宝くじを当てた平凡な大学生の僕は、事故で家族を失った女子高生と同棲を始めたのだが、なぜか彼女が執拗に迫ってくる。

にいと

第1話 JK邂逅1

 僕、成宮瑞季なるみやみずきが自分の人生に折り合いを付けたのは、いつだっただろう。


 大学の合コンに参加して見ず知らずの女にお持ち帰りされた時。中学で同級生と言い争いをした時。進路を決めた時。あるいは、それよりもずっと前か。


 誘いに断りを入れれば、「飲み会のノリだから」と相手は聞く耳を持たず。同じクラスの女子を苛めていた男子に抗弁すれば、「なんで口を挟むんだよ。皆んな見て見ぬ振りしてるだろ」と中身の伴わない返答を受け。県内で有数の進学校を希望したら、「もう少しランクを落とさないか」と教師に進路を否定され。


 昔から他人と価値観の行き違いが生じることは多々あった。

 そして、歳を重ねる毎に齟齬は大きくなっていった。

 いつしか自分の人生を諦観していた。


 僕は成長の過程で”何か”大切な物を失ったのだ。

 しかし大学二年生の秋、長い夏休みを終える直前――。


「……五億、当たってる」


 運命の起点は訪れた。

 僕が失った”何か”を取り戻すのは、もう少し後の話だ。




***




「何に使おうかな……」


 指定の銀行を出た僕は、冷房に冷えた体を日差しで温め、何とは無しに呟いた。


 友達と酒に酔い、舞い上がった気分で購入した宝くじ。

 八月の初旬に買い、九月の中頃に「そういえば」と、すっかり忘れていた物を掘り起こして当せん結果を見ると――見事、一等が当せんしていたのだ。


 銀行で当せん額の支払いを受け取った僕は、九桁の預金に実感が湧かず、呆然と街中を歩いて行く。


「贅沢な買い物をすれば、少しは実感するかな」


 その思考に帰結するのは、一介の大学生として当然だろう。

 名古屋の横広な歩道を沿って進み、僕は大型のデパートに入った。幾つも立ち並ぶ豪奢な看板が目を眩ませるが、一般人から金持ちに昇華した僕は以前と比して心に余裕があった。


 そろそろ買い換えようと思っていたLVの財布、トートバッグ、キーケース。BALENSIAGAのスニーカー。他に気に入った柄の洋服に、ブランドのロゴが不釣り合いなほど大きく刺繍された帽子。

