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階段を駆け上がりながら、背中で眠っている空を揺するけれど、起きる様子はなかった。仕方なくそのままミーティングルームまで背負ったまま走っていくが、すれ違う人々皆が苦笑しているのには、こっちが笑いたかった。
ポケットから指輪型の端末を取り出して起動する。掌の上に展開する投影型ディスプレイには午後八時二十分と表示される。
「あと十分か、ここまでくれば間に合うだろうが」
遅刻ギリギリは嫌だなあ、と本当に嫌そうに漏らしたのだった。というか、彼が部隊長ミーティングに参加するようになってから一度だけあったことだ。
その時は……
「うおおおおおおお!」
廊下を疾走していた原理は急ブレーキをかけ前を歩く制服姿の女性に衝突するのを回避した。
それに気づいた、というか気付かないわけがないそのアクションに振り向いた女性は、驚いた風もなく原理を見据える。
怜悧な印象を与える琥珀色の眼と、清麗な顔立ち。そこに刻まれた左頬の傷痕は、彼女のイメージを強制的に「恐い」に固定してしまう。
「忌方君、何をしているの? まさか、遅刻しそうだったのかしら」
「……いやあ、まあ。そうなんだけど」
原理の上司、四方杏樹(しほう・あんじゅ)は呆れたように息をついた。その視線は無機質ではあれど、その奥には感情が圧縮されている。二度目の遅刻を回避する行動は認めているようだった。
「まあ、君の居場所はモニターしていたし、そうなるとは思っていたけれどね」
ほら、と杏樹が原理に制服を投げて寄越す。彼が所属する第五部隊の制服をどこで用意したのかがよく解らないけれど。
「着ておきなさい。私のだけれどサイズは合っているでしょう?」
「……おう、悪いな」
別に。と、素っ気なく返してくる。特にどうとも思っていないようだった。しかし、空の分はどうするのかと思っていたけれど、それを問うことはなかった。
空を起こして立たせる。杏樹と同じ二十歳のくせに子供っぽいところのある空に対して、どうしてこの人が隊長になっているのかがよくわからなかった。適性の問題なのだろうけれど、そこは上層部の判断だ。
杏樹の上着を羽織って、ミーティングルームまで歩いていく。ボトムスは元から制服だったので問題はないけれど。
「もしかして、待ってたのか?」
「待たないと思っていたの?」
質問に質問で返された。杏樹に言わせれば当たり前だろうということらしい。
原理にも解っていたことではあったけれど。
「本当にアンは原理に甘いねー。どこまで好いているんだか痛い!」
額の真ん中を指で弾かれて、空が仰け反った。軽く弾いただけのことでも、十分に痛いものだと知っていた。
「どうでもいいでしょ。行くわよ」
不機嫌そうに背を向けて、さっさと進んでしまう。原理がそれを追って扉をくぐると、全部隊の隊長クラスの視線が原理たちに向いていた。
(うう、やっぱり苦手だ、この雰囲気)
畏縮はしないものの、慣れているとは言い難い。三年前にこの場所に入ってからこっち、未だにこの場所では普段通りには行動できないでいた。
歩いていって自分の席に着く。空とは離れている。
普段着のままで平然とこの場所にいる胆力というか度胸は見習うべきではないだろう。
第五部隊副隊長。
それが原理に付された役職名だった。
彼はまだ十六歳の少年だ。それでいて戦闘部隊の隊長クラスに居ることが、本人をしても不思議で仕方ない。理由は、訊いても教えられなかった。
本当になんなんだろうと首を捻っても、判るわけもなかった。
隣に座る隊長、杏樹をちらりと見ても、全く表情を崩さずにいる。何かを話そうとすることは出来そうになかった。
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