第191話 シャニと過ごす一日

 ――ゴトッ


 何かの音を聞いて俺は目を覚ます。

 まが夜が明けたくらいの時間だった。

 昨日はアーニャと一日過ごしたんだったよな。

 ベッドを出てリビングに行くとリリが一人でコーヒーを飲んでいた。


「おはよ。早いね」

「ううん、これから寝るところなの」


 今から? つまり夜通し起きてたってことか?

 何故寝ていないのか聞いてみると。


「シャニ姉がね、だいぶ弱ってるの。寝てないし食べてない」


 え? 昨日はみんなで夕食を食べたぞ。

 いつも通りしっかり食べてたと思うのだが。


 だがリリは悲しそうな顔をして語りだした。


「あのね……。実は食べてもすぐに戻しちゃうの。本当はこの三日間、水しか飲めてないの」

「そうだったのか……。今シャニは?」


「さっき眠ったよ。一人では眠れないみたいでね。シャニ姉、このままじゃ死んじゃうよ……」


 そこまで思い詰めていたとは。

 俺は駄目な旦那だな。シャニの変化に気付けないでいたなんて。


「リリはもう休んでくれ。後は俺が何とかするから」

「でも……」


 リリは心配そうにしていた。

 だがこれ以上彼女に無理はさせられない。

 このままじゃ先にリリが倒れてしまうだろうから。


 リリを無理やり部屋に連れていき、ベッドに寝かせる。

 疲れてたんだろうな。

 すぐに寝息を立て始めた。


「お休み、リリ……」


 彼女の頬にキスをしてからシャニの部屋に向かう。

 起こしては悪いと思い、ノックをせず部屋に入る。


「おはようございます」

「シャニ……。起きてたのか?」


「いいえ、少しだけ寝ました」


 とは言うがシャニの頬は昨日より痩けており、明らかに生気が無い。

 睡眠不足なのだろう。目の下には大きな隈が。


 俺はベッドに腰をかけシャニと視線を合わせる。


「ちゃんと寝なくちゃ駄目だぞ。美人が台無しだ」

「お世辞は結構です」


 ――パタパタッ……


 力無く尻尾を振るシャニ。

 だがすぐに尻尾は動かなくなり、大きな獣耳をペタンと伏せる。

 元気が無いな……。

 今日はシャニと一日過ごそうと思ったが止めておいた方がいいか?


 いや、駄目だな。

 今彼女の心を救ってやらないと。

 例えジュンを助けたとしても、帰ってくる頃にはシャニは倒れてしまうだろう。

 それどころか、このまま食べられない状況が続いたら……。


「シャニ、立てるか?」

「はい。問題ありません」


 嘘つけ、足元がフラフラしてるじゃないか。

 俺はシャニに肩を貸しつつ外に向かう。

 あまり遠出は出来ないな。


 なら向かうのはあそこしかないだろう。


「ライト殿、どこに行くのですか?」

「ラベレ村にね。すぐに着くからさ。そうだ、ちょっと買い物していこうか」


 ラベレ村に繋がるポータルに行く前にマーケットに向かう。

 ちょうど焼きたてのパンが売っていたので買っていくことにした。

 今のシャニはあんまり食べられないだろうから、俺とシャニの分、合わせて四つ購入しておく。

 支払いを済ませ、俺達はポータルを潜る。

 着いた先は……。


『モー』『メェー』

「みんな、元気にしてましたか?」


 牛や羊が寄ってくる。ここは俺達が運営する牧場だ。

 シャニに懐いているのだろう。

 大きな頭を擦り寄せてくる。


「ははは、人気者だな」

「そうでもありません」


 とは言うがシャニの尻尾は嬉しそうに動いている。

 やはりここに来て正解だったな。

 今はお休みしているが、牧畜はシャニが始めたことなのだ。

 

 シャニに出会った頃、俺は彼女にどんな仕事をしてみたいか聞いたんだ。

 そしたらシャニは今後のためにも家畜を育てようって提案してくれてね。

 今では気軽に牛乳は飲めるし、羊毛も採れる。

 卵も毎日食べられるし、牛丼やジンギスカンも味わえる。

 全部シャニのおかげなんだ。


 牛や羊の頭を撫でるシャニに声をかける。


「シャニ、ありがとな」


 そう言うとシャニはいつも通りの無表情だった。


「お礼を言うのはこちらです。ライト殿は私が望んだものを全て与えてくれました」

「俺が? それは違うよ。シャニは自分で見つけられたんだ。ほら、久しぶりにどう?」


 俺は鞄から笛を取り出す。

 これがシャニをここに連れてきた理由なんだ。

 この牧場はシャニとの大切な思い出が詰まっている場所なんだ。 


 以前ここでシャニは俺の笛に合わせて歌ってくれたっけな。


 俺は笛を吹き始める。 

 曲はもちろんアメージンググレイスだ。

 