 手当たり次第、気に入った物を購入していった。

 予め引き出しておいた百万円の札束を惜しみも無く使い果たしたが、僕の空虚な心には優越感も満足感も生じなかった。


 デパートを退館する頃には空は夕焼け色に染まっていた。

 数店舗の紙袋を手に提げて、僕はタクシーに乗車し、二駅ほど区間の離れた小さな公園の前で降車した。


「お釣りは要らないんで、飲み物でも買ってください」


 僕が淡白な声色で告げると、運転手は顔に喜びを浮かべて謝礼を述べた。

 名古屋を走る緑と白を基調としたタクシーを見送り――ふと、僕は視界の端に何かを捉えた。


 異変を感じた先は、公園のベンチだった。


「なにしてるんだ、あの子……?」


 黒髪の女の子が顔を俯けて、ぼろぼろと涙を溢していた。

 夏用の制服を身に纏っているので、恐らくは女子高生だろう。

 くしゃりとスカートの裾を強く握り、小刻みに震える手を押さえ付けているように見えた。下唇を噛み締める様は、どこか映画の一場面ワンシーンでも眺めているようだ。


 足が地面に縫い付けられた。

 もう家は目と鼻の先だと言うのに、なぜか見て見ぬ振りができなかった。


「……このまま放っておくのも、僕の沽券に関わるよな」


 ここは繁華街から少し外れた場所だが、人が密集する名古屋に変わりない。

 変な輩に絡まれる、というのは差して珍しくないのだ。

 現役の女子高生に話し掛けるのは度胸が必要だけど、家に帰るよう促すくらいなら、きっと大丈夫だろう。


 僕は彼女の目前まで歩み寄って、丁寧に話し掛けた。


「あの、大丈夫?」


 ビクッと、少女は肩を震わせ顔を上げた。

 僕は”失敗した”と同時に、”綺麗な子”だと思った。


 涙で崩れた二重の目元に、鼻筋の通った美麗な顔立ち。形の整った桜色の唇、肩辺りで切り揃えた艶のある黒髪。

 そして、不安定に吐き出される悲哀が混じった呼気。


 こんなの、否が応でも情が移ってしまう。


「……な、なんですか?」


 僕と手に提げた紙袋に目線を往来させ、彼女は訝しむ顔で訊ねてきた。


 そこで僕は己の失態に気づいた。

 変な輩に絡まれる前に帰宅を促すよう接触したが、まさに今の僕ほど不審な者はいないだろう。ハイブランドの紙袋を何個も持ち歩く男に、警戒心を抱かない訳が無い。


「……えっと、その、あー……これ、あげようか?」


 僕は額に汗脂を滲ませ、頭が真っ白になる。

 口を衝いて出た言葉と連動して、なぜか紙袋を前に突き出していた。


「ふぇ……?」


「……ごめん、やっぱりなんでもない」


 僕は手を引っ込めると、少女はポカーンと口を開く。

 ややあって、彼女は目を細めて笑った。


「ふふっ……なんですか、それ」


 彼女は目尻の涙を拭いつつ、ベンチの中央から端にお尻を動かす。

 隣に腰を下ろせ、という意図を汲み取った僕は静かに横へ座った。


「……暗くなる前に帰った方がいいよ」


 僕は空を仰いで、本題を切り出した。

 夕焼け空は次第に色を変え、夜の帳が降りようとしている。

 彼女は少し間を置いて、考える素振りを見せた。


「それは、お持ち帰りのお誘いですか?」


「僕の持ち帰り基準に君は含まれないよ」


「見るからに厄介事を抱えていそうで、いかにもめんどくさそうで、地雷丸出しの女に興味は無いですか、そうですか」


「まぁ、否定はしないけど……」


 彼女は口先を尖らせて、怒り顔になる。


「どちらにせよ、女子高生を持ち帰りするのは僕の矜恃が許さないから」


「……それなら、どうして私に声を掛けたんですか?」


「さあ、なんでだろう」


 僕は頭を振って白を切ろうとするも、彼女の詰問から言い逃れることは叶わなかった。その鋭い目付きに息が詰まり、僕は観念のため息を吐く。


「強いて言うなら、生きる意味を見出すため……かな」


「あなたも私と同類じゃないですか」


「やだな、公園で泣き喚くメンヘラ女と一緒にしないでほしい」


「あっ、メンヘラは一番言っちゃいけないやつですっ!」


 少女が外方を向くと、今度は僕が笑う番だった。

 自然体で笑みが漏れたのは、いつぶりだろうかと記憶を懐古する。


「はいはい。それで、今度は僕が訊ねるけど……どうして、こんな所で泣いていたの?」


 途端、彼女は再び目尻に涙を溜めた。

 哀愁漂う初秋の夜風が、少女の黒い前髪を靡かせる。その悲痛な姿に目も当てられず、僕は居心地の悪さに頬を掻いた。


「……家に帰りたくないから」

「それは、どうして?」

「……今朝、両親が交通事故で亡くなったんです。誰も居ない家に独りで居るのが、辛くて、苦しくて……」


 やはり、”失敗した”と思った。


 大切な何かを失った僕の心は虚無で覆われている。

 彼女の傷の痛みも、悲しみも、苦しみも――ああ、僕には何も伝わらない。何も響かない。何も感情が生まれない。


 人生を諦めた僕は、酷く冷めていた。

 だから、今の僕は耳を傾けることしかできない。


「昨日まで温もりに包まれていた家が急に冷たく空っぽになって、自分の家に居るのが、すごく怖くて……」


 少女の頬に涙が伝う。


「……明日の夜に通夜振る舞いを、明後日に告別式を行うそうです……」


「……うん」


「それが終わったら、私は県外の親戚の家に引き取られることになっているんです……でも、今の学校は気に入っていますし、友達とも離れ離れになるのは嫌で……だけど、独りで生活するお金や余裕もありませんし……」


「……うん」


 流れた涙の粒は徐々に大きくなり。

 顎の先から落ちた水滴がスカートを濡らしていく。


「もう、どうしたらいいか、わからなくて……」


 僕は水で滲んだ布地を見つめて、体の前で手を組んだ。


 まだ十代の女子高生が苦渋の選択を迫られ、何を拾い、何を捨てるのか、疲れ切った精神で考えが纏まらないのだろう。そして、徐々に負の感情が薄れて、何も分からなくなる。


 切り離された世界の片隅で傍観するように、あるいは過去の自分と照らし合わせるように、そんなことを思った。

 だから、僕の轍を辿るような真似だけはさせたくなかった。


「――君に、一億あげるよ」


 僕の言葉に、少女は目を丸くした。





_________



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