第7話 ご近所さんから話を聞きました
ふたりが寺を出た時点で、11時を回っていた。
まだ少し早い時間だったが、帰り道の喫茶店で昼食を済ませ、いったん石岡家に戻る。
「では、聞き込みにでかけようか」
自動車がガレージに停まるなり、美子はそう言った。
過去帳からはなにも読み取れなかったので、今度は生き証人から話を聞こうということになった。
「まだ、諦めていないんですか?」
「当たり前だ。せっかくここまできたのだから、成果を得られないにしてもできることはやっておきたいからな」
「はぁ」
「というわけで、当時のこと……イネさんと藤吉さんとの馴れ初めを知っていそうな人に話を聞きたいのだが?」
「あー、だったら、源さんかなぁ」
賢人が思い浮かべたのは、斜向かいに住む、祖父藤吉と同年代の
彼はたしか、生前の祖父とそこそこ仲がよかったはずだ。
姓は賢人と同じ石岡である。
このあたりは石岡姓が多い。
田舎ではよくあることだ。
「石岡源治……たしか過去帳に名前があったな。藤吉さんとは
「へえ、じいちゃんと再従兄弟だったんだ、知らなかったな……って、過去帳に名前が載ってるってことは……?」
「うむ、すでにお亡くなりだな。5年ほど前の日付だったか」
「そうなんですね……って、よく覚えてますね」
「記憶力はいいほうだからな」
なんでもないことのようにいう美子に感心しつつ、賢人は頭をひねる。
祖父母と仲のよかった人は、ほとんどが故人となっているか、施設に入ってこの町にはいないか、という状況だ。
「源治さん、ご結婚は?」
「してましたよ」
「奧さんの名前は、なかったな」
「ああ、斜めのばあちゃんなら、まだ元気かも」
「斜めのばあちゃん?」
「いや、ほら、斜向かいの家のおばあちゃんだから」
「……安易だな」
「そういうもんですよ」
ちなみに賢人が源治を源さんと呼ぶのは、祖父が『源』と呼び捨てに、祖母が『源さん』と呼んでいたからだ。
そしてその夫人は『源のカミさん』あるいは『源さんの奧さん』と呼ばれていたので、賢人は名前を知らないのである。
田舎ではよくあることだ。
「とりあえず、行ってみましょうか」
賢人はそう言って、運転席のドアに手をかける。
「アポは?」
「いらないですよ、田舎なんで」
「そういうものか」
自動車を降りた2人は、歩いて1分とかからない斜向かいの家を訪れた。
ドアチャイムを押すと、ほどなく人がやってきて玄関の戸が開いた。
現れたのは、60代と思しき女性だった。
「あら、賢人くんじゃない。久しぶりね。随分立派になって……」
「どうも、ご無沙汰しています」
出迎えてくれたのは源治の娘だった。
賢人は例のごとく彼女を『斜めのおばちゃん』と呼んでおり、名前は知らない。
「あっ、そっちの人がお嫁さん?」
「「えっ!?」」
源治の娘の言葉に、賢人と美子のふたりが驚きの声をあげる。
「結婚するのよね? おめでとう」
「ああ、えっと……どうも」
美子が寺で賢人の婚約者を名乗って2時間足らず。 すでにこのあたりにまでその話が伝わっているようである。
どのような経緯でそうなったのかは、怖いので確認しないことにした。
「それで、賢人くんはこっちに帰ってきてるのよね? 新しい仕事は決まった? 奧さんもこっちに住むのかしら? 嬉しいわぁ、若い人が増えてくれたら」
「いや、そのちょっと……」
「あの、すみませんが」
早口でまくし立てられた賢人があたふたしているところに、美子が冷静な口調で割って入る。
「今回は仕事の都合でこちらに来たついでに、少し挨拶などをしただけですので、今後のことはまだはっきりと決まっていないのですよ」
「あら、そうなの? じゃあ前向きに考えてね。ここ、いいところだから」
「あはは、ええ、善処します」
そのあとさらにしばらく世間話が続いたところで、賢人は源治の妻について尋ねた。
「おばあちゃん? ちょうど帰ってきてるから呼んでくるわね」
源治の妻は、どうやら普段は施設で暮らしているらしいが、ときおりこうして帰宅しているらしい。
あと、彼女は源治の妻をおばあちゃんと呼んだが、正しくは母である。
孫がいる世帯だと、そのあたりの呼び方はどうしても曖昧になってしまうのだ。
ほどなく、娘の押す車椅子に座った老女が現れた。
源治の妻は、車椅子に腰掛けたまま、うつらうつらとしていた。
「おばあちゃん、ごぶさたしてます」
賢人が声をかけると、彼女は軽く顔をあげ、ほとんど閉じられていたまぶたを半分ほど開いた。
「おお……とーきっちゃん、ひさしぶりじゃなぁ……」
「ん?」
「ちょっとおばあちゃん、藤吉さんじゃなくて、お孫さんの賢人くんよ」
老女の言葉に賢人が首を傾げていると、娘が訂正に入った。
どうやら彼女は、賢人を祖父の藤吉と見間違えたようだ。
「けんと……? けんとっちゅうのはだれじゃったかなぁ、とーっきっちゃん?」
「いや、はは……」
どこか虚ろな目を向けられ、尋ねられた賢人は、愛想笑いを浮かべる。
「ごめんね賢人くん。おばあちゃん、ちょっと……ね?」
困ったように眉を下げそう言われ、賢人はなんとなく事情を察して小さく頷いた。
「あの、おばあちゃん、今日はウチのばあちゃんのことを聞きたくてきたんですけど……」
「ばあちゃん?」
「はい、イネばあちゃんのことです。石岡、イネ」
「おお……いれしゃんかぁ」
「いれしゃん……?」
「いれしゃんなぁ……そらきれいなひとじゃったわなぁ……」
「いれしゃん……イレしゃん……?」
どうやら『いれしゃん』とは『イネさん』がなまったもののようだと、賢人は理解する。
「じいちゃんとばあちゃんがどこで出会ったのか、知ってますか?」
「いれしゃんなぁ……とーきっちゃんがつれてきてなぁ……そらきれいなひとじゃったなぁ……かみがぎんいろで、さらさらしとって……」
「髪が、銀色……?」
賢人が物心ついたときには、すでにイネの髪は白髪だった。
もしかすると、それは色が抜けて白髪になったのではなく、元々の髪の色だったのだろうか?
