第5話 JK引っ越し2

「これとこれ、どっちがいいですかね?」


 名古屋の有名な雑貨屋の一角にて。

 美玲が左右の手に異なるシャンプーを持ち、首を傾げて訊ねてきた。左が柑橘系、右がフローラル系の匂いが残る物だ。


 彼女が住み込むにあたって必要な物を買い揃えに来たのだが、ちょうど切れ掛かっていたシャンプーも一緒に購入しようと今に至っている。


「こっちかな」


 美玲が左手に握る方を指さした。


「ちなみにどうしてです?」


「美玲に似合うと思うから」


「っ〜〜……そ、そうですか、百点満点な回答が地味にムカつきますね……」


 美玲は僕が選んだ方のシャンプーを買い物カゴに押し込んで、プイっと顔を逸らしてしまう。

 本音を吐露しただけなのだが……と、僕は肩を落とした。

 今時の女子高生は怒りの沸点が低いのだろうか。


「次は何を探しましょうか……」


 美玲は顎に手を添えて、きょろきょろと周囲を一瞥した。

 そして目当ての物を見つけ出したのか、まるで餌を与えられた子猫のように嬉しそうな顔で足を運ばせていく。


 僕は彼女を追従して、妙な背徳感を覚えた。

 大学生と高校生の男女が二人きりで買い物など、あまり褒められたことではない。世間の目は厳しく僕らを咎めるだろう。


 だが、僕は他人の目なんて、心底どうでもいい。

 ただの”他人”が僕の心に介入する余地などない。


 今、僕の心に入り込んでいるのは美玲だけだ。

 この不思議と心が安らぐ感じは、一体なんだろう。

 僕は自然と口角を上げて、彼女を追い掛けた。




***




「瑞季さん、せっかくなので大須の方にも寄って行きませんか? 食べ歩きしたいです!」


 地下鉄の構内に入ると、美玲が瞳を輝かせて言った。

 大須こと、大須商店街は名古屋でも知名度の高い遊び場だ。


「……いいけど、美玲の引っ越しの荷物を運んでくれてる有咲さんが知ったら、軽くキレられると思うよ」


 僕と美玲の同棲が許可され、有咲さんは昨日の今日で引っ越しの準備を進めていた。僕も手伝うと提言したのだが、彼女は助力の申し立てを一蹴し、「二人で買い物でも行くといいですよ」と二人の時間を確保してくれたのだ。


 お節介な部分が玉に瑕とは、よく言ったものだ。

 美玲の荷物はさほど多くないだろうが、それでも一人で運び出すのは労力を要するだろう。

 その上、有咲さんが引っ越しの手続きや学校への連絡も一通り行ってくれているので、彼女には本当に頭が上がらない。

 僕は心の中でひっそりと感謝を告げた。


「そういうムードをぶち壊す発言は減点ですよ、三十点です」


「デート中の相手に点数付ける女、三十点だね」


「なにおうっ!」


 僕が冗談を返すと、美玲は中身の軽い紙袋をぽすんとぶつけてくる。


「暴力的な女は減点だよ、十点」


「もう瑞季さんなんて知りませんっ!」


「でも私服姿が可愛いから加点して百点」


「ふんっ、そうやって私の粗探しを……ふぇ? な、え、ぅあ……だから、急にそういうの、ずるいです……」


 最後の方は消え入りそうな声だった。

 美玲は白い肌をほんのり赤く染めて、唇を一文字に引き結ぶ。

 彼女はチェックのワンピースに黒のベレー帽、革製の鞄に靴と、色の範囲を限定して大人っぽい服装をしていた。


 正直、すごく可愛い。


「ほら、行くよ」


 美玲の羞恥がこちらにも飛び火しそうだったので、僕は彼女の紙袋を奪い取って歩を進めた。


「あ、待ってくださいよー!」


 途中でコインロッカーに荷物を預け入れ、地下鉄で目的の最寄り駅まで到着すると、階段を上って地上に出た。

 そのまま商店街の中に入ると、至る所で人垣が構築されており、苦虫を噛み潰したような顔してしまう。


「やっぱり家に帰るって選択肢は……」


「あるわけないじゃないですか。ほら、行きますよ」


 美玲が抱き付くように僕の腕を引っ張って、ずしずしと前を進んでいく。


「……その、当たってるんだけど」


 僕は歯切れを悪くして言う。

 着痩せするタイプなのか、以前も思ったが見た目以上のボリュームがある。


「み、瑞季さんが気にしすぎなだけですっ!」


 結局、美玲が僕の腕を解放することなく、唐揚げ専門店の前まで到着した。

 台湾系の辛味が特徴な唐揚げを売りに出す店だ。まだ他の店も回るため、二人で一つを分け合うことにした。

 順番が来るまで列に並んでいると、ふと、美玲が僕の背中をツンツンと小突いてくる。


「……あの、さっきからあそこにいる女の人が瑞季さんのことずっと見てるんですけど、お知り合いですか……?」


 隣に佇む美玲が訝しむ顔で、後ろの方に指を差す。


「ん……?」


 僕は横目で後方を確認するも――別段、見覚えのある人はいなかった。


「あ、あれっ……!? さっきまでいたのに、なんで……」


 美玲が困惑の声を漏らした。

 彼女の言い分から推測するに、僕に悟られる前に退散した、ということか。

 僕の浅い交友関係の中で思い当たる人は、いなかった。


 しかし、僕は美玲と唐揚げを分け合うことにドギマギしすぎて、そんなことはすぐに忘れてしまうのだった。


「最後の一個は僕のだよ!」

「いいえ私のです!」

「意地汚いな!」

「なにおうっ!」


 なお、最後の一個を奪い合う戦いは、じゃんけんで決まった――。

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