挿話 夢の中のリディア
これはリディアが来人に保護され、初めて来人と夜を明かす夜まで遡る。
今彼女は来人の隣で眠っている……ふりをしていた。
来人には寒いのが苦手だとは言ったが、その夜はそこまで冷える日ではなかった。
なのに彼女は来人と同じ床で眠っている。
(う、うわぁ。す、すごく近い……。それにいい匂い……。でもどこかで嗅いだことがある匂い……)
リディアは眠ったふりをしつつ、来人の匂いを嗅いで興奮している。
彼女は匂いフェチだった。
まぁ嗜好というものは人それぞれなので別に構わないだろう。
だがこの世界の住人たるリディアが何故ここまで来人に興味を持っているのか?
それは来人が異邦人……つまり転移者だからだ。
この世界には太古の昔から転移者が訪れている。
その中には神の御業とも呼べる力を使い、世界に恩恵をもたらしたものがいた。
その者のことを吟遊詩人は歌い、伝承として語り継がれ、そしてついにはこの世界でのラノベの主人公として描かれることになる。
種族、男女問わず、若い者はその小説に夢中になった。
もちろんリディアもその手の小説は何冊も持っていた。
そして奇跡と呼べる確率を勝ち取り、人生の中で一度も男性とお付き合い……いや、手すら握ったことのないリディアの隣に来人が寝ているのだ。
興奮するなというのが無理だろう。
リディアは来人にとってはとても美しい女性だ。
彼女はエルフでありながら、種族特有の薄い胸ではなく、大きな胸をしている。
おっぱいは正義だと意味の分からないポリシーを持つ来人にとってはリディアは女神のような存在だ。
しかし来人はリディアに手を出さなかった。
いや出せなかった。
据え膳食わねばという諺があれど、彼は大和男子であり、きちんとけじめ……つまりお付き合いに至る合意を得てからでないと先には進めない男なのである。
若干めんどくさい男なのだ。
リディアはそんな来人の性格など知らずに「手を出して欲しい」なんて不埒なことを思いつつ、匂いフェチなので首に鼻を押し付けてフガフガと来人の匂いを嗅いでいた。
(いい匂い……。安心出来る匂……い……)
来人は結局リディアに手を出すことはなく、彼女は眠りに落ちていった。
その夜、彼女は夢を見る。
いや、それは過去の記憶なのかもしれない。
幼い頃のリディアが夢の中に現れる。
彼女は泣きながら父親に問う。
『ねぇ、お父さん。なんで私にはお友達が出来ないの?』
『リディア……』
父は彼女の質問に答えることは出来ずにただリディアを抱きしめる。
しかし父は口を閉ざすがその答えを知っていたのだ。
12歳になったばかりのリディアだが、エルフの中では考えられないほど大きな胸を持っていた。
この世界のエルフの美の基準は胸が小さい女性ほど美しい。
つまりリディアは子供の時から醜女として苛められていたのだ。
『大丈夫だ、リディア。僕が君を守ってみせる』
『お父さん……』
母のいないリディアにとって父は全てだった。
彼女は友達こそ出来なかったが、父のおかげで真っ直ぐに育つ。
しかし平和な時は長くは続かない。
リディアは夢の続きを見る。
父との別れ……いや、その最後の姿を。
――ドゴォッ! ゴォォォッ……
『ウルルォォイッ……』
『ウバァァァァッ……』
『リディア! 隠れているんだ!』
家の外から聞こえてくるのは異形という化物の声。
彼女の家は王都を守る分厚い壁の内側にあったが、とうとう壁は破られ異形の侵入を許してしまう。
父は娘を守るために武器を取り、勇敢にも異形に立ち向かう。
王都を守る兵士と共に異形を突き、切り裂き、打ち砕いていった。
しかし次々に王都に襲いかかる大波のような異形を前に、リディアの父は……。
リディアは夜が明けるまで部屋の片隅で震えることしか出来なかった。
そして外から聞こえてくる異形の声、住人の悲鳴が聞こえなくなって。
リディアは初めて外の様子を見に行く。
そして見てしまった。
異形の手によって引き裂かれた父の姿を。
『いやぁぁぁぁっ!? お父さーん!』
「お父さーん!」
「うわぁ!? ど、どうした!?」
夢から覚めたリディアは父を呼んでいた。
来人は悪夢を見て涙を流すリディアを抱きしめ、背中を擦る。
「怖い夢を見たんだな……。大丈夫だ、リディア。俺が守ってやるから……」
「ひっ……。ひっ……。グスッ……」
来人に抱きしめられ、優しく背を撫でてもらい、リディアは次第と落ち着いていく。
リディアは答えなかったが、父を想い来人の胸で泣いた。
そこで気が付いた。
(ライトさんの匂い……。お父さんと同じだ……)
来人から香る匂いは父に抱きしめてもらった時に嗅いだ匂いだった。
そして来人はリディアの父と同じことを言った。
リディアを守ると。
まぁ来人はリディアを落ち着かせるために咄嗟に言っただけなのだが、リディアの感情を決壊させるには充分な威力だった。
来人は眠すぎて自分の言ったことを覚えていなかったが。
リディアはこの時点で来人が好きになってしまった。
ミーハーな気持ちではなく、来人が異邦人としてではなく、小説の主人公のような存在でもなく、ただ父と同じことを言ってくれた二人目の男として。
そしてリディアは自我を取り戻してから初めて心安らかに眠ることが出来た。
そして眠る前に思ったことがある。
(また一緒に寝てくれないかな……)
来人の苦労も知らずにまた一緒に寝るつもりだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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