第4話 JK引っ越し1

 美玲の叔母は、彼女の母の妹に当たる人らしい。

 四角四面な性格で、お節介な部分が玉に瑕――と、美玲からLINEで情報の共有がされた。


 苦手なタイプかも……と、嫌な先入観を抱く。

 空っぽで適当な人生を送ってきた僕とは正反対の人間だ。

 それなのに美玲は、『叔母は同棲を反対しています、なんとか説得してください』と無理難題を押し付けてきた。


 正直、気が遠くなる。

 だが、それでも僕は己の責務を全うせねばならない。


 頬を両手で叩いて、気持ちを切り替えた。

 少し遅れて、ドアホンの呼び鈴が鳴る。


 意を決して玄関扉を開くと、美玲が口元を綻ばせ抱き着いてきた。僕の背中に細い腕が回される。


「瑞季さん、こんばんはっ!」


 弓状に形の整った胸が当たる。

 しなやかな弾力とほどよい柔らかさを兼ね備えており、僕の脳は機能を停止しかけた。

 苦虫を噛み潰したような顔で美玲を見やると、彼女は目力で指示を飛ばしてくる。恋人の演技をしろ、ということらしい。


 わかった、やればいいんだろ、やれば。


「こんばんは、いらっしゃい」


 僕は美玲の頭に手を置いて、ゆっくりと撫でた。

 すると、美玲は顔を真っ赤に変色させて、いきなり僕の背中を抓ってくる。

 ……訳が分からない。


「こほん――」


 わざとらしい咳払いが、美玲の後ろに立つ女性から放たれた。


「初めまして、美玲の叔母の小春有咲こはるありさと申します」


 有咲さんは丁寧な作法で頭を下げ、挨拶する。

 威厳を感じる吊り目と背中まで流れた黒髪が特徴的な人だ。美的な目鼻立ちは美玲と通ずる部分があり、血の繋がりを感じさせる。


「美玲とお付き合いさせて頂いている成宮瑞季です。お忙しい時期に足を運んでくださり、ありがとうございます」


 僕も脳内で予習練習した通りに挨拶を返した。


「あまり、かしこまらなくていいですよ」


「ははは……そう言って頂けると助かります。どうぞ、上がってください」


「ええ、それでは」


 二人をリビングに招き入れる。

 僕は紙コップに紅茶を注ぎ、それを適当な菓子が盛り付けられたお盆の上に乗せて、机の上に置いた。先ほど慌てて近所のコンビニに駆け込み、買い漁ってきたものだ。


「へぇ……」


 有咲さんが感嘆の声を漏らし、椅子に腰を下ろした。

 僕の対面に二人が座る形となる。

 ひとまず、第一印象の及第点は取れたらしい。


「つまらないもので申し訳ないですが」


「いえ、こちらが急に押し掛けてきたのですから、気にしないでください」


 有咲さんはにべもなく言い返すと、背筋を伸ばして姿勢を正した。


「さて、本題に移らせて頂きますが……単刀直入に申し上げて、わたしはあなたが美玲と同棲することを許可できません」


 有咲さんの鋭い眼光が僕を射抜いた。

 四角四面な性格、か……なるほど、確かに真面目の範疇を逸脱している。まるで厳格な政治家を敵に回しているみたいだ。


「……それは、どうしてですか?」


「心配だからに決まっているでしょう。私は美玲の母親ではありませんが、美玲のことは我が子も同然に思っているんです。そんな大切な子を見ず知らずの男性に任せるなど、できません」


「ちょっと、有咲さん! 瑞季さんは見ず知らずの人なんかじゃないもん!」


「美玲は少し静かにしていて。これは私と彼の話なの」


 美玲が仲介に入るも、有咲さんの一言で口を噤んでしまう。

 彼女は悔しそうに下唇を噛み締め、顔を俯けた。


 どう抗っても、保護者と子どもの立ち位置が無くなることはない。

 だからこそ、二人の立場に介在しない僕が美玲を助けなければならないのだ。


「瑞季くん、だったかしら。あなたはどうして美玲を引き留めたいの? 大学生なら時間に不自由はないでしょ? 逢瀬の頻度は減っても、まるきり会えなくなるわけじゃないわよね?」


 どうして。

 上部を取り繕って”好き”だからと言い放つのは簡単だ。

 だが、それでは、この人を納得させることはできないと思った。


「……美玲は酷く心を痛めています。両親を失って、自分に寄り添ってくれる人がいなくなって、寂しさと侘しさで心が荒んでいます」


 僕はぎゅっと拳を握り締めて、言った。



「そんな美玲に寄り添ってあげたい」



 有咲さんは目を瞠り、美玲は耳の先まで顔を赤くしていた。

 僕は一呼吸だけ間を空け、話を続ける。


「ただ、それだけですよ。きっと、有咲さんも僕と同じ思いなんですよね?」

「………………」


 彼女は長い睫毛を伏せて、「はぁ……」とため息を溢す。

 それは肯定の合図で相違なかった。


「美玲、ちょっとだけ席を外してくれる?」


「え……でも、また瑞季さんに変なこと言わない?」


「言わない、約束するわ」


 美玲は悩む姿を見せた後、観念するように「わかった」と言って外に出た。

 有咲さんはそれを見届けると、僕の方に視線を預け、渋々と口を開いた。


「ここへ来る途中で決めていたんです。あなたが適当な言葉で美玲を引き留めようとするなら、縁を切らせようと」


 彼女は空気を弛緩させて、お盆の上の煎餅に手を付けた。


「それに、瑞季くんに抱き着いた時の美玲のあんな顔、初めて見たもの。よっぽどあなたのことが好きなんでしょうね」


 僕は黙秘権を行使した。

 あれは美玲の演じた恋人の役であり、それ以上でも以下でもない。


「……同棲は許可します」


 ただし、と有咲さんは釘を打つ。


「美玲に悲しませるようなことをすれば、すぐに同棲は取り消しますから」


 有咲さんは袋に入ったままの煎餅をパキリと折った。


「わかりました、それで構いません」


「……美玲のこと、よろしくお願いしますね」


「はい、任されました」


 彼女は煎餅と紅茶を胃に収めると、椅子から立ち上がる。


「それじゃ、私はこれで失礼します」


 僕も腰を上げて、有咲さんを玄関まで見送った。

 ややあって、彼女と入れ替わるように美玲が家内に戻ってくる。


 美玲は来た時と同じく口元を綻ばせて、僕を抱き締めた。


「えへへ……瑞季さん、ありがとうございます。これで私、県外に引っ越さずに済みます」


「暑苦しい、頼むから離れてくれ」


「照れてるんだ、えへ」


 僕は美玲を引き剥がして、しっしと手を振る。


「有咲さんが待ってるだろ。ほら、早く行け」


「むぅ、強情な人ですね、まったく! もうすぐ同じ屋根の下で暮らすことになるのでいいですけど!」


 美玲はあざとく頬を張った後に、目を細めて笑う。


「えへへ、それでは、おじゃましました」


「ああ……またな」


「はい、またです!」


 そう言って、美玲は玄関の扉を閉める。

 初めて知った多幸感の温もりが、部屋の中を満たしていた。

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