第10話 飲み会とホテル2
大学のカフェで落ち合った僕と琴葉は適当に時間を潰し、午後七時から酒の席に着いていた。
飲み屋は海外の僻地の民族を彷彿とさせる外内装に、メニューも比較的リーズナブルな物が多く、手頃な出費で楽しめそうな店だ。僕からやや離れた位置に腰を据える幹事の彼は中々に優秀らしい。
「それじゃ、乾杯――」
「「「乾杯っ!」」」
幹事の男が立ち上がり、ハイボールのグラスを前に突き出した。
それに合わせて、他の面々がグラスを掲げる。遅れて左右や前に座る男女とグラスを打ち鳴らし、グイッと呷った。個室の酒席が盛り上がっていく。
「ほら、乾杯」
「ん、乾杯」
僕も右隣に座る琴葉とグラスを交わす。
「今日は夏休み終わってお疲れ様って感じなんだっけ?」
僕が訊ねると、左隣の女の子が口を開いた。
「らしいよー! ちなみにもうすぐ、大学が始まり頑張りましょう会、みたいな酒の集まりがあるんだって!」
快活な声色で話す彼女は、片手に持ったグラスを僕の物と重ねた。
「へへっ、乾杯!」
別段、彼女に問いかけた訳ではないが、これも飲み会の趣だろう。
僕も気分を切り替えて、適当な作り笑いをする。
「なにそれ、一つに纏めればいいのに。乾杯」
「まあうちは飲みサークルだから、こういうおふざけ好きな人でいっぱいなわけよ。あ、あたし
「なるほど、そんなもんか。僕は成宮瑞季、よろしく」
美波は明るい茶色の髪を揺らし、二重の瞳を大きく開いて、くすりと笑った。
その気前と愛嬌の良さに、僕も酒が尽きるまでは付き合おうと、グラスを片手に口角を上げる。
「瑞季くんは誰かに誘われた口か」
彼女は腕を組んで、「ふむふむ」と首を上下に振る。
「あー、まぁそんなところかな」
僕が尻目で右隣を見やると、琴葉の横に新しい男が座っていた。早速男を誘き寄せたのか、彼女は口元に愛想を取り憑かせている。
なぜか美波は頬を緩めて、「そーいうことか」と呟いていた。まるで同じ教室にカップルが誕生した時の取り巻きみたいだ。
恋愛脳は高校生で止まっていそうだな……と、僕は胸内で苦笑する。
「今日の飲み会は男女の数を揃えてるから、もしかしたら男の頭数が少なかったのかもねー。まるで合コンみたいだけど」
「確かに。これだけ人数がいて、男女の数が均等だなんて」
僕は所属していないけど、うちは大規模な飲みサークルで、もっと大きな会場を貸し切って大人数でやるのだが、それは生憎と頻繁に行えるものではない。
今回は参加したい人のみが集った、言わば酒が飲み足りない暇人のための飲み会だ。それで男女八名ずつ揃えたのだから、やはり幹事の男の手腕は上々らしい。
「ま、あたしも頻繁に参加してるわけじゃないから、そこまで詳しくはないんだけどねー」
「へぇ、意外だな。てっきり美波は飲み会がある度に参加してるのかと思ってた」
「おっと、偏見はやめてね!? あたしそんなに遊び回ってないもん!」
「悪かったって。でも、それならどうして今日は参加したの?」
僕が酒を呷ると、美波は露骨に顔を顰めた。
「んー、ちょっと嫌なことがあった感じ? だから、こう、パーっと気分を晴らしにみたいな!」
わざとらしく美波は両腕を大きく広げた。
どうやら、あまり深く踏み込まれたくないらしい。
僕も美玲の事で手一杯だし、どの道、彼女とも酒の席を抜ければ赤の他人に逆戻りだ。人付き合いが苦手な僕の役目は、単に都合の良い話し相手であり、それ以上でも以下でもない。
だから、僕が鬱憤を取り除く道具になるのは、今だけだ。
「ね、ほらほら、もっと飲もうよ」
「それ、アルハラだよ?」
「まーまー、これも何かの縁ってことで!」
「仕方ないな……」
「へへっ、やったぁ!」
美波は注文専用のタッチパネルを触り始める。
右隣の女に睨み付けてきたが、僕は気にせず、存分に酒を飲み進めた。
***
乾杯の音頭を取ってから、一時間が経過した。
筒がなく飲み会は進行している。
――ただ、一箇所を除けば。
「ねえ、このあと一緒に抜け出そうよ」
「……今日は遠慮しとく」
「なんでよ、俺らめっちゃ相性よさそうじゃん。話も合うしさ、なんなら今からでも、ほら」
