第11話 飲み会とホテル3

「あまり、無茶するなよ」


「……してない」


「してただろ。手を上げられてもおかしくなかった」


「……ごめん。それと、ありがと」


 琴葉は僕の腕に絡み付き、コツンと頭を寄せてきた。


 午後九時半を回り、空は真っ暗だが街の中は目が眩むほど明かりが灯っている。歩道の至る所で店の勧誘が相次ぎ、あるいは夜道を一人で歩く女性を狙ったナンパの声が耳に入り、どうしようもない街だと思う。


 そのどうしようもない部類に僕も琴葉も入るわけだけど。


「ねえ、なんか隠し事してない?」


 と、琴葉が急に話を振ってきた。

 多少の思い当たる節はあれど、それを他の誰かに言う必要はない。大学生と女子高生が同棲などと体裁の悪い話をしても余計な敵を作るだけだ。


「なんのこと?」


 だから、僕は白を切って問い返した。


「ふーん……ま、いいけど」


 琴葉は柳眉を少し逆立ちさせる。

 それから彼女は近くの薬局に足を運ぶと、六個入り避妊具と何本かの酒をカゴに放り込み、不機嫌を取り繕うこともなく会計に向かった。


「まだ飲むの?」

「飲み足りないから」

「そっか」


 薬局を出た後、僕ら二人は黙々と新栄町の方面に足を進めていく。

 歩道を行き交う人数は徐々に減り、代わりにラブホテルのネオンの光が彼女の髪を一層引き立てた。黒に寄せたアッシュグレーの綺麗な髪が夜の街を抜けた。


「ここでいい?」

「任せるよ」

「ん」


 今度は琴葉が僕の手首を掴む番だった。

 妖艶な光を放つラブホテルの中に、二人の男女が吸い込まれていった――。




***




 行為中、僕は琴葉と初めて会った日のことを思い出していた。

 相も変わらず飲み会の数合わせに付き合わされていた僕は、貸し切った会場の側

で茫然と時が過ぎるのを待っていた。

 だが、そこに一人の女性が歩み寄ってきた。


「変わった人だね」


 それが、琴葉が僕に掛けた第一声だった。

 乾杯や自己紹介を置き去りにした交流に僕は戸惑いつつ、口元に愛想を張り付かせると、やはり彼女はおかしなことを言い出した。


「その作り笑い、面白いね」


「……なんだよ、お前」


「あれ、怒った? でも君、こんなことで腹を立てたりしないでしょ」


「どうしてそう思った?」


「だって、何もかもどうでもよさそうな顔してる」


「…………なんだ、同類か」


「そゆこと。ま、わたしは別に人生を悲観してないけど」


「あっそ」


 僕は心底つまらなさそうに切り返し、ジョッキを口に付けた。


「それ、ノンアル?」


「未成年だから。僕の記憶が正しければ、君は僕と同い年だよね? それ、いいの?」


 僕は彼女に咎めるような視線を送る。

 ドリンクメニューのノンアルコールのリストに、彼女が手に持つ飲み物は含まれていなかった。


「いいの。これはわたしに必要な物だから」


「……よっぽど酒が好きなんだ」


「ううん、わたしは酒が好きなんじゃない。酒に酔うのが好きなの。何もかもどうでもよく思えるから」


「それでよく、人生を悲観してないとか言えたもんだな」


「だって、自分の心が満たされることもあるでしょ?」


「……どうすれば心が満たされるのか、教えて欲しいくらいさ」


「――セックス」


 その言葉が耳に入った途端、僕はグラスを手の中から滑り落としそうになった。

 僕は驚倒に瞬きを繰り返した後、「は?」と素っ頓狂な声を出してしまう。


「だから、セックスだよ」


「意味がわからない」


「単純でしょ。行為中はわたしのことを誰かが求めてくれる。わたしを肯定してくれる。それだけで酷く心が満たされるの」


 とうとう、僕は反抗をやめた。

 性行為で空虚な心が満たされるかはさておき、『自分を求めてくれる』、『誰かが肯定してくれる』、その自己欲求は確かに僕にもあった。

 僕が知人に誘われ飲み会の数合わせに協力するのは、その酷く汚く歪んだ欲求のせいだ。


 結局のところ、僕と彼女は求め方が違うだけで、欲する物は酷似していた。


「ね、セックスしない?」


 彼女は僕の耳元で優艶に囁いた。

 僕は厄介な人に巻き込まれたとげんなりしつつ、数歩だけ距離を取り、首を振った。


「しないよ」

「ダメ?」

「ダメだ」

「飲み会のノリでしょ」


 彼女もまた、歩み寄ってくる。


「こんなの、皆んなしてることでしょ」

「そういうのが嫌いなんだよ」

「そういうのに一番慣れてるのは誰?」


 その一言は、僕の心を打ち砕くのに十分な威力を誇っていた。

 再度、彼女が問いかける。


「セックスしよ?」


 僕は首を縦にも横にも振らず、ただ彼女に引っ張られて、酒の席を抜けた。

 そうだよ――これで誰かの役に立てるなら、僕の存在が認められるなら、なんだっていいじゃないか。


 これが、僕と琴葉の歪な邂逅だった。

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