第2話 JK邂逅2

「――君に、一億あげるよ」


 僕の言葉に、少女は目を丸くした。

 驚愕が悲哀を通り越したのか、彼女は涙と共に硬直する。

 ややあって、少女は手を振り矢継ぎ早に否定を投げた。


「いや、え、なに言ってるんですか……!? 一億って一億円!? そんな大金、受け取れるわけないじゃないですかっ!」


「いいよ、宝くじで五億当たったんだけど、僕には使い道がないから。大金を手に入れても大学を卒業したら普通に就職すると思うし。それなら君が有効的に使えばいい」


 僕は今の日常に変化なんて求めてない。

 何も変わらない、それを知っているから。


「そ、そういう問題じゃないです! とにかく、今日知り合ったばかりの人からお金を受け取るわけにはいきません」


「でも、他県に引っ越したくはないんでしょ? お金さえあればこっちで生活できるじゃないか」


「それは、そうですけど……」


 みるみる、少女の顔が暗くなる。


「なら――」

「でもっ! それは、やっぱりダメなんです……」


 彼女は僕の声を遮って、か細い声色で拒否した。


「私の問題に、他人を巻き込むわけには……いきませんから……」


「そうやって君は自分の人生に折り合いを付けて、空っぽな人生を過ごすのか?」


 その意気消沈な姿勢に思わず言い返してしまった。

 空っぽな選択を繰り返してきた僕の心に、僅かな怒りの感情が芽生える。


「なんですか、それ……そんなこと、今さっき出会ったばかりのあなたに言われる筋合いはありません。それに周りの人だって、『仕方ない』って、『どうしようもない』って、私の行動を否定するんです。私が駄々を捏ねたって、どうにもならないんですよ……」


 少女も反抗的な声を上げた。


「……ふざけるなよ。周りの人の意見に左右されるなよ。そんな媚び諂った中身の伴わない人生を送ったってな、なにも楽しくなんてないんだよ。君は、君がしたいようにすればいいじゃないか……」


 僕は拳を握り締めて、呟いた。


「……君まで、僕のようにならないでくれよ」


 どんよりとした空気が肌身を突き刺した。

 空を見上げれば夕焼け雲は雨雲に流れ変わり、湿気が蒸し暑さを掻き立てている。同時に日が落ち、急速に明かりを失った夜が訪れた。公園の外灯が「ポオン」と不思議な音を鳴らして光を放つ。


