クリスマスに聞いた著名人の訃報の話( TДT)

本日(12月25日)はクリスマスです。


1926年の12月25日は、大正天皇がホウギョ(天に召された)した日である。


その翌日から、年号が『昭和』に変わった。


昭和元年は、わずか6日だけだった。


昭和64年も、わずか7日と短かった。


…………


…と言うことで、このページではクリスマスの頃に天に召された著名人の方々のお話をします。


まず最初に…


今治市の出身で、東大の総長を務めた矢内原忠雄先生は1961年のクリスマスの日に天に召された。


1917年に帝大法科大政治学科卒…


卒業後、住友グループに入社したあと新居浜市の別子銅山に配属された…結婚して家庭を作った場所も愛媛県…


…と言う経歴があるので、愛媛県とつながりがある著名人である。


戦時中までの間、つらいこと悲しいことなどをご経験なされた…


終戦後に、大学に復帰した。


それから何年か後に、東大の総長に就任した。


矢内原先生はキリスト教の信者であったことから、『サザエさん』の作者長谷川町子さんの家のご家族と交友関係があった。


長谷川町子さんの妹さんの洋子さんとダンナさん(読売新聞の記者だった)の結婚式のお仲人さん、ダンナさんが天に召された時に葬儀委員長…を務めるなど、親交が厚かった。


(長谷川町子原作『サザエさんうちあけばなし』(姉妹社)の『思い出のひと〜東大元総長・矢内原忠雄先生』の章に書かれていたお話からバッスイしました)


1961年のクリスマスの日に、矢内原先生は天に召された。


偉大な功績を遺した大先生でした。


同じく、クリスマスの日に天に召された著名人と言うと、テレビ愛媛の親局(フジテレビジョン)の元アナウンサーでタレントの逸見政孝さんである。


1945年2月に大阪阿倍野区で生まれた。


1968年に、フジテレビジョンに入局した。


テレビ愛媛(フジテレビジョン系)のプロ野球中継の実況を担当していた松倉悦郎アナも逸見さんと同時に入局した。


話は、逸見さんがフジテレビジョンの就職試験の面接を受けていた時のエピソードである。


面接官のひとりで当時フジテレビジョンの社長だった鹿内信隆社長が逸見さんにこなな質問をしたと思う。


「今日の面接に、逸見くんと同じ大学(早稲田大学文学部)に在籍している人が面接に来ている…『ふたりのうちひとりしか採用しません…』と言われたら、君はどうする?』


逸見さんは、困った表情で『それは困ります…』と答えた。


それを聞いた周囲の面接官たちは、笑い転げた。


この質問は、松倉悦郎アナにも出した。


それがどういうわけなのか、ふたりとも採用した…と言う話であった。


逸見さんが出演していたニュース番組は、その当時テレビ出演は関東限定だったと思う。


テレビ愛媛などの全国放送で逸見さんをお目かけたのは1984年4月からで、平日夕方の『FNNニュースリポート6時』であった。


同年10月1日から始まった『EBCスーパータイム600』で幸田シャーミンさん〜安藤優子アナ(フジテレビジョン在籍中)と共に全国ニュースを伝えた。


1987年11月に、フジテレビジョンをやめてフリーアナに転向した。


この時から、逸見さんはフジテレビジョン以外の番組に出演するようになった。


そのうちの一つが、1988年10月開始で南海放送で水曜日20時からしよった『クイズ世界はショーバイSHOW by』である。


タレントの渡辺正行さんとMCを務めたクイズ番組で、逸見さんが天に召されたあとは福澤朗さん(フリー)があとをついで1996年頃まで放送されたクイズ番組と言えば分かります。


『さあー、みんなで考えよう〜』

『ミリオンスロット‼』


…などの掛け声が印象に残っている。


そして、テレビ愛媛でしよった『たけし逸見の平成教育委員会』もあった。


こちらは、有名私立中学の入試問題を出題していたクイズ番組であった。


ビートたけしさんが例の事件(1986年のフライデー編集部襲撃事件)でキンシン中の時、私立中学の試験問題集などのドリルで頭の体操をもしていた時に『この番組やったらおもろいやん…』とつぶやいたことが番組を企画するきっかけになったと言うエピソードがあった。