たしかに言われてみれば、祖母の頭髪は同年代の他の女性に比べてかなり艶があるように思える。
「ねえ、おばあちゃん」
さらに尋ねようとしたところ、源治の妻がじっと賢人を見つめていた。
「なぁとーきっちゃん、いれしゃん、どこからつれてきたん?」
彼女はまるで藤吉本人に対するように、そう尋ねた。
「えっと……」
つまり、彼女は祖父母の馴れ初めを知らないらしいことがわかった。
「もうおばあちゃんたら、またイレさんって言ってる。イネさんでしょ?」
源治の妻の質問にどう答えたものかと思案していると、娘が割って入ってきた。
「ああ、そうじゃった、いねしゃんにしたんじゃった」
「ん?」
賢人は眉を寄せ、首を傾げた。
隣に立つ美子も、同じような表情を浮かべる。
てっきり加齢によって舌が美味く回らず、『イネ』が『イレ』になってしまったものと思っていたが、いま彼女ははっきりと『いねしゃん』と言った。
それに娘の言葉から察するに、彼女は祖母の名を時々間違えていたようでもある。
「あの、おばあちゃん、それってどういう……」
「んー…………」
源治の妻は、低く唸るような声を漏らしたかと思うと、かくんと俯いてしまった。
それから何度か呼びかけたが、反応がない。
「あー、寝ちゃったみたい。今日はこれ以上無理ね」
どうやらこれ以上彼女から話を聞くのは難しい様だ。
そこで賢人は、娘のほうに少し聞いてみることにした。
「あの、さっきの『イレしゃん』っていうのって、なんなんですか?」
「ああ、時々間違えるのよ。お祖母ちゃんだけじゃなくて、おじいちゃんもだったかな。で〝イネさんじゃないの?〟って聞くと、〝ああ、そうだった〟って。なんなのかしらね?」
「そういえば……」
記憶を掘り起こしたところ、確かに年寄りたちは祖母を『イレさん』と呼ぶことがあったように思う。
そのときも、てっきりなまっていただけなのかと思っていたが、指摘すれば訂正するようなので、なにか意味があるのかもしれない。
それに、先ほど源治の妻の言った〝いねしゃんにしたんじゃった〟という言葉から、まるで名を改めたかのような印象も受ける。
「おじいちゃんは〝歳食うと舌がうまく回らねぇんだよ〟ってよく言ってたから、なまってるだけじゃないかしらね」
「はぁ」
もう少し詳しい話を聞きたいが、源治の娘はあまり事情をよく知らないようなので、この件に関しては諦めることにした。
そこでもうひとつ、気になったことを尋ねてみる。
「あの、ウチのばあちゃんって、銀髪なんですか?」
「いいえ、普通に黒髪だったわよ?」
祖母の若いころを知っているらしい彼女が言うのだから、それは間違いないのだろう。
それに賢人は若いころの祖父母を直接知らないが、写真でなら見たことはある。
たしかに黒髪の祖母の姿を写真で見た覚えがあった。
「でも、さっきおばあちゃんは銀髪だったって」
「んー、そういえば昔、イネさんの髪は白くなってもきれいだって羨んでたから、それと昔の記憶がごっちゃになってるんじゃないかしら?」
「そう、ですかね……」
それから少しのあいだ世間話をしたところで、ふたりは斜向かいの家を辞した。
ほかに当時の事情を知っていそうな人について尋ねたが、多くは亡くなるか施設に入っていた。
元気な人も数名いたが、そういう人たちは祖母の旅行に同行しているようだ。
「はぁ……」
家までの短い道のりを歩きながら、賢人はため息をついた。
「なんというか、お祖母さまに関しては謎が深まる一方だな」
「ですね……」
少し疲れ気味な美子の言葉に、賢人は力なく応えるのだった。
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