 ――ラーラー♪ ララララー♪ ラーラー♪ ラララー♪


【驚くべき恵みよ。なんと甘美な響きなのだろう。

 私のような悲惨な者を救ってくださった。

 かつては迷ったが今は見つけられた。

 かつては盲目だったが今は見える】


 この歌はまるでシャニの人生を歌っているようだ。

 他とは違う容姿であり、特殊な体をしているが故に孤独な人生を歩んできた。

 暗殺部隊を率いて自分の命と引き換えに異形に戦いを挑み、そして敗れた。

 全てを失ったシャニ。しかし俺と出会ったことでシャニは見つけられたんだったよな。


 歌は終わりに近づく。

 始めは元気の無い歌声だったが、今は違う。

 まるで生きることを、その喜びを歌っているかのような美しく、大きな歌声だ。


 ――ラーラー♪ ララララー……♪


 歌い終えるとシャニは俺と向かい合う。

 

「お腹が空きました」

「ぷっ。あははは! もっとロマンチックなことを言うと思ったよ!」


 でもそれでいいさ。

 俺は敷布を敷いて、買ってきたパンを一緒に食べることにした。

 シャニはすっかり食欲が戻ったようで、買ってきたパンはほとんど全部食べられてしまった。


「あ……。申し訳ありません。ライト殿の分が無くなってしまいました」

「ははは、いいさ。シャニ、気持ち悪くないか?」


 ジュンを拐われたショックで食べ物を受け付けなくなってしまったんだ。

 三日も水しか飲んでないって言ってたからな。

 ちょっと心配なんだ。


「問題ありません。ライト殿の気持ちが分かりましたから。本当は私もついていきたい。ライト殿を守り、そして共にジュンを取り戻したい。でも駄目なのでしょう?」

「あぁ。俺は一人で北に向かう。約束するよ。ジュンは無傷で取り返す。だから俺達の帰りを待っててくれないか?」


「はい……」


 ――ポロッ


 シャニは表情は変えなかったが、その目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。

 俺はシャニの涙を拭くが、絶え間なく涙が溢れてくる。


「ふふ、やっぱり美人が台無しだ」

「お世辞は……。結構です……」


 シャニは泣きながらも尻尾を振っている。

 彼女はもう大丈夫だ。

 

 シャニが泣き止んだ後、俺達は一緒に家畜の世話をしたり、また歌を歌ったりして楽しい時間を過ごす。

 

 だが楽しい時間ってのはすぐに過ぎるんだよな。 

 もう夕方になっていた。

 そろそろ帰ろうかと思ったが……。


「ライト殿、あそこに行きませんか?」


 あそこって? 

 シャニが視線を向けるのは牧夫達のために建てた休憩室だ。

 あはは、あそこってジュンが出来ちゃった時に使った小屋だよな。


「体調は?」

「問題ありません」


 ならいいかな。

 もう夕方ということもあり、中には誰もいなかった。

 小屋にはベッドもある。

 俺は小屋に入るや否やシャニを抱きしめてキスをする。

 その後は……。まぁいつも通りってことさ。

 しっかりと愛し合った後、シャニは俺の胸を枕にしている。

 

「ライト殿……。ジュンのことを頼みます。もしジュン、そしてライト殿に万が一のことがあれば……」

「その心配は無用だ。シャニは約束してくれたよな? 死ぬ時はどこで死ぬんだっけ?」


「あなたの胸に抱かれて」

「そういうこと。俺は生きて帰ってくる。だから何も心配するな」


「ライト殿……」

「泣くなって」


 シャニが泣き止んだ後、俺達は家に戻る。

 リディア達は心配してたみたいだけど、シャニの様子を見たら安心したようだ。


 いつも通りみんなでご飯を食べて。

 いつも通りみんなでお風呂に入る。

 

 さっきもしたけど、今夜はシャニと眠ることにした。


 北に向かう時が近づいてきている。

 絶対に子供達を取り戻す。

 そして帰ってくるんだ。

 愛しい妻達が待ってるこの家にな。


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