチューハイ缶を片手に僕と距離を詰めてくる。
ベッドから立ち上がろうとする僕を押し退け、すかさず馬乗りになり逃げ道を塞いできた。結露した缶の角をちょん、と僕の頬に触れさせる。
「なに、するんだよ」
「さあ、なんだろうね」
そう言って、琴葉はお酒を口に含むと、
「っ――――」
僕と唇を重ねてきた。
「や、やめっ――」
琴葉は強引に舌をねじ込んできて、その隙間からお酒を流し入れてくる。ホテルのシーツを汚すわけにもいかず、度数の高いチューハイが喉を通過した。
不本意な口移しに僕は苦虫を噛み潰したような顔をすると、それが琴葉の気分を損ねたのか……彼女は口元を僕の耳たぶにそっと寄せて、生温かい吐息を吹きかけてくる。
「――逃さないよ」
そして、立て続けに二投目の口移しが僕を襲った。
「……っくちゅ、は……ん……」
「……ん、んん……はっ、はぁ……」
「ちゅっ……くちゅっ……」
「や、やめっ……んっ――」
それから何回、いや何十回続いただろう。
ひどく頭が痛い。ぼんやりと思考も定まらない。くらくらする。
別段お酒が弱いわけではないが、酒席で美波のアルハラに付き合わされていたのも一つの要因か、ペース配分を無視した飲酒に僕は酔い潰れてしまった。
「わたしの言うこと聞かないのが悪いんだよ。帰ろうとしたら、今の続きするから。とはいえ、もう動くのもままならないだろうけど」
そう言って琴葉は釘を刺すと、全裸を隠そうともせずそそくさとシャワールームに移動する。
まるで僕は使い捨ての玩具かなにかだ。いや、実のところ僕と琴葉の関係はそんなものなのかもしれないが。
「……うっ、はぁ……きもち、わる……」
シーツに手をついて、どうにか上体を起こそうと試みるも、
「――っ」
平衡感覚を失った僕は手を滑らせ、再びベッドに体を預けてしまう。
どうやら美玲との約束は守れそうにない。
酔いが回ると睡魔に襲われる体質のせいか、僕はいつしか意識を手放していた。
「…………ゆるさないんだから」
ぽつりと、戻った琴葉が呟いていたのを僕は知る由もない。
***
吐き気を催した僕は起床すると、真っ先にトイレへ駆け込んでうつ伏せになった。
酒の飲み過ぎで嘔吐したのはいつぶりだろうか。
久しい不快感と頭痛に苦い顔をしつつ、手洗いうがいを済ませてベッドに戻ると、琴葉は綺麗な瞼を閉じて眠りについていた。
起こさぬよう時刻を確認すると、真夜中の二時を過ぎた頃だった。
マナーモードに設定していたスマホには大量のメッセージと着信履歴が残っていた。
言わずとも、美玲からの連絡が大半を占めている。
「…………帰るか」
室内コールで事情を説明して、代金を先払いしてラブホテルを出た。
千鳥足まではいかずとも、多少ふらついた足取りで夜の街を彷徨う。運良くタクシーを捕まえた僕は住所を伝え自宅に帰った。
さて、どうしたものかと酔った頭で考える。
「……言い訳も思いつかないな」
そう呟きつつ、玄関の解錠をして家の中に入ると――
ダダダッ、床を揺らす勢いで少女が現れた。
目元を赤くして、頬を膨らませて、唇を噛み締めて。
怒っているのか、悲しんでいるのか、虚無の人生を歩んできた僕にはそれがどんな感情を表しているのか推し量れなかった。
「おかえり、なさい」
「た、ただいま……」
「……それだけ、ですか?」
「えっと、ごめんなさい」
美玲の声のトーンが数段落ちていたためか、反射的に謝罪を口にする。
「はぁ」と大袈裟にため息を漏らした彼女は僕の荷物を横取り、「上がってください」と寝室へ移動を促した。
飲み会に行くことを知っており、僕の非正常な足取り、顔色の悪さから酔い潰れたことを察したのだろう。
本来なら連絡を無視したことを咎めたいだろうに。出来た子だなと感心すると同時に、申し訳なさと罪悪感で胸がいっぱいになる。
――何も感じない僕に、新たな感情が芽生えた瞬間だった。
「ありがと……それと、返信できなかったのは本当にごめん。お酒で潰れていて、連絡見れていなかった」
僕はベッドに横たわりつつ、そう弁明した。
「そうですか、わかりました――とはなりませんからね?」
美玲は僕の頬をぎゅっ、と抓って冷蔵庫から水を取ってくる。
抓った箇所に冷えたペットボトルを添えられ、その冷たい感触に頭痛が和らいだ。
「自分で飲めますか?」
「……無理、かも」
「口移しでもしましょうか? ……って、冗談ですから、そんな嫌そうな顔しないでくださいよ……もう」
美玲が丁寧に毛布を被せてくれる。
「言い訳は起きたらたっぷりと聞いてあげます。おやすみなさい」
「うん……おやすみ」
後ろめたいことをして、情けない姿を見せて、僕はどうしようもないやつだ。いや、元から中身や取り柄なんて持ち合わせいないが。
そっと、眠りについた。
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