人は広い荒野に出て旅をする時があった方がいい…

愛媛新聞で長い間連載された早見和真先生原作の『かなしきデブ猫ちゃん』が2022年1月1日の紙面掲載分でピリオドを打った。


絵本は、3月頃に発売されることが決まった。


……と言うお話がありました。


全都道府県のNHK総合テレビで12月19日から毎週日曜日放送が開始されたが、まだ期間があさいのでくわしい話をすることは控えておきます。


ぼくは、『かなしきデブ猫ちゃん』の話を文庫本版(集英社刊)でくりかえして読んでいたが、そんな時に南海放送テレビで日曜日22時30分(今はドラマをしよる時間帯)からしよった番組を思い出した。


それは言うまでもなく、『進め!電波少年』(1998年から『進ぬ…』に変更された)のヒッチハイクの企画である。


タレントの有吉弘行さんが『猿岩石』の時の『ユーラシア大陸横断』・ドロンズの『南北アメリカ大陸縦断』…


そして、伊藤高史とチューヤンの国籍が違う同士のパンヤオの『アフリカ・ヨーロッパ縦断』…


…の三部作であった。


その中で、もっとも印象に残っているのはパンヤオのヒッチハイク旅であった。


1998年の日テレの番組オーディションの時、伊藤高史さんも懸賞芸人のなすびたちと参加していた。


その時に、伊藤さんはくじで当たった。


このあと、伊藤さんはスタッフさんたちに強引に連れ出された挙げ句に南アフリカの喜望峰まで連れて行かれた。


この時に、伊藤さんはチューヤンさんと出会った。


そして、アフリカヨーロッパ縦断のヒッチハイク旅が始まった。


ぼくは、そこから最後まで見よった。


8月の頭ごろの回を見よった時、痛々しい場面に遭遇した。


伊藤さんとチューヤンさんがケニアにいた頃だった。


伊藤さんとチューヤンさんはケニアからエチオピアへ向かっていたが、その途中の道が通行止になっていて足止めを食らった…


通行止のバリケードの先は、強盗団がセンプクしている危険地帯だった…


その上に、迂回ルートにあたる周辺国が治安が激悪状態であった。


足止めされた伊藤さんとチューヤンさんは『でも道がないんだよ…』と言いながら泣いた。


この時、『ギブアップ』もやむなしの状況であった。


それはなんでだと思いますか?


その答えは、有吉弘行さんの『猿岩石』の時にあった。


『猿岩石』のヒッチハイクは、香港からロンドンへ向かう旅であった。


この時、治安上の理由で陸路の移動が困難な区域があったので、その部分は航空機で移動した。


この件について、のちに大騒ぎになった…


その時があったので、伊藤さんは『ギブアップ』を選ぶとチューヤンさんに言うた。


この時、チューヤンさんは伊藤さんにどのように伝えたでしょうか?


答えは『飛行機で移動することもヒッチハイクのうちだよ…』…


チューヤンさんのひとことで、ヒッチハイクを継続することができた。


しかし、そこから先も困難がつづいた。


11月に放送された電波少年の特番で、ゴールの瞬間を見届けた。


放送された日は、南海放送を始めとした日テレ系と香港のテレビ局と同時に放送された。


その時のスタジオゲストは、プロ野球横浜(DeNA)ベイスターズに当時在籍していた大魔神・佐々木主浩さん(伊藤さんのご両親とつながりがある)と有吉さんたちヒッチハイク芸人4人であった。


(MCの松本明子さんが有吉さんたちを『猿ンズドロ岩石』と茶化して紹介していたのはわろた…)


香港側のスタジオは、大勢のみなさまが集まっていた。


香港側のスタジオにいるチューヤンさんのご家族のみなさま…


仙台市の伊藤さんの実家にいるご家族のみなさま…


お二方のご家族のみなさまがパンヤオがゴールする瞬間を見守っている…


20時20分頃に、パンヤオのゴールが近づいた。


香港側のスタジオにパンヤオコールが響いた。


日本側のスタジオでは、有吉さんたちがパンヤオに声援を送った。


この時、ぼくも『パンヤオもう一息だそ〜』とテレビの画面に向かって声援を送った。


伊藤さんとチューヤンがゴールのテープを切った瞬間を見た時、みなが歓声をあげて喜んでいた。


ぼくも一緒になって喜んだ。


ヒッチハイク三部作は、どれも苦難続きの旅であった。


旅の路銀(旅費)が少なくなった時、現地の飲食店でアルバイトで稼ぐなどした…


寝る場所は、野宿の時が多かった。


(パンヤオの時、チューヤンさんが伊藤さんに『なんだよこの野郎‼』と凄んでケンカになった事件があった)


他にも、苦難は山のようにあった。


それでも、ふたりが力を合わせてゴール地点を目指してひたすら全身した。


ゴール地点にたどり着くまでの間、現地のみなさまのお世話になった。


ヒッチハイクの旅が終わったあとも、現地のみなさまに感謝の気持ちをかみしめながらこの先の人生を歩まなければならない…


…と、ぼくは心に言い聞かせた。


話を戻して…


『かなしきデブ猫ちゃん』のマルは、三部作とも愛媛県内のあちらこちらを旅した。


『マルのラストダンス』のあと、マルはどこへ行くとは書かれていなかった。


ぼくは思うけど、やっぱり広い荒野に出て旅をした方がええと思う。


『東も西も分からない』『世界の広さも分からない』…


そのような原因を生んだのは、日本型の家族にあると思う。


キュウヘイコロウの考え方では、お子さまの自立心をそぐので非常に良くない‼


親御さんがいよる『心細い』と言う言葉がお子さまの自立心をそいでいると言うことがまだ分からないのか…


……とおらびたくなるわ(ブツブツブツブツブツブツ)

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