それが大当たりしたけん、ホンマにすごいわ(ウンウン…)


他にも、『夜も一生ケンメイ』『いつ見ても平平凡凡』『いつ見ても波乱万丈』…などのMCを務めた。


『金メダルへのターン!』(1970年〜1971年まで放送しよったフジテレビドラマ…テレビ愛媛ではしよらんかった)やNHK総合テレビの朝の連続テレビ小説『青春家族』…でドラマ出演もした。


全テレビ局を制覇して、家のローンも完済できた…


人生これからだと言うとき、逸見さんはスキルス性胃がんにリカンした。


それが1993年頃だった。


この頃、『クイズ世界はショーバイSHOW by』で渡辺正行さんと一緒にMCをしよった人が山城新伍さんであったり、古舘伊知郎さんや板東英二さん…の時があった。


他の番組でもMCの変更などがあったんを覚えている。


その時に、逸見さんの身になにかあったと感じた。


そして、1993年のクリスマスの日の正午過ぎに、逸見さんは天に召された。


その日の19時から南海放送でしよった特番で逸見さんが天に召されたことを知った。


その1週間前に、じいやん(父方の祖父)が急死した出来事があった。


じいやんが急死した翌週に逸見さんの訃報を聞いたけん、二重の衝撃を受けた…


アレ、ホンマに痛かった…


クリスマスに聞いた著名人の訃報と言えば、昭和平成の日本の歌謡界をクリエイトした音楽家先生の訃報であった。


その前に…


昨年(2020年)、太田裕美さん・庄野真代さん・たのきんトリオのマッチ近藤真彦さん・石井明美さん…の多くのヒット曲を作曲した作曲家の筒美京平先生が天に召されたニュースがものすごくつらかった…


『また会う日まで』『17歳』『わたしの彼は左きき』『木綿のハンカチーフ』『飛んでイスタンブール』『モンテカルロで乾杯』『東京ららばい』『スニーカーぶる~す』『ブルージーンズメモリー』『魅せられて』『ラ・マン』…


いろんな歌がたくさんあった。


カラオケのレパートリーも何曲かある。


印象に残っている曲と言えば、1979年に日本レコード大賞を受賞した歌で、宇崎竜童さんの奥様(阿木燿子先生)の作詞でジュディオングさんが歌った『魅せられて』…である。


『魅せられて』は、ワコールの下着のCMで流れていた歌であった。


(そのCMは、ユーチューブで見ればどのような映像であるかが分かります)


『東京ららばい』は、カラオケで泣きながら歌った歌である。


つらいとき、泣いているとき、気持ちがしんどい時などに聞いた歌がたくさんあったね…


話は戻って…


去年のクリスマスイブに作曲家の中村泰士先生が…クリスマスに作家で作詞家のなかにし礼先生が天に召されたニュースを聞いた。


お二方のコンビの歌は、細川たかしさんのデビュー曲『心のこり』と1982年のレコード大賞受賞曲『北酒場』が有名である。


中村泰士先生の代表曲…


『今は幸せかい』『喝采』『私の青い鳥』…


五木ひろしさんの歌で『そしてめぐりあい』は、カラオケで泣きながら歌った歌である。


なかにし礼先生の作詞の歌…


『今日でお別れ』『愛のさざなみ』『人形の家』『手紙』『石狩挽歌』『ホテル』『風の盆恋唄』…


トキオの歌で、JR東海のCMソングもなかにし礼さんの作詞である。


2020年に氷川きよしさんに楽曲提供した『母』がなかにしさんの遺作となった。


改めて最後に、昭和平成のテレビ界、そして時代をクリエイトした著名人のみなさまのご冥福をお祈りいたします(合掌)

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