第186話 別れ
「うが……」
――ドサッ
拳聖ラカンは俺のアッパーを食らいダウンした。
俺は格闘においては素人だが、手に残る感触で分かった。
野球選手がバットに残る感触でホームランか凡打か分かるように、ボクサーもダウンさせられる一撃だったか残った感触で分かるそうな。
ラカンはもう立ち上がることは出来ないだろう。
この勝負……賢性来人の勝ちだな!
「見事だ。すまんがライトよ。縄を解いてくれんか?」
「あぁ、待たせて悪かったな」
セタはまだ縛られたままだ。
突然のことに驚いたが、何故ここにセタのかつての恋人であるラカンがいたのか?
彼女が言うには天幕の中には既にラカンがいたそうだ。
他にも将軍クラスの兵士もいたが、俺が心の壁を消去した時点でセタ以外の者を一瞬で気絶させたのだとか。
「雰囲気が変わったことを察したのだろう。生きてはいるが中にヨハンとロニもいる。後で介抱してやれ」
チラッと天幕の中を見ると、確かに兵士とヨハン達が大変なことになっていた。
とりあえず死人は出ていないようだ。
これで本当に第一次アシカ調教作戦は完了……いや、まだだな。
ラカンは言った。俺との力比べの勝敗はどちらかが死んだ時に決めればいいと。
チラッと後ろを振り向くとセタがこちらを見ている。
冷静を装っているが、とても悲しそうな目をしていた。
俺が何をしようとしているのか分かってるんだろうな。
「いいのか?」
「やってくれ……」
セタは泣いていた。
そりゃそうだよな。せっかく久しぶりに出会えたかつての恋人の死をこれから見なくてはいけないんだ。
しかも二人はお互いを嫌いになって別れたわけではない。
セタだって西にある村にかつての恋人の名前をつけるくらいなんだ。
まだ好きに決まっている。
ラカンには心の壁が無い。
俺の敵ではないが武人故に敵意もなく、遠慮無く俺を攻撃出来る。
彼の存在は俺達の障害になり得るだろう。
ならば、やることは一つ!
――ザッ ガバッ
「ん……。んあ?」
「目が覚めた? ほら、こっち来て」
俺はラカンを抱き起こし、肩を貸しつつセタの前に向かう。
「お、おい、何をする気だ」
「まぁまぁ、いいからいいから」
特に説明をするわけでもなくラカンを手を離す。
セタも何が起きたのか分からない感じで俺達を見つめていた。
「もう戦う必要はないだろ? 久しぶりに彼女に会ったんじゃん。再会を楽しむのと、それとセタに謝るべきだと思ってね」
「待て、俺はまだ生きてる。勝負は……」
どちらかが死なない限り勝敗はつかないって言いたいんだろうな。
ならこんなのはどうだ?
「あんたが気絶してる間に俺はあんたを何回殺せた? 生殺与奪が俺の手にある限りはあんたの命を自由に出来たってわけだよ。それって俺の勝ちであり、あんたは死んだってことになるよな?」
「…………」
むふふ、ぐうの音も出ないだろ。
命は奪わずとも相手は殺せる。
心を折ることによってね。
だからもう戦う必要は無い。
そう伝えるとラカンからは殺気が消え去ったように思えた。
「ラカン……」
「…………」
二人は突然のことに言葉を失っている。
うーん、セタも割りと開放的な性格をしているのに、どうしていいのか分からないみたいだ。
全く世話の焼ける二人だぜ。
「ラカン、まずはセタに謝ってくれ。勝ったのは俺だ。あんたに断る権利はないよな?」
特にそんな約束はしていないけどな。
しかしこういうのは言ったもん勝ちだ。
ラカンもセタも、もう老齢という歳だろうが、言葉に詰まっている。
しかしラカンは諦めたように……。
「く、くそ。分かったよ。あ、あの……。殴って悪かった」
「あぁ……。しかし手加減はしてくれたのだろう? ふふ、お前に叩かれるのは二回目だったな」
むむ? 二回目だと?