「だから……はぁ」
皆んなが露骨に顔を逸らした。
そして、和気藹々と談笑を再開して、誰も関与する気配がない。
もちろん、幹事を務める男も。中々に優秀な人だと思ったが、僕の思い違いだったらしい。空虚な心の中に僅かながら、ぽつり、怒りの感情が芽生えた気がした。
「(ねぇ、あれ、いいの?)」
ほんのりと顔を赤く染めた美波が、僕に耳打ちをする。
僕は静かに首を振った。
もはや良い悪いの話を通り越している。男の方も謎の自信に満ち溢れているし、きっとアルコールにやられたのだろう。酒癖の悪い男が飲み会の席を乱して帰ることは稀にあるけど、今日のは特に酷かった。
「あ、もしかしてゴムないとか? 大丈夫だいじょうぶ、そんなのコンビニとか薬局寄れば余裕っしょ」
「………………」
「てことで、ほら、行こうよ」
ワックスで髪の毛を固めた男が琴葉に手を伸ばす。
か細い肩に手が触れそうになって――ペチンッ、強く弾き返される音が響いた。
琴葉が思いっ切り腕を振り払ったのだ。
「気安く触れないで」
「…………は?」
男は理解が追い付かないのか――しかしそれでも形相は憤怒で染まっている――みっともなく口を開いたまま、琴葉に鋭い視線を飛ばした。
「だから、気安く触れないで。近くに居られるのも無理。生理的に受け付けないから」
琴葉は澄ました顔で罵詈雑言を吐き出し、物置の鞄に手を掛けた。
「あ”ぁ? ちょっと待てよ」
猿が怒り狂うように、男は乱暴に椅子を蹴り付けて琴葉を捕まえようとする。
美波が僕の肩を掴み、「ねぇ、やばいよあれ」と赤い顔を真っ青に変色させた。確かに、あれは他人に無関心な僕の目から見ても十分に危険な状態だ。
だから僕は左腕で頬杖を付き、右手でハイボールを飲み干してから、あえて気怠げに言い放った。
「――お前なんかが、琴葉と吊り合うわけないだろ」
次の瞬間、男は僕の胸ぐらを掴み取り、強引に立ち上がらせた。
「なんだと? もういっぺん言ってみろよ」
息が苦しくなる。
徐々に握力が強まり、首襟が締め付けられた。
だが、それがなんだ。
何も怖くない。何も痛くない。何もない。何も感じない。
「何度でも言ってやるよ。お前みたいな不細工で品の無い男に、琴葉の相手は務まらない」
「このッ――」
テーブルの上に突き飛ばされた。
男も殴り掛かるのは不味いと自制心が働いたのだろう。彼は荷物を乱暴に手に取って、金も払わず店を出て行ってしまった。
琴葉と美波に介抱されて、僕は体の軋みに悶えつつ、テーブルから床に足を付ける。
「だ、大丈夫……?」
美波が新品のおしぼりで僕の顔や首元を拭いてくれた。
「ありがとう、大丈夫だよ。でも、今日は先に帰らせてもらってもいいかな?」
僕は皆んなを一瞥する。
彼ら彼女らも飲み会が続行不可能と判断を下したのか、特に反論してくることはなかった。
幸いだったのは、飲み会の時間まで服屋を歩き回り、欲しい服を何着か購入していたことだ。これもひとえに宝くじを当てたおかげだろう。
僕はお手洗いで着替えを済ませてから、美波に別れを告げた。
「それじゃ、またどこかで会ったら」
「うん……って、あたしも同じ大学だから、絶対どこかで会えるけどね!」
「それもそっか」
僕は美波に手を振ってから、琴葉の手首を掴んで飲み屋を退出した。
琴葉の白く細い腕は、怯えるように酷く震えていた――。
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あとがき失礼します。
ここまで読み進めて頂いた皆さま、ありがとうございます!
更新が遅くなってしまい誠に申し訳ございません。最近スランプなのか、どうにも文章が気に入らなくて書いては消してを繰り返してしまっています(汗)
なるべく早めに更新できるよう心がけていきます。
そして、ついに10話目を迎えました。
恐らく次話あたりから徐々に踏み込んだ内容になっていくと思うので、お楽しみ頂けたら嬉しいです!
引き続き、温かく見守って頂けると幸いです(。_。*)
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