スクリュードライバー
旦開野
第1話
「フラれた」
彼から送られてきたメッセージはとても短いものだった。俺は仕事を終え、冷蔵庫から取り出した缶ビール片手に、スマートスピーカーから流れてくるニュースに耳を傾けていたところだ。時刻は午後9時。せっかく、くつろいでいたのにとため息をつきながらも
「今どこにいる? 」
と返す。相手の返信を待ちながら、俺は来ていたパジャマを脱ぎ捨て、セーターとスキニーパンツを履き、コートを用意する。絵文字も付けず、ただ一言、意気消沈しているであろうメッセージは初めてではない。こういう時、だいたいあいつの気が済むまで呑みに付き合わせれる。明日も仕事なんだけどとも思うのだが、あいつの呼び出しは断れない。外へ出る支度をしていると、またスマホが鳴った。
「いつものバー」
「行くよ」
メッセージを返し、俺は玄関の扉を開けた。空は数少ないながらも星が見え、天気が悪ければ雪になるであろう寒さであった。
新宿の地下にあるバーは彼の行きつけのお店だ。階段を降りて、お店のドアを開ける。薄暗い店内で彼を見つけるのは少々手こずるかと思ったが、そんなことはなかった。金髪の彼は、バーカウンターで一人、うなだれていた。
「今度はどんな失恋をしたんだ色男」
彼の隣に座りながら、俺は声をかける。
「拓哉! 来てくれると信じてたよ! 」
康太は顔を上げ、俺に気がつくと縋り付いてきた。思ったより元気そうで安心した。俺はマスターにボウモアをロックで注文する。
「フラれたって例の女か? 」
最近俺は康太から一方的に恋愛相談をされていた。相手は最近この店に通い始めた、黒髪が綺麗で、白いカメリアのピアスがよく似合う女性だそうだ。会うのはもちろんこのバーのみ。何度も今お店にいるから彼女を見に来てほしい、何だったら声をかけたいと誘われたのだか、俺はそれを全て断った。康太が惚れた女など、特に興味がなかった。
「何でフラれたなんて言ってるんだ? まだろくに話かけてもいないだろう」
「前にカクテル言葉ってやつを拓哉教えてくれたじゃん?」
康太が話し出す。彼が彼女に会う前、一度ここのバーに2人で呑みに来た。その時の俺は気分が良くて、カクテルが出されるたびにそれにつけられている言葉を彼に聞かせていた。俺一人が上機嫌にただうだうだと喋っていたとばかり思っていたが、案外話を聞いてくれていて、覚えてくれていたことが少し嬉しかった。
「それを思い出して、俺、マスターに頼んで彼女にカクテルをプレゼントしてもらって」
「何頼んだの? 」
あの時教えたのは1つだけじゃなかったはずだ。カシスソーダ、エンジェルキッス、ブルーラグーン……
「スクリュードライバー」
ウォッカとオレンジジュースを混ぜたとてもシンプルで飲みやすいカクテル。口当たりがいい割にアルコール度数が高く、レディキラーなんて呼ばれている。カクテル言葉は「あなたに心を奪われた」
「……で? その後どうなったんだ? 」
「どうもこうもないよ! 彼女俺からのスクリュードライバーを一口も飲まなかったんだ! それだけじゃなく、カクテルが来てすぐに席を立っちゃって、 流石の俺もショックだよ……」
彼は一息で言うと、再び頭を垂れてしまった。
「まぁ、そう落ち込むなって。カクテル言葉なんて誰しもが知っているわけじゃないんだから。席を立ったのも何か予定があったからかもしれないし」
マスターからグラスを受け取り、口に運びながら俺は言う。含んだ酒は心なしかいつもより美味しく感じた。
「それにしたって彼女、席を立つ時、俺のほう睨んでたんだよ? 絶対嫌われたでしょ、あれは」
「お前の思い込みじゃない? 」
「いいや。あれは思い込みじゃない。確かに彼女は俺を睨んでた。ね? マスターも見てたでしょ? 」
急に話を振られてしまったマスターは、どう答えたらいいのか、困惑している様子だった。俺はマスターを巻き込むなと、康太を諭した。
「なー。今夜は一杯奢ってくれよ。失恋で心がズタズタになっている親友にさ。いいだろう? 」
康太はおもちゃ屋で駄々をこねている小学生のように言った。全く、落ち込んでいる幼馴染ほど、面倒臭いものはない。
「しょうがねぇな」
俺も大概、幼馴染に甘い。マスターを呼び、彼に聞こえないように1杯オーダーした。
「え、俺に選ばせてくれないの? 」
「贅沢言うな。奢ってやるだけありがたいと思え」
しばらくすると、マスターが1杯のグラスを持って康太の前へやってきた。マスターが手にしていたのは俺が彼にと注文したスクリュードライバーだ。
「え……なんでお前、俺の傷えぐるようなことするの? 」
康太は真顔で言った。
「お前、飲まずに彼女に出したろ? 味くらい確かめてから人にやれよ」
誤魔化した言い訳に、彼は納得がいっていない様子だったが、それでもグラスを口にしてくれるのは彼の優しさだろう。
「何これうま。ていうか本当にお酒? めちゃくちゃ飲みやすい! 」
子供のように無邪気にはしゃぐ彼を見て
「相変わらず鈍感だな……」
とつぶやいてみる。もちろん彼の耳には届かないであろうほどの小さな声でだ。
お前にカクテル言葉を教えたのは、お前の口説きスキルを上げるためじゃない。受け取る相手にちゃんと知っていて欲しかったからだ。
今だって別にお前に嫌がらせしたくてスクリュードライバーを頼んだわけじゃない。これがお前に対する、出会ってからの俺の気持ちだ。
ため息をつきながらまたウイスキーを口にする。鈍感な彼にもちょっとムカつくし、いくらでもチャンスはあったはずなのに、いまだに自分の気持ちを伝えられないでいる俺自身にもイライラする。
「マスター、同じやつおかわり! ほら、お前ももっと飲めよ。俺の気はこれくらいじゃ治らないぞ! 」
こっちの気も知らずに、康太はなんだか楽しそうだ。そんな彼の隣に居られるのは嬉しくもあるが、複雑な気分だ。
結局、俺たち2人はお店の閉店時間まで飲んでいた。といってもお酒の弱い康太は割と序盤で潰れてしまっていたが。
支払いを済ませ、彼を担ぎ、店を出る。たまたま通りかかったタクシーを拾い、彼を後部座席ぶち込む。運転手に行き先を伝え、運転手は車を発進させた。
空を見てみると地平線のあたりが少し明るくなっている。星々の輝きは少しばかり弱くなっているが、彼誰星はどの星よりも強く光り輝いていた。
スクリュードライバー 旦開野 @asaakeno73
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