ラカンめ、女性に手を上げるなどやはり許せんな。
しかし話を聞いてみるとラカンは魔王ハーンを倒した後、さらなる強者を求めセタと別れることにしたそうだ。
行かせないとセタはラカンを止めたが、それを振り切るようにラカンはセタを叩いてしまったと。
なんか寛一お宮みたいな思い出だな。
「あ、あの時は仕方なかったんだ……。お前があんなに止めるなんてよ」
「ははは、惚れた男を離したくなくてな。ラカン、会いたかったぞ……」
セタはラカンの胸に顔を埋める。
ラカンは困ったような顔をしつつセタを抱きしめた。
いいねー、老いらくの恋が実った瞬間か。
俺は少しだけセタ達を二人にしてあげることにした。
でも二人は天幕に入っていってから、なんか色っぽい声が聞こえてきたんですけど。
うん、まぁいいか。
◇◆◇
少し時間をおいてから天幕に向かう。
中ではセタとラカンは恥ずかしそうに笑いながら昔話をしていた。
「お前もずいぶん歳をとったな。若い頃はもっとべっぴんさんだったのによ、今はすっかりババァだ」
「ふふ、それはお前も同じことだろう?」
楽しそうだな。邪魔して悪いが俺からも聞いておきたいことがある。
天幕に入り、中にある椅子に腰をかける。
「すまんが話していいか?」
「いいぜ。お前は俺に勝ったんだ。俺はもう死んだも同然だからな。なんでも話してやるぜ」
ラカンからはすっかり殺気が消え失せている。
言葉遣いは荒いが、今の彼は信用出来ると思った。
「あんたはセタとヨーゼフって奴の共通の知り合いだ。初めからヨーゼフに協力してたのか?」
「いや、アーネンエルベできな臭い噂が立っててな。俺は街を離れて暮らしてたんだが面白くなりそうだからヨーゼフを訪ねてみたんだ。でもあいつ、セタが生きてるだなんて一言を言ってなかったぜ」
彼が言うにはラカンが望む強者が南の大陸にいるということだけ伝えていたらしい。
興味の出たラカンはそこでヨーゼフに協力を申し出たと。
強者ってのが俺なのがむず痒いが、俺を見つけたら真っ先に戦うことを約束し、ヨーゼフに協力したんだとか。
「しかしまさか俺を倒す奴がいるとはなぁ。ふふ、世の中にはまだ俺の知らないことが多いってことだ」
「全く、お前は変わらんな……」
とセタは呆れている。
――ガタッ
ん? 話は終わっていないのにラカンが立ち上がる。
そしてゆっくり俺の前に立って……。
な、なんだよ。やっぱり今から戦うとか言うなよ?
「それじゃ俺は行くよ。楽しかったぜ、賢性ライト。もっとお前に出会えるのが早かったら良かったのにな」
「え? 行くってどこに?」
「そうだぞ、ラカン。去るにしてもいきなり過ぎだ。あ、あのだな……。もし良かったら私達と一緒に来ないか?」
とセタは俺が言いたいことを言ってくれた。
彼のような強者が仲間になってくれたら心強い。
ラカンは元々俺を敵として認識をしていなかった。
ただ強い奴と戦いたいだけだったんだ。
だがラカンはそのまま天幕の外に向かう。
そしてこちらを振り向いて。
「すまねえ。実はな、俺は病気でな。もう長くねえんだ」
「え? ラカン、今何と言ったのだ?」
「何度も言わせんじゃねえよ。もうすぐ死ぬって言ったんだよ。これはもう治せない病気でな。内臓が機能しなくなるんだ。気功を使って何とか持ちこたえてたが、もう限界でな」
マジかよ。さっきまであんなに激しい戦いを繰り広げたラカンが死ぬだって?
俺も信じられなかった。
「そんな顔するな。寿命だよ、寿命。好きだった女に弱っていく姿は見せられねえ。だから……達者でな」
――バサッ
ラカンは天幕を出ていった。
最後に外から彼の声が聞こえる。
「死ぬ前の置き土産だ。東のアシカは俺が何とかしてやる。お前達は北から来るヨーゼフ達にだけ気をつけろ。最後にもう一つだけ教えてやる。奴らはやり方を選ばない。多分無茶なことしてきやがるぜ。それとな……。多分ドーラとギュスターヴを出してきやがるぜ。気を付けるんだな」
「ラカン! 行くな!」
セタは天幕の外にいるラカンを追うが、すでにその姿は無かった。
「ラカン……」
彼女は膝をついて涙を流す。
俺は泣き崩れるセタの肩を抱く。
しかし俺は気になっていた。
ラカンの最後の言葉。
ドーラとギュスターヴ。
どこかで聞いたことがあるような……。
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