富永一朗さーん(>_<)

2021年5月5日に、漫画家の富永一朗先生が天に召された。


享年、96歳でした。


1925年・京都市の生まれ…


1945年の終戦は、台湾で迎えた。


帰国後、九州北部の小学校の先生などを経て1951年に上京…漫画家デビューした。


代表作『チンコロ姐ちゃん』『ポンコツおやじ』など…


西予市城川町で1994年から始まったカマボコ板アートの全国コンテストで審査委員長を務めたので、四国とゆかりが深い人である。


ぼくが印象に残っているのは、1976年から1994年までテレビ愛媛で放送していた『お笑いマンガ道場』(中京テレビの制作で、本当は日テレ系の番組だった)に出演していた時であった。


共演者の鈴木義司先生(漫画家)とのディスリマンガが見ものであった。


鈴木先生が富永先生をボロクソにディスるマンガで応酬した。


すると、富永先生が鈴木先生を『土管で暮らすホームレス』などとディスって仕返しする。


たまに、MCの柏村武昭さん(元RCCアナウンサー)や車だん吉さん(漫画家兼タレント)をディスるマンガを描いていた。(あるいは、3人まとめてディスるマンガも目立った)


それは今でもおぼえている。


つぎに、テレビで有名になった漫画家先生をおぼえている範囲で取り上げてみる。


70年代頃に、一部の日テレ系で土曜日22時(今はドラマの時間帯)に放送されていた『ウイークエンダー』のMC、同じ頃にNHK総合テレビで水曜日19時30分に放送されていたクイズ番組『連想ゲーム』で男性軍キャプテンを務めた加藤芳郎先生(ひげの先生)


黄桜酒造のCMのお色気カッパのイラストを描いた小島功先生(小学館『ビッグコミックオリジナル』でかつて連載されていた『ヒゲとボイン』が有名)


他にも、いろんな先生方がテレビでご活躍していた。


あっ、そうだ…


1976年から1992年12月まで山陽放送(1992年10月から最終回までは開局したての伊予テレビで放送された)で土曜日19時30分から放送されていた大橋巨泉さん(途中で徳光和夫さんに変わった)がMCを務めた『クイズダービー』(ロート製薬1社提供)に回答者で出演していたはらたいら先生(高知県出身)がいた。


ぼくは『クイズダービー』をみていたからはらたいら先生がどんな様子であったのかをおぼえている。


真ん中の3枠の席に座っていた。


この時、左の2枠は南田洋子さんや長山藍子さんなどの女優さんの席で、右の4枠は竹下景子さんの席だった。


はらたいら先生は、その間の席であった…と言うこと…


プレーヤーは、はらたいら先生か竹下景子さんを中心にかけていた…


『せーのドン』で正解続出だった(たまに間違うこともある)


はらたいら先生は、終始無表情だった…


2006年に、病気で天に召された…


あと、日本のテレビアニメーションになったあの作品の漫画家先生も忘れてはならない…


赤塚不二夫先生・手塚治虫先生・藤子不二雄先生・長谷川町子先生・さくらももこ先生…


売れへん時に、歯を食いしばって『オレはあきらめない!!』『なにくそ!!まけてたまるか!!』と必死に言い聞かせて、描いて描いて描きまくった…


売れへん時から支えてくださったみなさまのご支援・ご声援・ごべんたつあって、マンガでメシが食べられるようになった…


…と言うことだ。


話を戻す…


富永一朗先生は、2021年5月5日にロウスイで天に召された…


天国にいる鈴木義司先生と川島なお美さん(女優さん・かつてお笑いマンガ道場でレギュラー出演していた)と3人で、どんな話をしているだろうか…


あのディスリマンガを二度と見ることができないと思うとさびしい…

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