 感情的に言葉を言い放ったのは、いつぶりだろう。

 ああ、僕は別に誰が何をしようと、どうだっていいさ。


 ――ただ、まだ年端も行かぬ女子高生を。

 ――僕と同じ道に引き摺り込むような真似だけは、させたくない。


「っ…………」


 少女は下唇を噛み締めて、静かに黙り込む。


「……どうして、そこまで私に構うんですか?」


「特に理由はないよ。ただ、そう思っただけさ」


「そう、ですか……変わった人ですね」


「公共の場で泣き喚く君よりマシだよ」


 彼女はぷくーっと頬を膨らませて、不満を表現した。

 僕は気恥ずかしさが込み上げてきて明後日の方角を向く。柄でも無い台詞を吐いてしまった。


「――ひゃっ」


 ぽつり、少女の鼻を水滴が濡らした。

 それは彼女から溢れ出た涙ではなく、曇り空から降り注いだ雨だった。

 徐々に雨の勢いが強まっていく。


「……最悪だ。君、家は近いの?」


「い、いえ……徒歩で三十分はかかります……」


「……じゃあ、僕の家で雨宿りするか?」


「ふぇ……? そ、そういうのは、ちょっと……」


「別に他意はないよ。タクシーを呼んで来るまでの間でいい。これからも同じ学校で使う制服を、雨で汚すわけにはいかないだろ」


 あえて『同じ学校で』の部分を強調して、説得する。


「っ……でも……」


「それ、夏用の制服だろ。生地が薄くて透けやすいけど、いいの?」


「っ〜〜……デリカシーの無い人ですね! わかりました! でも変なことしたら、すぐに警察を呼びますから!」


「どうぞお好きに。ほら、早く」


 僕は右手で乱雑に紙袋を掴み取り、左手で少女の手を引いた。

 少し駆け足で歩道を抜けて、アパートに到着する。

 煉瓦色の外壁を見て、彼女が「綺麗ですね……」と声を漏らしていた。


「お、お邪魔します……」


「邪魔するなら帰ってくれ」


「なっ、あなたが連れてきたんじゃないですか!」


「冗談だって、そんなに怒らなくてもいいだろ」


 僕は適当に話を流して玄関を潜った。

 廊下に上がって一番手前の扉を開ける。

 脱衣所から大きめのタオルを持ち出し、革靴を脱ぐ少女の頭にふわりと投げた。


「うぶっ……ありがとうございます……」


 少女は頬を赤らめ、謝辞を告げた。


「葬儀が始まる前に風邪引いたら困るだろ」


 僕は憮然と対応する。

 本音を言うと、肌身に張り付く透けた制服が目に毒だった。

 自分の家に可愛い女子高生を上げる行為は、想像以上に緊張する。


 玄関の先の廊下を進み――途中で脱衣所とトイレに繋がる扉がある――リビングに出た。隣の部屋は寝室で、このアパートは1LDKの間取りだ。大学生の一人暮らしには些か広い作りだと思う。


「適当にくつろいでいて。僕はタクシー呼ぶから」


「あ、あの……できれば雨が止むまで居てもいいですか……? 私、財布持っていなくて……」


 少女は食卓の椅子に腰を下ろして、上目遣いに懇願する。


「ああ、それなら」


 と、僕は財布から五千円を抜き取り、テーブルの上に置いた。


「はい、返さなくていいから」


「……もうなにを言い返しても無駄な気がするので、素直に受け取っておきます。ありがとうございます」


 少女は呆れた様子で五千円札を手に取った。


「あの……私、紺野美玲こんのみれいと言います」


「藪から棒にどうしたのさ」


「いつまでも二人称で呼び合うのは、めんどくさいと思うので。一応、高二で十六歳です」


「……それもそうか。僕は成宮瑞季なるみやみずき、大学二年で二十歳」


「瑞季さんですね、わかりました。私のことも気軽に下の名前で呼んでください」


「わかったよ、美玲」


 名前の呼び合いをして、僕は廊下に出た。

 タクシー会社に連絡を入れ、再びリビングに戻る。


「……到着まで三十分はかかるらしい。突然の雨で乗車する客が多いんだって」


 げんなりとした口調で伝え、キッチンの前に立つ。

 電気ケトルでお湯を沸かし、マグカップにインスタントのココアの粉を入れた。


「……しょうがないですね。もう少し居させてもらっても大丈夫ですか?」


「ああ、もちろん」


 沸騰したお湯を注ぎ、完成したホットココアを美玲の前に置いた。

 僕は対面の席に座って、頬杖を付く。


「ありがとうございます」


 美玲は横の髪を耳に掛けて、「ふー、ふー」と短く息を送って熱を冷まし、ちびちびと飲み始めた。


 女子高生を家に招き入れ、飲み物を提供する男子大学生。

 我ながら妙な事になったと思う。

 一歩でも間違えれば犯罪になり得る状況に、少し危機感を覚えていると、美玲は両手でマグカップを抱えたまま、「あの」と話を切り出した。


「さっきの話の続きなんですけど……」


「さっきの?」


「引っ越しするかどうかって話です。……やっぱり、現実的に考えて難しいと思うんですよ。お金も無いし、学業と家事を両立するのも大変だと思います」


 美玲は水面が波打つ様を見つめ、瞳を潤わせた。


「……それに、独りでいるの……寂しいし、怖いです……」

「…………っ」


 ……僕は、思い違いをしていた。

 美玲が周囲に流され引っ越しを選ぶ理由は、お金や生活の面が苦しいからではなく――酷く心を痛めているからだと気づいた。


『――誰も居ない家に独りで居るのが、辛くて、苦しくて……』


 美玲は自分の口でしっかりと伝えていたのに。

 他人の感情の機微に疎い僕は、心の温かみを失った僕は、物事を理屈で考え過ぎていたのだ。


 少なくとも親族に引き取られれば、美玲が独りで生きることはなくなる。

 だから、彼女は引っ越しを選ぶのだと。

 新たな家族を手に入れるため、今ある大切な環境を手放すことになっても――。


「……それなら、僕の家に引っ越すか?」

「……ふぇ?」


 これが何も失わず、何かを得る最良の選択だと。

 僕は自分の考えを、無意識の内に口に出していた。

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